古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

根金神社

 顕彰碑
 私達の郷土根金は根金村と称し、寛永七年上関戸から三十余戸で分村し、十羅利社を氏子の象徴として、凡そ三百五十年の長きに亙って今日に至った。元来矢水の地で、米作に恵まれず、そのため村は経済的基盤が弱く、神社も幾度かの変遷を経た。折しも昭和七年敬神の念厚き大久保伝吉は、村民有志に働きかけ、境内の設置に尽力し、自から一二六坪の土地を寄進、続いて杉山与次郎も二十五坪を寄進、茲に根金神社発祥の地が決り爾来幾歳の永きに及び村民信仰のところとなった。その後村民の協力で昭和廿一年に拝殿を昭和五十五年には公民館を相ついで建設し、文化的面目を施した。いま私達は大久保伝吉・杉山与治應の先人に心から敬意を表し、其の行跡を偲び地域発展の礎とし之を永く後世に伝える(以下略)
                                *句読点等は、筆者加筆による。
        
            
・所在地 埼玉県蓮田市大字根金1006
            
・ご祭神 大己貴命
            
・社 格 旧根金村鎮守
            
・例祭等 春祭礼 426日 大祓 630日・1231日 例祭 718
                 
秋祭礼 1019日 例大祭 1130
 根金新田稲荷神社から一旦北上して埼玉県道87号上尾久喜線を西行し、国道122号線との交点である「根金」交差点手前の狭い路地を右折すると根金神社の赤い鳥居が見えてくる。
        
                   根金神社正面 
『日本歴史地名大系』 「根金村」の解説
 蓮田台地の北部にあり、元荒川の右岸に位置する。南は上閏戸村、東から北は根金新田村。古くは閏戸郷に属したという(風土記稿)。元禄一一年(一六九八)までは閏戸村に含まれたといわれるが(同書)、寛文五年(一六六五)の上尾宿助馬調(「絵図面村々高」田中家文書)に臨時の助人馬指定村として「新根金村」と記されており、この頃から分村化が進んでいたとみられる。岩槻藩領で、同一二年の岩付御領分石高覚(吉田家文書)によると根金村の高一四六石余。延宝八年(一六八〇)には家数二一(うち本百姓二〇)、人数一一一(「岩付領内村名石高家数人数寄帳」同文書)。国立史料館本元禄郷帳では旗本万年・米津・会田の相給。

 蓮田市の「根金(ねがね)」という地域名の由来は、ハッキリとは分からないが、一説によると、かつて当地には、江戸時代初期に矢作(やはぎ)伊賀守という刀鍛冶がいたと伝えられ、地内の沼から砂鉄が採れたという話や、集落の北側辺りから金糞(*かなくそ・鉄を鍛えるときに落ちる浮きかすや不純物)がよく出土することから、刀鍛冶のみならず、かなり以前から金属に関わる職人たちが居住していたことがうかがわれよう。
        
                    拝 殿
 根金神社  蓮田市根金一〇〇六(根金字後塚)
 根金は、元荒川の自然堤防上の集落で、かつたは閏戸村に含まれていたが、元禄十一年(一六九八)に閏戸村が上閏戸・中閏戸・下閏戸村・貝塚村・根金村・根金新田村の六か村に分村した。
 当社は、『風土記稿』根金村の項に「十羅刹社 村民持」と載り、江戸期から鎮守として祀られていた。明治七年に根金新田村と合併したことから、村社決定の際、神仏分離・廃仏毀釈の直後だけに、仏教色の強い社名の社を村社とすることをはばかり、新田の稲荷社を村社とすることになった。これに伴い、翌年に十羅刹社は稲荷社へ合祀されることになった。しかし、時の戸長杉山又右衛門は、合祀に異議を唱え、十羅刹社の木像を自宅納戸の唐櫃の中へ隠し、木像を受け取りに来た稲荷社の使者に目掛け、座敷から三俵もの豆を投げ付けて追い返したという。こうして木像は同家に残されたが、同九年に合祀の手続きが取られ、字二本木の社地を失った。よって杉山家では畑の一隅に十羅刹の祠を建て、旧根金村の人も変わらぬ信仰を続けた。
 その後、昭和七年に氏子の大久保伝吉が境内の狭さを憂え社地を寄進、これに応じた杉山与二郎も土地を寄進し、現在の境内地ができ、祠が遷された。更に同二十一年に拝殿を建設して施設を整えたが、正式に神社として承認を得るために、古くから獅子を借りている騎西町の玉敷神社から分霊を奉斎し、同二十七年に根金神社が設立された。
                                   「埼玉の神社」より引用
        
                 拝殿に掲げてある扁額
 当社は、昭和27年に、玉敷神社より分霊(大己貴命)を奉斎して設立した神社ではあるが、氏子の意識の上では、『新編武蔵風土記稿 根金村』の項に載り、先祖より祀り伝えた「十羅刹社」の存在は大きく、かつては旧根金村の鎮守社でもあった。因みに十羅刹とは、十羅刹女といい、元来人の精気を奪う鬼女であったが、仏の説法により法華経を読誦する行者守護、又は流行病を司る神となった仏教の天部における10人の女性の鬼神で、鬼子母神と共に法華経を守護する諸天善神である。この辺りでは当地のほか、貝塚・下閏戸の隣接した村だけに祀られていることから、かつて何かしらの関連した信仰があったことがうかがえる。
 内陣には、頭髪をなびかせ、宝冠をかぶり、左手に宝珠を載せ、右手には鎌を持ち、岩座に立つ木像一体が奉安されている。
       
               境内に設置されている顕彰碑

 社の規模は決して大きいものではなく、当初は、根金新田稲荷神社と共に掲載する予定であった。しかし「根金」という地域名の由来といい、当社の現在の社名に至る経緯も考慮すると、独立した社として掲載したほうが良いと判断し、今回掲載した次第である。 



参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「境内顕彰碑文」等 

   

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