増形白山神社
・所在地 埼玉県川越市増形228
・ご祭神 菊理姫命 伊弉諾尊 伊弉冉尊
・社 格 旧村社
・例祭等 祈年祭 2月17日 春祈祷 4月20日 天王祭 7月14日
秋日待 10月17日 勤労感謝祭 11月23日 等
入間川沿いに広がる埼玉県川越市西部の増形地域。この増形という地名由来として、この地の形が「枡(ます)」の形(四角)をしているので、その地名となったと伝えている。古い地名であり、『風土記稿』には天正15年7月北条家印判状に「増形村」と載せているとある。
この地域は田畑が半々であり、入間川の近くは水田、台地の上では畑作である。昔はこの畑がほとんど桑原の時があり、養蚕が盛んであった。蚕が上がるたびに、上がり饅頭を各戸で作り、眉を数個、糸で連ねて神社拝殿に下げて報賽の印にしたという。
氏子数は増形地域全幾で、近年の宅地化により戸数は急増し、更に2022年、川越市と県による「川越増形地区産業団地」が完成し、昔ながらの長閑な農村風景も変わりつつある。
増形白山神社はこの増形地域のほぼ東側の台地上に鎮座する社である。
増形白山神社正面
『日本歴史地名大系』 「増形村」の解説
中川を隔てて藤倉村の北西、入間川右岸の低地および台地上に立地。南は下奥富村(現狭山市)。永正元年(一五〇四)八月山内上杉顕定が対立していた扇谷上杉朝良の拠る河越を攻撃するため上戸に出陣したため、北条早雲は扇谷上杉氏加勢のため出陣し、九月二〇日から二二日にかけて「益形」に着陣している(宗長手記)。天正一五年(一五八七)七月晦日北条氏直は豊臣秀吉の侵攻に備えて「増形小代官百姓中」に壮者一人を選び八月二〇日までに注進すること、弓・鑓・鉄砲のうちいずれかの武具を八月晦日までに整えることなどを命じている(「北条家定書写」武州文書)。
綺麗に整理されている社の周辺一帯
この地域に鎮座する白山神社は、地元の方々から「白山様」と呼ばれ親しまれながらも厚く崇高されている社である。この白山様は女性の夏季様なので荒い事が嫌いだといわれ、このため祭典時に芝居やお神楽は喜ばれるが、相撲は行われない。
また、天王様が合祀してあるが、神輿を担いだり暴れたりする祭りは古くからしてはいけないという。更に昔、近隣の村で現上尾市平方の八枝神社のお獅子様が当地を通過する際に、白山様が怒るというので遠回りしてもらったという。氏子から白山様は村人のあらゆる願い事を聞いて下さるありがたい神様であると尊ばれている。
入り口付近に聳え立つご神木(写真左・右)
イチョウやケヤキ等の木々に囲まれた327坪余りの境内は、氏子の潤いの場となっている。
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 増形村』
白山社 明暦三年五月勧請、本地十一面観音、修験成就院持、
白山神社 川越市増形二二八(増形字道山)
増形の村の中央、台地上に鎮座する当社は、菊理姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭神とし、 加賀国一の宮白山比咩神社から分霊したと伝える。
『明細帳』によると、明暦三年五月、覚尊という僧が字葛茂川(現在、場所不詳)から現在地に遷宮したと金幣に記してあったという。
『風土記稿』に「明暦三年五月勧請、本地十一面観音、修験成就院持」と載せる。
成就院は増形山本妙(明)寺と号し、当社の別当であった。社蔵の享保一七年、天保四年の拝殿再建の棟札には「増慶山宗圓」「別当増形山廣徳院」と記すが、成就院の事と思われる。明治の初めに覚尊から一〇代目の彰純は復飾して姓を関山と名乗り神職となる。現宮司教純はこの裔に当たる。
明治五年に村社となり、同四一年に字一本榎の八坂神社、字泥辺の厳島神社を合祀した。このうち八坂神社は天王様と称して疫病除けの神といわれ、合祀後、社殿は当社境内に移し、末社愛宕稲荷疱瘡社の社殿とした。また、厳島神社は弁天様と呼び、池の傍らにあって女性の神様といわれ、合祀後、社殿は明治四三年の大水で流されてしまったという。
「埼玉の神社」より引用
拝殿に掲げてある扁額 拝殿前に設置されている社の掲示板
境内に設置されている「白山神社拝殿改築記念碑」
白山神社拝殿改築記念碑
当社は石川県石川郡鶴来町鎮座の白山比咩
神社の分祀であると伝えられる。創立年月は
不詳であるが、明暦三年当社の別当、増形山
本明寺祐純法印が、旧字、葛茂川より現在地
に移転するという。明治五年村社に列し、明
治四十一年増形字一本榎八坂神社、同、字泥
辺厳島神社の二社を合祀する。明治四十二年
神撰幣帛料供進神社に指定される。昭和二十
八年六月五日、宗教法人となる。
旧拝殿は天保四年の改築で、大正七年草葺
屋根を瓦葺とする。老朽化が進み、拝殿の改
築が、昭和六十二年一月十八日、氏子の総意
により決起される。改築委員会が結成され、
氏子のみならず崇敬者各位からも、多額のご
芳志が寄せられる。改築委員を中心に総力を
あげて、この大事業に取り組み、三年有余の
歳月を費して、ついに完成される。
はからずも、御大典奉祀の時、氏子崇敬者
各位の功績を永く久しく伝えるものである。
(以下略)
本 殿
当社の祭りの中で、4月・7月・10月の祭日には、中福地域から神楽師(根岸家・市指定無形文化財)が来て夕方から神楽から奏し、境内に露店が出て賑わう。神楽は三番(そう)から始まり数曲を行う。昔はこれが唯一の娯楽で、大八車に神楽道具を積んで神楽師が来るのが楽しみだったという。
「川越市HP」市指定文化財 中福の神楽
種 別 市指定文化財:無形民俗
指定年月日 昭和50年6月9日
入間・北足立・多摩地方には、東京都府中市の大国魂神社の宮司が始めたと伝えられる相模流神楽が伝承されている。
中福の神楽はこの相模流に属し、根岸家が代々元締をつとめている。
曲目は一曲一座形式で、「墨江三柱大神」「三穂崎魚釣」「八岐太蛇」「神田種蒔」「猿田大神」などがあるが、始めに「三番」と称して墨江三柱大神の舞を奉納し、猿田大神の舞で終わるのが通例である。
神楽は神社の祭りなどに招かれると、出方と称して親戚や近在の人を頼んで一座を組む。
現在は地元の中福稲荷神社の春祈祷(4月19日)を始め、増形白山神社の祭礼などで頼まれると神楽を奉納している。
なお、明治末から昭和初期に根岸勝広、馨氏が彫った神楽面が残されており、市の有形民俗文化財に指定されている。
境内に祀られている境内社・愛宕社、その右側には御嶽社。
境内の御嶽神社は作神といわれ、農業守護の神であるという。特に祭りは行っていない
ようだが、当地の御嶽講が本社から受けた神札を祀っている。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「川越市HP」「埼玉の神社」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板・記念碑文」等
