西大輪神社(雷電社)
この砂丘上に西大輪神社(雷電神社)等は鎮座している。
・所在地 埼玉県久喜市西大輪243
・ご祭神 別雷命
・社 格 旧西大輪村鎮守
・例祭等 獅子舞 7月25日(近日の日曜日) 神幸祭 10月15日
西大輪稲倉魂神社から一旦東行し、埼玉県道3号さいたま栗橋線に合流後右折、400m程北上した先の路地を左折すると、なだらかな斜面の砂丘上に西大輪神社(雷電社)は鎮座している。
西大輪神社(雷電社)正面
『日本歴史地名大系』 「西大輪村」の解説
鷲ノ宮村の南東、久本寺(くほんじ)村の東方にある。天文二三年(一五五四)一二月二四日の足利梅千代王丸印判状(野田文書)に「大輪」とみえ、古河公方義氏が重臣の野田左衛門大夫に御料所とされる当地を宛行っている。もと東大輪と併せ大輪と称していたことが知られるが、その西端は利根川の旧流路筋で、古くから奥州道の渡場で霞ヶ関という関所が設けられていた。対岸が鷲ノ宮であるため鷲ノ宮関所とも称された(「萱氏系図」鷲宮神社文書)。田園簿に村名がみえ、田高四五二石余・畑高四六七石余で、幕府領。
境内の様子
境内は明るく、手入れも行き届いていて、快晴の天候の中気持ちよく参拝ができた。
境内の設置されている「西大輪神社由来記」
西大輪神社由来記
当社 寛永十八年大輪村 東西に分村の後 西大輪村鎮守鷲大明神御仮屋として建立すと伝う 嘉永二年御仮屋再建棟札に元禄六年頃建立とあり 例祭として東より御神霊お迎えし 村内安全 子孫繁栄を祈念し 旧暦九月十四日より十九日ににわたり氏子当番にて執り行う
明治八年からは御神輿造営し行い三百六十有余年にわたり引き継がれ氏子の拠所となれり
時代の変遷に伴い次第に御祭礼の簡素化やむなく 平成に入り継続し難きに至る 一方 御神霊勧請の声高まり 平成十七年三浦宮司指導のもと西大輪三区役員氏子崇敬者等四十有余名によりなる西大輪神社氏子役員会を結成し推進す 西大輪神社増改築 御神輿修繕神社飛び地境內地へ交換等なす
平成十九年十月二十八日大輪神社より御神霊を勧請 粛々と分祀し遷座祭齋行す 氏子永年の悲願果せり
ここに勇壮華麗なる西大輪獅子舞を奉納し御祝儀とす(以下略)
記念碑文より引用
西大輪神社由来記に並列されて設置されている
「中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘」と「西大輪の獅子舞」の案内板
埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群 西大輪砂丘
指定年月日 平成二十八年三月十五日
所在地 久喜市西大輪
西大輪砂丘は、榛名山や浅間山の火山灰等に由来する大量の砂が、寒冷期の強い季節風により、利根川の旧河道沿いに吹き溜められて形成された内陸性の砂丘である。平安時代から室町時代にかけて形成されたと考えられており、羽生市から越谷市にかけての中川低地に点々と分布する内陸性の河畔砂丘群は、全国的にみても珍しい。
西大輪砂丘は、利根川の旧河道東側に分布する四列からなる大規模な砂丘列であり、東側の二列の規模が特に大きい。東から順に、長さ千六百メートル・幅百五十メートル、長さ九百八十メートル・幅二百メートルの大きさを誇る。
指定地は標高約十四メートルに位置する西大輪神社・雷電社の境内であり、西大輪砂丘中で最も保存状態の良い場所の一つである。周辺の低地部との高低 差は約六メートルあり、砂丘の高まりや砂の堆積状況を明確に観察することができる。
平成二十九年三月二十二日 久喜市教育委員会 埼玉県教育委員会
久喜市指定無形民俗文化財 西大輪の獅子舞
指定年月日 昭和五十二年七月十八日
所在地 久喜市西大輪
西大輪の獅子舞は約三百年前から伝わるとされ、七月二十四日には村内の神社や村の境などで、七月二十五日には民家の庭で舞われていた。
現在では、七月二十五日に近い日曜日に、五穀豊穣・病魔退散・悪病除けを祈念して村回りを行いながら、村の辻々を清め、 西大輪神社・雷電社・胡禄社・金毘羅社・天神社・稲荷社など で舞っている。
獅子は、大獅子・中獅子・女獅子からなる一人立ち三匹獅子であり、笛方・おか獅子・万灯持ちの諸役がある。
曲目は、門掛り・すりこみ・もんぜん・花・弓・橋掛り・女獅子隠しとよばれるものなどがあり、躍動感のある勇壮な舞である。
地元では獅子舞のことを、竹で作った簓という楽器の名にちなみ、「ささら」と呼んでいる。
平成二十九年三月二十二日 久喜市教育委員会
案内板より引用
この300年の歴史ある旧鷲明神社の獅子舞は、今でも氏子の間に伝えられており、毎年7月25日(現在ではそれに近い日曜日)に、西大輪地域の三耕地(原・下出・河原)の有志の手により行われている。町指定無形文化財となっているこの獅子舞の詳しい由来はわからないが、五穀豊穣・病魔退散・悪病除け等のために行われるものといわれ、雨が降っても中止したことがないとの事だ。
西大輪神社 お仮屋
このお仮屋の中に神興が納められている。
雷電社
雷電社(西大輪神社) 鷲宮町西大輪二四三(西大輪字原)
当社の境内には、社殿が二つある。一つは、別雷命を祀る雷電社のもので、もう一つは大輪神社の「お仮屋」と呼ばれているものである。嘉永二年(一八四九)再建されたと伝えるこのお借り屋は、老朽化が甚だしいかったため、昭和三十年、桜田・鷲宮の町村合併を記念して改築された。その際、同一境内にあるこの両社を総称して西大輪神社と呼ぶことが氏子一同で決議されたが、まだ正式名称にはなっておらず、今も「雷電様」「お仮屋」と各々の通称で呼ぶことのほうが多い。
『風土記稿』西大輪村の項に「鷲明神社 村の鎮守なり、円明院持 末社大六天 天神 雷電 稲荷」とあり、この鷲明神社がお仮屋である。お仮屋の起こりは、明治の合祀によるもので、鷲神社と改称した鷲明神社は、明治四十二年五月五日東大輪の八幡社へ合併し、大輪神社と改称している。この合祀により氏神を失った西大輪では、古くからの祭礼日に大輪神社へ遷された神霊(みたま)を迎えて祭典を行うことを決め、お仮屋として社殿を残したものである。
したがって、お仮屋とは、例祭の期間だけ東大輪の大輪神社から旧鷲神社の神霊を西大輪の地に奉遷するための建物であり、雷電社は、元来、鷲神社の末社であったが、合祀の際に残されたものである。このほか往時の境外末社である大六天・天神・稲荷も残されているが、これはそれぞれ異なる祭祀組織を持っていたことによると考えられる。
「埼玉の神社」より引用
雷電社は、古くから雷の神様といわれ、降雨や雷除けなどが祈願されてきた。水田の広がる農業地域である当地では、夏にはよく雷雲が発生し、落雷もしばしば起った。雷の落ちた田には注連縄をめぐらしたり神職にお祓いしてもらう習慣が、かつては広く見られ、こうした雷に寄せる古い信仰から、当社が勧請されたのであろう。但し、雷電社としての恒例の祭事は昔からなく、お仮屋で鷲神社の例祭である神幸祭が行われる時、併せて祭られているという。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「ウィキペディア(Wikipedia)」
「境内記念碑文・案内板」等
