田部井町鹿嶋宮
・群馬郡東村 1954年(昭和29年)4月1日の前橋市への編入に伴い廃止された。今日の市の南西部、JR新前橋駅から南の一帯にあたる。
・利根郡東村 1956年(昭和31年)9月30日に利根郡赤城根村と合併し利根村(2005年に沼田市と合併)となり廃止された。
・佐波郡東村 2005年(平成17年)1月1日に伊勢崎市との合併により廃止された。
・勢多郡東村 2006年(平成18年)3月27日に山田郡大間々町、新田郡笠懸町と合併しみどり市となり廃止された。
・吾妻郡東村 2006年(平成18年)3月27日に吾妻郡吾妻町と合併し東吾妻町となり廃止された。読み仮名は「あづまむら」と表記された。
このように多数の東村が設立されたのは、ヤマトタケルが東征の帰路で「アズマハヤ(わが妻よ)」と亡き妻を偲んだ伝説に由来すると考えられている。
・所在地 群馬県伊勢崎市田部井町1-1126
・ご祭神 建御雷之男神
・社 格 旧村社
・例祭等 例祭等 例祭 4月10日 10月17日
旧東村は群馬県のやや南東部に位置し、伊勢崎市・前橋市など県内の主要な都市の通勤圏内にあり、発達した交通網と田園風景の広がる良好な居住環境を背景に、平成10年度には人口2万人を超えてなおも増加が続いていて、村としても全国で5番目に人口の多い村であったという。土地利用は雄大な赤城山の裾野に抱かれた平坦な耕地が多くを占めるが、最近では大規模小売店舗の出店も目立つ。
2005年(平成17年)1月1日に(旧)伊勢崎市、赤堀町、境町と共に合併し、伊勢崎市となり消滅した。
田部井町鹿嶋宮正面
市場町八坂神社から南下し「市場町1丁目」を左折、群馬県道102号三夜沢国定停車場線に合流後、南東方向に進み、JR 両毛線国定駅に至る。この国定駅より550m程南東方向に田部井鹿嶋宮は鎮座している。社の境内西側には広い駐車スペースがあり、そこの一角を利用して参拝を開始。因みに東隣には「田部井上区会議所」が併設されている。
手入れの行き届いた境内
鹿嶋宮が鎮座する「田部井」の地域名は「たべい」と表記する。詳細な時期は定かではないが、「たべい」と読むようになってからはむしろ日が浅いとのことだ。「田部井」は鎌倉時代に記録のある古くからある地域名で、鎌倉から室町期に「田部井郷」、又は「田部賀井郷」とも書かれたりしていた。古くは「ためかい・ためがい」と発音されていて、この「ためかい」は「溜が井」であり、水を溜めておく場所のことといい、昔から水に恵まれた場所であったようだ。難読地名の一つともいえよう。
『日本歴史地名大系』 「田部井(たべい)村」の解説
村のほぼ中央を早川が南流し、東は新田郡田部村、北は佐位郡国定村、西は同郡上田村。村の北東部に小字水殿(ずうどの)があり、湧水地磯沼からの流水が早川とほぼ並行して南流し、水田地帯をなす。地元では現在も「ためがい」という人が多い。嘉応二年(一一七〇)の新田庄田畠在家目録写(正木文書)に「たへかいの郷 田一町七反廿たい 畠一丁」とある。応永二二年(一四一五)八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状(同文書)によると、当郷は公田二町七反二〇代分の段銭を負担しており、前掲目録の田畠合計反別に一致している。建保三年(一二一五)三月二二日岩松時兼に与えられた地頭職の一つに「田部賀井郷」がある(「将軍家政所下文写」同文書)。
拝 殿
『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』による当社の創立・由来として、文治2年(1186)源頼朝の家臣安達藤九郎盛長が上野国守護となり太田市森田の吉沢に鹿嶋神宮の御分霊を奉遷し祠宇を創建した。その後、早川岸台、観音山などに移され、慶長(1596~1615)の頃和泉昭四郎氏宅地内に移り、寛文9年(1669)に現在地に造立され本日に及ぶ。この地には本殿だけがあったが、後に拝殿と幣殿が建造された。拝殿に関しては明治11年(1878)に作られた佐位那波郡神社明細表に記載されているものが現在のものと同規模である。しかし、明治43年の神社の合祀の際に拝殿と幣殿が建造された可能性もある。昭和25年(1950)に拝殿を萱葺から瓦葺に改修し、本殿も修理をしたという。
拝殿に掲げてある「鹿嶋大明神」の扁額 拝殿の左側にある出羽三山石塔や五輪塔等
本 殿
令和元年(2019)8月に本殿の傾きを修理し、床下の耐震補強をしたとの事。
修復前の本殿は、一間社流造で、組物は身舎が出三斗、向拝が連三斗である。中備は身舎側面と向拝が板蟇股で、身舎正面と背面が実肘木付の間斗束である。妻飾は虹梁大瓶束笈形付で鰭付の拝み懸魚と、降懸魚がつく。虹梁の唐草紋様は17世紀代の特徴があるものの、海老虹梁の形態から建造年代は江戸中期と推定。
本殿の奥にある石製の社号標や末社・石祠等 末社・石祠等の右側隣にある巨木の切り株
かつてご神木の類であったのだろうか
正面入り口の鳥居の右側手前にある猿田彦大神と石祠
猿田彦神は、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。この石碑もその類いであろうか。
参考資料「群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編」
「日本歴史地名大系」「ウィキペディア(Wikipedia)」等
