小鹿野町小鹿神社
この町の西部は急峻な山間地で、東部の荒川支流である赤平川の河岸段丘上に平坦地が開けていて、その周辺に市街地が形成されている。小鹿野町小鹿神社はその町中の北側で河岸段丘上の麓に鎮座している。
所在地 埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野1432
御祭神 春日大神、諏訪大神
社 挌 旧郷社
例 祭 例大祭(春まつり) 4月第三土曜日、及びその前日
小鹿野町小鹿神社は皆野町国神神社の参拝後に行った関係上、埼玉県道37号皆野両神荒川線を小鹿野町方向に進み、黒海土バイパス前交差点を左折、国道299号に移りそのまま直進する。小鹿野高校交差点を越えて300m弱先の十字路を左折すると小鹿野町小鹿神社の大鳥居が見えてくる。
小鹿野町小鹿神社の大鳥居
小鹿野町の歴史は古く、約1000年以上前の平安時代中期に編さんされた「和名抄」に記されている「巨香郷こ(お)かのごう」が小鹿野の始まりといわれている。
また小鹿野町は埼玉県では川越に続いて2番目に町制が施行された歴史ある町で、古い蔵や建物が多く残っていて、雰囲気のある町だ。中心部の小鹿野地区は県内でもいち早く教育・交通・産業の振興など各分野で近代化が進められ、西秩父地域の中心地として発展してきたという。
大鳥居を過ぎて道なりに進むと小鹿野町小鹿神社の広い空間が広がる。
石段を越えると二の鳥居があり、その先に社殿がある。
拝 殿
小鹿野町は、オートバイのツーリングの盛んな場所でもあり、また、その点を町おこしのひとつにしている。そのため、小鹿野町小鹿神社では、全国でも珍しいオートバイの安全祈願を行っているという。
小鹿神社は、江戸時代初期に、現在の小鹿神社がある上の森の諏訪明神と、町並の入口であった旧本殿がある町役場裏の小鹿野明神両社を、小鹿野地区の鎮守として町の東西に祀ったのが起源とされる。その後、明治43年に小鹿神社が洪水により境内が陥没したため、本殿の建物だけを残し、諏訪神社に合祀し、社号も小鹿神社になった。現在でも古くからの慣例通り、小鹿神社の例大祭では、小鹿神社と旧本殿の間を神輿の渡御、屋台・笠鉾の巡行が1年ごと交替で行われる。
本 殿 神楽殿
小鹿野といえば歌舞伎の町として知られていて、役者・義太夫・裏方にいたるまで、スタッフのすべてが地元の住民で、「町じゅうが役者」といわれている。寛政4年(1793年)に歌舞伎を上演した記録も残る。町内では、十六・小鹿野・津谷木・奈倉・上飯田・両神小森に伝承され、それぞれ地元の神社の祭に氏子が中心となって歌舞伎を演じている。町内には常設舞台が10箇所程度残り、掛け舞台や祭り屋台(山車)に芸座・花道を張り出す舞台もある。近年は子ども歌舞伎、高校生の歌舞伎、奈倉女歌舞伎などの活躍も見られる。衣装・かつら・下座・化粧・振り付けなどすべて町民でこなし、地芝居のデパートとも言われている。
小鹿野歌舞伎は昭和50年には県指定無形文化財、昭和52年に県無形民俗文化財の指定を受けている。
ちなみにこの大鳥居は祭りの際、10mを超える笠鉾がくぐるためにわざと大きくしてあるそうだ。
社殿の左側奥には豊守稲荷神社があり(写真左)、その更に奥には境内社がまとめられて祀られている(同右)。左から水速女神社、天満天神社、古峰神社、三峯神社、八幡神社、大山祇神社の六社。
国道から見える武甲山