葦原大神社
御祭神 葦原醜男命
社 挌 不詳
例 祭 4月10日 春季大祭、10月19日 秋季例祭
葦原大神社は血洗島 諏訪神社の通りを面したすぐ西側に鎮座している。参道の入り口から右側に諏訪神社の本殿が見えるくらいの近さだ。駐車場は社の東側に真言宗智山派蘆原山観音寺大福院が隣接しておりそのの駐車場を借りて参拝を行った。
まず参道入口脇には庚申塔や大黒天、青面金剛が並んでいる。
拝殿。これは隠岐造と書いてあるサイトを見つけたが詳細は不明
葦原大神社の獅子舞は、子授けの御利益があり、当地出身で、長い間、子宝に恵まれなかった人が、子供が授かるように当社に祈願し、妻に獅子頭をかぶせてみたところ、程なく懐妊したことが評判となったことに始まる。秋の祭りの前日は、獅子頭をかぶりに遠方から毎年十数組の夫婦が訪れ参詣しており、そのほとんどに子供が授かっているという。
しかし、祭神の葦原醜男命は大国主神の別名で武神としての性格を現す名であり、荒々しいイメージがあるのに対して神徳が女性の守り神であり、子授け及び安産の神というのはやや苦しい解釈ではないだろうか。
境内社、左は天神神社、右は手長神社
葦原大神社の祭神である葦原醜男命は別名大国主命という。
この大国主命は多くの別名を持つ。
- 大国主神(おおくにぬしのかみ) - 大国を治める帝王の意
- 大穴牟遅神(おおなむぢ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち) - 大国主の若い頃の名前
- 大汝命(おほなむち)-『播磨国風土記』での呼称
- 大名持神(おおなもち)
- 八千矛神(やちほこ) - 矛は武力の象徴で、武神としての性格を表す
- 葦原醜男・葦原色許男神(あしはらしこを) - 「しこを」は強い男の意で、武神としての性格を表す
- 大物主神(おおものぬし)-古事記においては別の神、日本書紀において別名
- 大國魂大神(おほくにたま)- 国の魂、国を作った神、開拓者
- 大國主大神
- 顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)
- 国作大己貴命(くにつくりおほなむち)・伊和大神(いわおほかみ)伊和神社主神-『播磨国風土記』での呼称
- 所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)- 『出雲国風土記』における尊称
- 幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
- 杵築大神(きづきのおおかみ)
葦原醜男命の名称を考えるに、「葦原」は葦原中津国や豊葦原瑞穂の国、つまり日本の美称であり、「醜男」は醜い男という意味ではなく、荒々しい男といった意味だそうだ。この神名から想像されるイメージは出雲神話で心優しい神として描かれているものとは違い、どちらかと言えば素戔嗚に近い。これは神徳の高さを現すと一般には説明されるているが、元々別の神であった神々を統合したためこのように多くの名前が存在すると思われる。出雲神の祖であるスサノオと共に、この神は記紀神話に登場する神の中で、最もポピュラーな神でありながら、最も謎が多い神の一人だ。
また大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけている。子供の数は『古事記』には180柱、『日本書紀』には181柱と書かれている。別名の多さや妻子の多さは、明らかに大国主命が古代において広い地域で信仰されていた事を示している。そして信仰の広がりと共に各地域で信仰されていた土着の神と統合されたり、あるいは妻や子供に位置づけられた事を意味している。
そういう意味において南阿賀野に鎮座する葦原大神社の神徳が女性の守り神であり、子授け及び安産の神というのはそのような経緯からきているのではないかと思われる。