古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

市場町八坂神社


        
            
・所在地 群馬県伊勢崎市市場町11593
            
・ご祭神 速素盞鳴命
            
・構造・形式 一間社流造、向拝付、柿葺
 西久保町大雷神社のすぐ西側には市場地域を縦断するように通る群馬県道73号伊勢崎大間々線に交わる十字路があり、そこを左折し200m程進むと、進行方向右手の県道沿いに市場町八坂神社の鳥居が見てくる。駐車スペースはないようなので、北側路地に急遽路駐して急ぎ参拝を行う。
        
                 
市場町八坂神社正面
 赤堀村は明治22年(1889)に、今井・五目牛・下触・堀下・市場・野・西久保・曲沢・間野谷・香林・西野(以上佐位郡)、磯村(勢多郡)の12ヶ村が合併して成立。はじめは佐位郡、村役場は大字西久保字田宿645に置かれる。その後、明治29年(1896)からは佐位郡と那波郡の合併に伴い、佐波郡に所属する。200511日に旧伊勢崎市、境町、東村と市町村合併を行い、伊勢崎市となったため、消滅した。
 「赤堀」の地名は鎌倉期から見え、赤堀氏の来歴は『上野国誌』によれば、「赤堀氏は、田原藤太秀郷の末葉であり、足利又太郎忠綱の弟、足利二郎泰綱4代の孫にして、孫太郎と称し、佐位郡赤堀を領し、初めて赤堀氏を称す」とある。
 当社が鎮座する「市場」という地域名は、中世から市が立っていたことを示していて、この市は江戸時代になっても続き、明治になっても雛市や桑市が、近在の人々を集めて開かれていたそうだ。
        
                    拝 殿
 当社の創立・創建に関する資料は、残念ながら調べてみても詳しい記事等ない。
『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』には僅かに「当社は、赤堀十郷の領主が定まった頃(江戸時代中頃)、郷民相謀って市場を創立するに当たり、市場守護神として創建したものという(社伝による)」と載っているだけである。
        
                    本殿
覆屋
        
                    本殿内部
 上記『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』によると、本殿は、一間社流造、向拝付、杮葺の小振りな社である。土台上に身舎丸柱と向拝角柱を立て長押を廻し、柱上に直に妻虹梁、丸桁を載せる。妻飾は虹梁笈形付大瓶束である。向拝は柱頭に水引虹梁を渡し、木鼻に象頭と獅子頭を付ける。柱上連三斗出組で丸桁と海老虹梁を受け身舎柱と繋ぐ。
 当本殿は装飾性が少なく、身舎では虹梁の渦と離れている若葉の唐草絵様、大瓶束に付く笈形、脇障子の嵌込彫刻、大瓶束上組物(出三斗)のみに彩色がある程度で組物もない。向拝では水引虹梁のやはり渦と離れている若葉の唐草絵様、彩色された獅子と象の木鼻と三巴に雲の本蟇股程度である。海老虹梁の段差湾曲は小さく、唐草には渦のみで若葉はない。このような特性から、当本殿は創建当時の建築と考えられ、18世紀初期から中期の装飾性が高くなる以前の建築と推定する。古式を伝える貴重な建築であるとの事だ。



参考資料「
群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」等

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