露垂根神社
・所在地 栃木県佐野市富士町1007
・ご祭神 市杵嶋姫命 (配神) 天照皇大神 素盞嗚命
・社 格 旧村社
・例祭等 4月第3日曜日(例祭)
露垂根神社は栃木県道141号唐沢山公園線を佐野市市街地から唐沢山方向に北上すると、唐沢山神社の一の鳥居が見え、この一の鳥居のすぐ右手前隣に上記社の鳥居がある。ちなみに「露垂根」は「ツユシネ」と読む。鳥居のすぐ隣に唐沢山神社の一の鳥居が建てられているため、こちらはあまり目立たないのが残念で、この社も意外と立派な鳥居、長い参道、そして中々風格のある社殿があり、見どころも多い。
駐車スペースは参道脇に数台分確保されており、そこに停めて参拝を行った。
露垂根神社正面鳥居
唐沢山の登山口に鎮座している神社で、天慶五年(九四二)年藤原秀郷唐沢山城築城に際し大炊の井の守り神として、安芸国厳島神社を勧請して、この社を建立したと伝えられている。
参道の回りは杉林があり、山水画に出そうな風景が広がる(写真左・右)。
境内前にある石段
筆者にとってこの上ないほどの美しく神々しい風景
山麓に鎮座し、石段のある社ならではの風景美がここにある。
拝 殿
主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
藤原秀郷公が安芸国厳島大明神を唐澤山に勧請。大永時(1521~1528)に笠松山の中腹に奉移し、慶長時(1596~1615)に現在の所に遷座された。明治5年、露垂根大明神を露垂根神社と改称した。
本 殿
本殿の東、北、西側の壁には彩色鮮やかな「竹林の七賢」の彫刻がある。
境内に設置されている案内板
露垂根神社由来(明神様) 社紋 揚羽蝶
主祭神 市杵島姫命
配 神 天照大神・素戔嗚尊
例 祭 四月第三日曜日
旧社格 村社
【由緒沿革】
天慶五年(九四二)年藤原秀郷唐沢山城築城に際し大炊の井の守り神として、安芸国厳島大明神を唐沢山上に勧請。以後代々城主が崇敬し数度再建修復された。大永年間に笠松山中腹に奉移し、数度の修復再建を経て慶長元年(一五九六)城主佐野信吉の時現在地に遷座した。唐沢山城破却後も多くの尊崇を集め、寛永十二年(一六三五)徳川家光の折この地方を収めた井伊直孝が再建立した。寛保三年(一七四三)氏子一同で拝殿を建立し、露垂根大明神として崇拝した。
明治の神仏分離令により明治五年露垂根神社と改称し村社に加えられた。明治四十一年氏子一同で茅葺屋根の拝殿を瓦葺に改修し、大正八年指定村社に列せられる。
平成元年与月御大典記念として上富士町・下富士町氏子一同の奉賛により整備事業を行う。本殿の東・北・西の三壁に大変珍しい「竹林の七賢」の彫り物がある。
【竹林の七賢人について】
中国の晋の時代に、洛陽の竹林に集まった七人の隠者。名前は阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・向秀(こうしゅう)・劉伶(りゅうれい)・阮咸(げんかん)・王戎(おおじゅう)の七賢人で、彼らは俗世間を離れ、心の赴くままに酒を飲み、詩を作り、老子・荘子の思想に浸って清談するという日々を送ったといわれる。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(人々の目をくらます事)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。(以下略)
境内案内板より引用
ところで「露垂根」という神社名の由来を調べようとしたが、どうしても分からなかった。どちらか知っている方はいないだろうか。
社殿の左側にある神興庫(?)と 境内社 四十九勝神社
その周囲には数々の石祠が鎮座している。 詳細等不明。
境内東側に祀られている石祠群 境内ほぼ中央に聳え立つご神木
境内から参道方向を撮影
