久那葛城神社
地域内には、秩父札所24番法泉寺と25番久昌寺をはじめ、各地区には神社や寺が分布し、久那諏訪神社のジャランポン祭りなどユニークな祭りや久那葛城神社の獅子舞などの先人が残してくれた貴重な文化遺産が引き継がれている。
・所在地 埼玉県秩父市久那2274
・ご祭神 一言主命
・社 格 旧中久那鎮守・旧村社
・例祭等 例大祭 4月18日(久那の獅子舞)
国道140号線を南西方向に進み、秩父市街地を通り過ぎ、上・下影森地域が微妙に入り組んでいる「秩父県土整備事務所前」交差点を右折する。北西方向に進む埼玉県道209号小鹿野影森停車場線を2㎞程進行し、「ミューズパーク入口」交差点を直進、埼玉県道72号秩父荒川線に合流し、暫く道なりに進む。進行方向左手には秩父のシンボルと言える武甲山が、いつも秩父に向かう際に見る姿とは違う山容を仰ぎ見るにつれ、不思議な感動に浸りながら1.6㎞程進むと、進行方向右手には長尾根丘陵の切り立つ崖面となる。そして、右カーブにかかる手前にある路地を右斜め方向に進むと、その正面に久那葛城神社の鳥居が見えてくる。
久那葛城神社の両部鳥居
社の案内板によると、葛城の社名については口碑に「当社の祭神である一言主命が大和国の葛城山に現人の姿で現れ、雄略天皇と対話したという故事に因んで付けられたものである」という。この話に出てくる葛城山麓には古社の一言主神社があり、修験の本山である吉野の金峰山寺を開いた役小角が修業した場所であり、秩父郡內においても役小角に関する伝説が多く伝えられていることから、当社の創建には修験が関わっていたものと思われる。
拝 殿
境内に設置されている案内板
葛城神社御由緒 秩父市久那二二七四
◇秩父修験が祀った一言主命
秩父盆地の南西端に位置する当地は、古くから秩父大宮郷(市街地)と三峰・小鹿野方面とを結ぶ交通の要所であった。当社の社殿は天狗山を背に、荒川の清流を挟んで武甲山と向かい合うように建てられており、境内の近くには鬼が淵や乳繰山などの奇勝がある。
当社は江戸中期・明和五年(一七六八)現在地に奉斎され、明治五年(一八七二)に地內の八幡神社と諏訪神社を合祀して村社となりました。
関東地方において葛城神社が祀られることは極めて珍しい為、その勧請について興味深いが、残念ながら当社の創祀を伝える記録や伝承は失われている。但し、葛城の社名については口碑に「当社の祭神である一言主命が大和国の葛城山に現人の姿で現れ、雄略天皇と対話したという故事に因んで付けられたものである」という。この話に出てくる葛城山麓には古社の一言主神社があり、修験の本山である吉野の金峰山寺を開いた役小角が修業した場所であり、秩父郡內においても役小角に関する伝説が多く伝えられていることから、当社の創建には修験が関わっていたものと思われる。
当社の大祭には古くから獅子舞が氏子により奉納され、現在は保存会により隔年に行われている。舞は静かで優雅なことから『座敷獅子』または『御殿ザサラ』と呼ばれ「鶯が梅の小枝に昼寝して笛や太鼓に目をさましくる」「野辺に咲く花に迷うて飛ぶ蝶も社の庭にやすむる」など風情ある歌が歌われる。
◇御祭神 ・一言主命
◇御祭日 ・大祭(四月十八日)
案内板より引用
拝殿の右側に祀られている石碑 合祀社二基 稲荷社・八坂社
『日本歴史地名大系』による「久那(くな)」の地域名由来として、「くな土」(薄地の意)に由来するとか(増補秩父風土記)、地内に小名が九つあったので九名といったから(秩父志)などと伝えていて、「埼玉の神社」によると、村の堺や分かれ道に祀られ、悪疫を防ぐ「岐神(くなど)神」と関連しているのではないかと記されている。
また、『郡内誌』では、当社を「山神社」と記しているが、これは現在も社殿奥に聳える天狗山上にある奥宮が氏子から「山の神様」と呼ばれているところより、山上に奉斎されていた当時の通称を記したものであるという。
社殿から参道を望む。
秩父の信仰の中心にある武甲山と向かい合うように建てられているのが分かる。
久那地域では、4月の例大祭に「久那の獅子舞」が葛城神社に奉納されている。この獅子舞は、市の指定無形民俗文化財の指定を受けている。
・久那の獅子舞 市指定無形民俗文化財 昭和32年2月8日指定
・所在地 秩父市久那2276番地2(葛城神社)
・保持団体 久那獅子舞保存会
「七ッ子が今年初めてささらする、よくはなけれどほめてくだされ。」これは、久那の葛城神社で行われる獅子舞の歌詞である。
この獅子舞は、往時駿府(静岡市)から伝えられたという。岡崎という演目や「岡崎ひーひゃら」「駿府の城で殿様は」と唄われることからも想像される。
※公開日:4月第3日曜日。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「秩父市HP」
「境内案内板」等