下青鳥天神社
天神社が鎮座する「下青鳥」地区、「青鳥」と書いて「おおどり」と読む。この地名由来は今一つハッキリしていないがかなり歴史が古いことは確かである。『新選武蔵風土記稿下青鳥村(東松山市)条』には「源平盛衰記に武蔵国月田川のはた青鳥野と見へたり。古へ青鳥野と唱へしは此辺にて月田川と云るも今都幾川なるべし。隣村石橋村に宿青鳥・内青鳥と云小名あり、されば古は当村と一村なり」と書かれ、『石橋村条』に「小名内青鳥・村の中程を云ふ。当所に城蹟あり、相伝ふ往昔青鳥判官藤原恒儀と云人住せしと。是いかなる人といふことを知らず。按に隣村羽尾村の鎮守に恒儀の社あり、是れ青鳥恒儀の霊社にて天長六年九月二十四日卒せし人なりと云」と見られる。
・所在地 埼玉県東松山市下青鳥811
・ご祭神 菅原道真公
・社 格 旧下青鳥村鎮守・旧村社
・例祭等 不明
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0197723,139.3970483,17z?hl=ja&entry=ttu
下青鳥天神社は国道254号線バイパスを首都圏中央連絡自動車道・川島インターチェンジ方向に進み、「下野本」交差点を右折、その後「下野本(南)農村センター」交差点を右折する。埼玉県道345号小八林久保田下青鳥線を直進し、東武東上線の踏切を越え、4番目のT字路を左折、上用水堰を越えてすぐ先の十字路を左折すると道路沿いの左側に天神社の鳥居が見える。
駐車スペースは鳥居横と境内双体道祖神、庚申塔、地蔵・馬頭観音等が並べられている石碑等の間に若干のスペースがあり、そこに停めて参拝を行う。
桜が満開な時期に参拝
桜は日本の風土に一番似合う花であり、美意識の象徴でもある。
参道から撮影。桜がある風景はやはり一味違う。
拝 殿
現在の地域区分において、石橋地区と下青鳥地区に分かれているが、分離以前の青鳥地区は、現在の「下青鳥」地区の他、石橋地区の「宿青鳥」「内青鳥」も含め、藤原恒儀関連で滑川町羽尾地区も包括すると、南部の都機川流域までのかなりの範囲を占めていたと考えられる。
「埼玉の神社」による下青鳥天神社の由緒では「天神社<東松山市下青鳥八一一(下青鳥字下郷)>下青鳥の下郷の地は、都幾川流域の低地と自然堤防に位置する。古くから川の氾濫に脅かされてきた所で、その被害を避けるために氏子集落は自然堤防上にある。
拝殿・向拝部の精巧な彫刻
見事な木鼻の彫刻(写真左・右)
口碑によると、当社は初め都幾川沿いの低地に祀られていたが、水害の多い所であったため、元文二年(一七三七)、下青鳥が上下の二郷に分かれたのを機に自然堤防上の今の地に移されたという。ちなみに、旧社地と伝わる辺りには、天神面・天神裏などの地名が残されている」と記されている。
本 殿 社殿奥にある境内社 三峯・弁天石祠
境内社の左側には三角点(四等三角点)がある。三角点(さんかくてん)とは、三角測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点のことである。国土地理院で設置した三角点は、全国に約10万点ある。花崗岩 (かこうがん) 製の角柱を埋めてその位置を示す標石としていて、日本では一等から四等までの等級に分けられているという。
よく見ると花崗岩上部が欠けていて、[四等」と本来表示荒れている部分が見えていない。また他の三角点には、その周りに4ケ保護石ががあるのだが、ここにはそれもない。
下青鳥天神社のすぐ北側に流れている「上用水堰」
「堰」とは農業用水・工業用水・水道用水などの水を川からとるために、河川を横断して水位を制御する施設で、斜め堰とも呼ばれている。都畿川では上流から、鞍掛堰、中井堰、上用水堰、矢来用水堰、長楽堰の5つの斜め堰が設けられ、ある程度改修されているものの全体的な景観としては江戸期の取水堰の雰囲気を残している。
南北に並んでいる境内双体道祖神、庚申塔、地蔵・馬頭観音等