古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

波羅伊門神社

 波羅伊門神社の御祭神である瀬織津姫は大祓詞に登場する「祓戸四神」の内の一柱で、災厄抜除の女神である。神名の名義は川の早瀬の穢れを清めるとある。
 祓神や水神として知られるが、瀧の神・河の神でもある。その証拠に瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多く、日本全国で約500弱とも言われている。

・所在地    埼玉県大里郡寄居町保田原18
・主祭神    瀬織津姫(禍事・罪を川から海へ流し込む神、祓戸四柱大神のひとつ)
・社  格     旧村社        
・由  緒   
 文化十二年(1845年)に建立

・例  祭    不明

              
 波羅伊門神社は県道81号線熊谷寄居線をひたすら西へ進み、塩沢交差点で国道254号線に合流したら、更に西へ。露梨子交差点で埼玉県道30号飯能寄居線を北上したら鉢形郵便局先の交差点で右折、東武東上線の踏切を越えるとすぐ右側に浄恩寺があるので、その手前を右折し進んで行くとやがて左側に波羅伊門神社が見えて来る。場所的には概ね
「さいたま川の博物館」南側にある。鳥居のすぐ隣に駐車場があり、そこに止め参拝を行った
       

 
              
一の鳥居                 鳥居を抜けると正面に神門が見える
 一の鳥居の前にある石垣の配置状況を見ると、男衾の小被神社(おぶすまじんじゃ)も以前はこんな造りだったようだ。それにしても鳥居の前が交通止めのように石垣造りになっているのは不思議だ。また鳥居を抜けると正面に神門が見えるが、このような場所にこのような門を構える神社があるとは正直驚きだ。
                             
       
              神門を抜けると広い空間がひろがり、境内が一望できる。
          また写真右側に「波羅伊門神社神宝狐稲荷社改築記念碑」が見える。

『波羅伊門神社神宝狐稲荷社改築記念碑』
  波羅伊門神社は、文化十二年(1845年)に建立されました。
 歳月の経過により老朽化著しく年々氏子間で改築か話し合われ機熟して早期改築のご賛同を得ました
 歴史的なこの大改築に巡り合わせた機縁を先人に感謝し併せて子孫長久の願いを籠めて本事業を計画し壱千六百万円の貴重な神社の財産を基に、氏子の皆様にご奉賛のご協力をご依頼申し上げ、百拾余名の皆々様の温かいご支援に依ってこの改築を成し遂げたのです。
 神宝狐稲荷社については、曽て大字保田原一二八杉山いと様がその土地を贈与により社有地として奉献された経緯があり孫に当たる大字保田原三七九杉山正徳様が改築奉献されました。
 茲に両事業の経過を略記すると共にご奉賛いただいた方々のぎ芳名を記し永久に後世に伝えようとするものです。
                                          平成十二年十月吉日
       
                           
拝  殿
      
                         拝殿とその奥にある本殿                  
波羅伊門神社の御祭神は
祓戸四神の一柱である瀬織津姫命。瀬織津姫命は禍事や穢れを川から海に流す役目を受け持つ神である為、神社は川の近くに建てられることが多いようだ。

         境内社 祭神は不明                  左は金毘羅宮。右は不明
    
社殿奥にある境内社、扁額を見ると「桜宮社」とも読め      右側の石碑は大黒天を祀る
 るが。その社の奥にある中国風の境内社は不明。

 波羅伊門神社の御祭神は祓戸四神の一柱である瀬織津姫命瀬織津姫命は禍事や穢れを川から海に流す役目を受け持つ神である為、神社は川の近くに建てられることが多いようだ。また桜の神様とも言う。
 全国で瀬織津姫を祀る神社は500弱あると言われている。しかし別名に(ミズハノメ神、アマサカルムカツヒメ神、ヤソマガツヒ神、オオマガツヒ神、梓川大神、倭姫、 天伯神、弁財天、市杵嶋姫、紫波姫、オシラ様など、)の説があるが、 それらを含めるとその倍以上になると思われる。
祓戸の四神の名前『古事記』や『日本書紀』には直接登場しませんが、いくつかの古い文献にはその名が見られ、謎の多い神々とされている。
 


 

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