今井金鑚神社
武蔵七党の一つである児玉党の一族の館の近くには守護神である金鑚神社を氏神として崇敬していることが多く、市内の今井・富田や、児玉町の真下・浅見など、児玉党支族の名字のつく旧村々にある金鑽神社がそれにあたるという。この今井地域も今井太郎兵衛行助が館を築いたときに守護神として乾の方角(北西)に勧請したと伝わっていて、このことは金鑚神社の影響力の広がりを感じることができる。
所在地 埼玉県本庄市今井1124
御祭神 素戔嗚尊、天照大神、日本武尊(推定)
社 挌 旧村社
例 祭 不明
今井金鑚神社は国道462号を旧児玉町から本庄方面に北上し、四方田交差点を左折して真っ直ぐ上里町へ向かう途中に左側に鎮座している。四方田交差点から約2km弱で、道路沿いに鎮座しているので、道順に苦労せずに着くことのできる社だ。
道路沿いで東側にある社号標石。この標石の奥には寛正年間(1789~1801年)の庚申塔。がある。また社号標石の奥に見える道路は、北廓遺跡という今井氏の居館跡と言われ、1982年の道路工事に伴う埋蔵文化財の発掘調査によって幅3.8m、深さ0.6から1.2mの直角の3条の堀が検出され遺物も出土しているとのことだ。現在は道路や駐車場となっていて当時の面影はまったくない。
東側に向いている一の鳥居(写真上)の手前右側には本庄市指定文化財の「今井金鑚神社の獅子舞」の案内板(同左)がある。この獅子舞は 享保9年(1724)に社殿を再建したときに奉納したのがその始まりといわれます。京より招いた神官が伝えたといわれ、京風の雅楽や蹴鞠の仕草が取り入れられているという。また参道を真っ直ぐ進むと(同右)、社務所や社殿が右手側に見えるが、それらは参道に対して横を向いている配置となっている。
拝 殿
社殿の正面右側にある開闢木喰不動尊 三笠山 拝殿上部にある社号額
御嶽神社等の石碑群
本 殿
社殿の左手奥には多くの合祀社が存在する。今井金鑚神社は明治初年の社格制定に際しては村社となり、明治四十年には字下郭の金鑽神社、字塔頭の飯玉神社、字下田の稲荷神社、字松島の松島神社、字川越田の天神社、字諏訪の諏訪社、字松原の天手長男神社、字雷電下の雷電神社の八社の無各社を合祀した。
参道の途中にあった社日