太田袋諏訪神社
・所在地 埼玉県久喜市太田袋586
・ご祭神 建御名方命
・社 格 旧太田袋村鎮守 旧村社
・例祭等 祈年祭 4月10日 灯籠 7月10日 秋祭り 10月10日
大祓 6月30日 12月31日
久喜市太田袋地域は、同市南東部にあり、南北の境を備前前堀川・備前堀川が並行して流れ、東西域が長い区域となっており、その地域の大部分は田畑地区が占めていて、住宅地は地域中央に点在する長閑な農業地域である。
当地名である「太田袋」は河川に関連する地名と思われるが、「嵐山町web博物誌」によると、杉山地域にも「川袋」と「大袋」があり、どちらも市の川と粕川の合流点の上の部分で、川に挾れて「袋」のような形であるから、この名前が出たと考えられている。また、「池袋」「沼袋」など袋のつく地名は、大てい水辺で二面以上が水で囲まれている所であるという……と特殊な地形や地物の地名として「袋」が紹介されている。
太田袋諏訪神社正面
『日本歴史地名大系』 「太田袋村」の解説
北は備前前堀川を境に下早見村、北から西は古新(ふるにつ)川を境に青柳村と対する。袋村とも称された。百間領に所属。寛永五年(一六二八)岩槻藩阿部氏の検地があり(風土記稿)、田園簿によれば田高一一二石余・畑高一三九石余、同藩領。同藩の城付地で高岩筋に属し、延宝八年(一六八〇)の家数二六(うち本百姓一七)、人数一九七(「岩付領内村名石高家数人数寄帳」吉田家文書)。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では高三二七石余、ほかに新田三五石余・野銭永三四〇文・藍瓶役鐚七二文・見取場田畑三反余があった。
入口正面の一の鳥居の社号額には 一の鳥居の先に見える二の鳥居
しっかりと「琴平神社」と表記されている。 この鳥居には「諏訪神社」と刻印されている。
当社は古くから村の鎮守として崇敬されてきた。一方、元々この地に鎮座していた琴平神社も霊験あらたかな神様として、古くから地元の農民や商売人から崇敬を受けていた。このため現在でも地元の人々は、当社を「こんぴら様」と称して親しんでいる。また、境内社の琴平神社は「隠居こんぴら」と称されている。
参道左側にある手水舎 社殿脇にある力石
この力石には、市内で最も重い百貫石や、江戸時代の力持興行「御上覧力持」の東西の両大関「三ノ宮卯之助」と「肥田文八」その他の名を記した全国的にも貴重な石等があるという。年代別では、三十六貫石の宝永三年(1706年)から天保十一年(1840年)迄の石との事だ。
社殿左側脇にある合祀記念之碑 社殿右側にある伊勢参宮記念碑
合祀記念之碑
武藏國南埼玉郡江面村大字太田袋
諏訪神社淺間神社
右二座以明治十三年三月十四日奉遷干琴平神社殿内而合祀之改社號稱諏訪神社
大正二年四月三日建之
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 太田袋村』
諏訪社 村の鎭護にて、諏訪院の預る所なり、
普門院 新義眞言宗、葛飾郡内國府間村正福寺の末、龍光山法雲寺と稱す、開山弘尊慶長二十年四月八日寂す、本尊正觀音、行基の作と云、 熊野社 彌陀堂
諏訪院 本寺前に同じ、藥師を本尊とす、〇寮 正觀音を安ず、行基の作と云、村民の持、
諏訪神社(こんぴらさま) 久喜市太田袋五四八(太田袋字地蔵)
鎮座地の太田袋は「大田袋」とも書き、中世は太田庄に属していた。
『埼玉県地名誌』におれば、「袋」とは平地を流れる河川が蛇行したり、合流することで形成された袋状の地形を指すという。このことから、当地の地名の由来も、備前堀川と備前前堀川がいずれも古利根川に合流し、袋状の地形を成していたことによるものであろう。
口碑によると、当社は江戸時代初めに字沙汰の備前堀川の辺りに作神として祀られたことに始まるという。『風土記稿』太田袋村の項には「諏訪社 村の鎮守にて、諏訪院の預る所なり」と記されている。これに見える別当の諏訪院は葛飾郡内国府間村(幸手市北町一丁目)の真言宗正福寺の末寺であった。
神仏分離後、諏訪院は廃寺となり、当社は村社に列した。その後、明治四十年に字沙汰の社地から村の中央に位置する字地蔵の無格社琴平神社の境内地に遷座され、合わせて琴平神社と字浅間の無格社浅間神社を合祀し、ここを当社の新たな境内地とした。遷座の理由は、琴平神社の境内地が村の中央で面積も広く、氏子が参詣しやすかったこと、更には琴平神社が当社に増す信仰を集めていたことが挙げられよう。合祀後、氏子の間から「昔から祀ってきた琴平神社を粗末に扱うと祟りがある」との声が上がり、大正四年に本殿に祀っていた琴平神社の分霊を境内に新たに建立した祠にも祀るようになった。
「埼玉の神社」より引用
氏子の間では古くから「こんぴら様には天狗が住んでいる」といわれ、当社の社殿にも往時に奉納された多数の天狗面が残されている。昔は子供を叱る時に「いたずらをすると天狗様に連れていかれるぞ」と言うと、子供は怖がっていたずらを止めたものであったという。拝殿壁には天狗信仰と関連があるからか、天狗面が二対掛けられている。
また、かつては毎月十日を「こんぴら様の縁日」といい、氏子が三々五々参拝するほか、遠方からも主に商売人が多数参拝した。先の大戦以前までは、この縁日当日は、香具師が境内に露店を出し、大変賑わったというが、その後は急速に衰え、現在縁日に参拝するには往時のにぎわいを知る古老の人々のみとなっているという。
拝殿の軒下部(言い方が間違ったら申し訳ありません)に掲げてある扁額3枚
当社の社号がまだ琴平(金毘羅)神社だった頃の名残がここにある。
本 殿
本殿の左側奥に祀られている境内社
左側から琴平神社(隠居稲荷と呼ぶ)・稲荷神社・一番右側の石祠は雷電社か?
境内の様子。右側に見える建物は太田袋集会所。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「嵐山町web博物誌」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内記念碑文」等
