波羅比門神社
この瀬織津姫は歴史的にその神名を伏せられ封印されてきたためか、不明なことばかりで、その神秘さと、正逆相反する神性といい、封印され続けてきたという儚さなどから、知る人にとっては大変魅力的な神だ。ある本ではこの神の淵源は遠く縄文時代に遡るとも言われる。
瀬織津姫を祀る神社は日本全国で500社ほど存在するが、その大半は配神か合祀で、主祭神としている神社は極めて少ない。この極めて少ない社の内の二社がこの埼玉県、そしてこの寄居町に存在している事実は重要なことだ。
・所在地 埼玉県大里郡寄居町西ノ入738
・主祭神 瀬織津姫(禍事・罪を川から海へ流し込む神、祓戸四柱大神のひとつ)
・社 格 旧村社
・由 緒 不明
・例 祭 不明
波羅比門神社は国道140号線を寄居方面に進み、「末野陸橋交差点」で左折し、埼玉県道30号飯能寄居線を鉢形城方面へ道なりに直進する。途中消防西分署前の次の交差点を右折し荒川を越えて、2番目の交差点を右折して、南方向へ道なりに真っ直ぐ進み、折原駅前を抜けて約500m程で右手に静かに鎮座している。
祭神は瀬織津姫で、通称川の神と言われていて、波羅比門神社の北側には荒川が流れ、また一方、正面、西側方面には深沢川が流れているのも関係があるとも考えられるが、川の近くにある関係で祭神が瀬織津姫というのであれば、国土が狭く起伏にとんだ日本の国土はほぼこの神様だらけになってしまうので、その他の深い由緒、由来があるに違いないと考える。
鳥居から見た神社の風景 鳥居の額には三匹の青龍が絡み付いている。
鳥居の前は道路をはさんで深沢川が流れる
拝 殿
山の傾斜を利用して社殿が建てられている
本 殿
朱と白を基調とした女性的な雰囲気
波羅比門神社の両側には右手側に八坂神社、左手側に稲荷神社がある。右側の八坂神社に近づこうとしたところ、突然警報音が鳴ったので驚いた。見れば、拝殿の角にセンサーが設置されており、このスロープを上ろうとすると警報が鳴り出すようだ。おかげで八坂神社には近づかず、望遠にて撮影した。
拝殿左側にある稲荷神社 拝殿右側、坂を上った先にある八坂神社
波羅伊門神社も波羅比門神社も同じ「はらいど」と言う名前だ。祭神である瀬織津姫は、禍事・罪を川から海へ流し込む神で、祓戸四柱大神のひとつと言われている。ということは本来の神社名は「祓戸」神社ということになる。しかし、寄居という小さな街に、それ程遠くない場所に、ほぼ名前の同じ神社が鎮座しているということはどういうことなのか。
また瀬織津姫を祭祀する神社は全国に500社以上あるという。調べれば調べるほど謎の多い、同時に魅力的な女神だ。不思議なことに日本最古の歴史書である『古事記』にも『日本書紀』にもその名前が掲載されていないが、「大祓詞(おおはらえのことば)」という祝詞の文句の中に登場する「瀬織津姫(セオリツヒメ)、速秋津姫(ハヤアキツヒメ)、速佐須良姫(ハヤサスラヒメ)」の三女神として登場する。「大祓詞」は現在でも重要な祝詞と考えられていて、日本全国の神社で六月と十二月の晦日に「大祓(おおはらえ)」という儀式が行なわれるが、その際に必ず唱えられるほど、重要な女神である。(後年この三女神は瀬織津姫として習合される。)
瀬織津姫は歴史的にその神名を伏せられ封印されてきたためか、不明なことばかりで、その神秘さと、正逆相反する神性といい、封印され続けてきたという儚さなどから、知る人にとっては大変魅力的な神だ。ある本ではこの神の淵源は遠く縄文時代に遡るとも言われる。
もしかしたら瀬織津姫はこれまで思われてきた以上に奥深く、日本の古代史を解明するための鍵になるかもしれないと勝手ながら推測しているがいかがなものだろうか。