江面久伊豆神社
この地は、新川用水路と備前前堀川の間に位置する農業地域で、その地内は、北部の本田と南部の新田に二分される。かつては、本田と新田の間には水田が広がっていたが、東北自動車道の久喜インターチェンジがこの水田の中に建設されたため、景観は大きく変わってしまっている。
・所在地 埼玉県久喜市江面1345
・ご祭神 大己貴命
・社 格 旧江面村鎮守 旧村社
・例祭等 歳旦祭 1月20日 白山様燈籠 7月第2日曜日
秋季例祭(お日待) 10月18日 大被式 12月28日
「久喜菖蒲公園」から久喜・菖蒲公園通りを東行し、東北縦貫自動車道に達する信号のある丁字路を右折、その後すぐ先にある右斜め方向に伸びる路地を進むと、ほぼ正面に江面久伊豆神社の入口である一の鳥居が見えてくる。
江面久伊豆神社正面
『日本歴史地名大系』「江面村」の解説
北は新川用水を境に上早見村、南から西は河原井沼新田、台村(現菖蒲町)および所久喜村。騎西領に所属(風土記稿)。寛永九年(一六三二)の年貢割付状(内田家文書)によると、田方二四町七反余・畑方三六町一反余・屋敷一町七反余(以上新田分を含む)、幕府領。同一六年川越藩領になり(同年「年貢割付状」同文書)、田園簿によると田高三〇八石余・畑高一五二石余。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高九七六石余、反別は田方六一町三反余・畑方三二町九反余、ほかに新開高三九〇石余、田方二四町五反余・畑方一三町一反余があった。
二の鳥居 きちんと手入れされた参道
当社は、加須市騎西の玉敷神社を総本社とし、元荒川流域に分布する久伊豆神社の一社で、大己貴命を祭祀とし、創建以来、江面の鎮守として祀られてきた。古くは、本社の玉敷神社、岩槻と越谷の久伊豆神社と共に四大久伊豆神社の一つに数えられたという。
創建年代は不明であるが、当地の旧家は平家の落人で、秩父地方から来て土着したという伝説を持っており、これらの旧家によって創建されたものと推測される。近くの善徳寺が別当寺であった。
明治6年(1873)近代社格制度に基づく「村社」に列せられ、同41年(1908)の神社合祀により、周辺の5社が合祀された。なお、その内2社は後に旧地に戻されている。また合祀された神社に「白山社」があり、その例祭を引き継いでいることから、別名「白山様」とも呼ばれている。
広々とした境内
拝殿の右側手前の建物は江面新田集会所で、元神楽殿。
拝 殿
「新編武蔵風土記稿 江面村」
小名 石神井 前谷 合ノ谷 河島 原 小谷 志部 橋爪
久伊豆社 村の鎭守とす、社傍に庵を結び、社を守る者居れり、〇白山社 〇神明社 〇第六天社 〇女體權現社 以上五社善德寺持、 〇稻荷社 寶光院持ち
善德寺 新義眞言宗、正能村龍花院末、安養山彌陀院と号す、本尊阿彌陀、鐘樓 天明三年の鐘を掛、
拝殿に掲げてある「久伊豆大明神」の扁額 境内に設置されている案内板
久伊豆神社(はくさんさま) 久喜市江面一三四五(江面字宮前)
越谷・岩槻の久伊豆神社、騎西の玉敷神社と共に「四大久伊豆神社」の一つと並び称されるという当社は、大己貴命を祭神とし、創建以来、江面の鎮守として祀られてきた。江面の旧家は、名主であった伊呂原家をはじめとしていずれも平家の落武者を先祖に持ち、秩父から当地に来て土着したと伝えられており、当社の創建にはこうした家々が大きくかかわっているものと思われる。
「風土記稿」江面村の項を見ると、当社について「久伊豆社 村の鎮守とす、社傍に庵を結び、社を守る者居れり」と記されている。この庵についての詳しいことや、庵のあった位置については今ではわからなくなっているが、現存する文化十年(一八一三)の本殿及び拝殿の再建時の棟札に「別当善德寺住法印来賢代」と記されていることから、江戸時代の当社の祭祀には真言宗の善徳寺の僧が関与していたものと思われる。なお、当社の南側の畑は、この善徳寺の土地になっているため、その土地の一角に庵が営まれていた可能性は高い。
神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となり、村内にあったその他の社は無格社となったため、政府の合祀政策に従って明治四十一年にはそれらの無格社が合祀された。合祀された神社は、字小谷の白山社、字相野谷の神明社、字中河原の厳島社、字川島の第六天社、字志部の女体社の五社で、第六天社と女体社はその後旧地に戻された。
「埼玉の神社」より引用
当社の氏子区域は、この江面の全域で、本田には上根・橋川(橋詰・川島)、新田には小谷・大原・社宮司といった集落がある。氏子は全体で400戸程。
古くは、氏子の間では「神様が嫌うから」という理由で、小豆や麻を作る事、昆布を料理に用いることが禁忌とされていたが、江戸時代半ばごろからこの禁忌は一般生活の支障を来すようになり、延享二年(1745)正月に吉田家から発給された宗源祝詞の中に、この禁忌の解除を求める文書が記されていて、当時の氏子の生活の一端が伺えよう。
社殿の左側に置かれている奉納石(力石か) 奉納石の奥に石碑等三基が祀られている。
石碑三基の奥に祀られている石祠。左側から女體宮・社宮神・志羅山。
社殿右側に祀られている稲荷・〇・天神宮 境内北側奥に祀られている弁天社
弁天社の左側にある石祠は不明
社殿からの一風景
氏子の間で行われる大きな行事に、「お獅子様」がある。これは、疫病除けとして春の伝染病を防ぐ目的で行うもので、騎西の玉敷神社から借りて来た獅子頭と、当社で古くからある獅子頭の二つを持って地内を回るものである。この祭りは、江面が本家と言われており、4月20日に行われている。また、白山様燈籠 (夏祭り)には、「江面祭囃子」や演武等が奉納されているという。
当社の祭事の中で7月8日に行われる「白山様」は、当社に合祀された白山社の例祭を引き継いだもので、田植え後に行う豊作祈願の祭りである。当社が久伊豆神社であり、白山社は一合祀社であるにも関わらず、「白山様」と呼ばれるこの祭りが村一番の賑やかな行事で有名であったためであるという。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」
「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等
