中瀬神社
所在地 深谷市中瀬650
御祭神 市杵嶋姫命 外十四柱
又は弁才天、十五童子
社 挌 旧村社
由 緒
当社は、古くは十五社大明神と称し、吉祥寺の持であった。祭神は弁才天と、その眷属である十五童子を祀っている。弁才天は古代インドの神話に出てくる神で、河を神格化し豊穣をもたらす神である。十五童子は、後世、弁才天を弁財天とも書き、福徳の神と信じられるようになった時、その神徳を表現したものである。才天が水辺や池中の小島に祀られている例が多いのは、
河の神格化の考えが残っているためであり、当社の場合も、文亀年間(1501-04)、河田義光による開発と共に、利根川辺りに祀られたと考えられる。
大正二年に村内の神社を合祀し、社名を中瀬神社と改めた。
「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より
例 祭 11月23日 新嘗祭
中瀬神社は群馬・埼玉県道14号伊勢崎深谷線の上武大橋(南)交差点を右折した中瀬地区内にある。ただ上武大橋(南)交差点を右折し真っ直ぐな道であるわけではないので注意は必要だ。交差点から真東方向に約1km弱位にこの社は鎮座していると考えてくれれば良いと思う。駐車場は一の鳥居の右側に駐車スペースがあり、そこに停め参拝を行った。
拝 殿
拝殿の奥にある本殿
本殿は深谷市の文化財に指定されており、木造銅板葺平屋建で「天保十一年(1840)五月一日上棟 宮大工河田主計千豊」の書付が有るという。残念ながら現在覆い屋があり見ることはできない。
この社が鎮座する中瀬地区はすぐ北に利根川があり、過去何度も洪水による被害を受けたであろうことは想像に難くない。社殿の基礎が数十センチ高く積まれているのも洪水対策用に造られたものだろう。のどかな田園風景の陰に隠れている歴史の別の一面も感じずにいられない。
中瀬神社の創立年代は不詳だが、古く中瀬村の鎮守と崇め、弁財天と十五童子がまつられた。元は「十五社大神社」(十五社様)の名で、字西原に鎮座していたが、大正2年に現在地に遷された。社宝の十五童子木像は、もとは十五社神社の神体だったという。
明治41年、村長及び氏子惣代が、忠魂碑と征露記念碑の揮毫御礼のために、乃木大将邸を訪問した折りに、静子令夫人から寄贈された硯箱を、宝物として保存する。
祭神である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)
日本神話に登場する水の神で、『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命(さよりびめのみこと)とされており、スサノオの剣から生まれた五男三女神(うち、三女神宗像三女神という)の一柱とされている。市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている。後に仏教の弁才天と習合し、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えられている。