上中森八幡宮
・所在地 群馬県邑楽郡千代田町上中森1129-1
・ご祭神 誉田和気命
・社 格 旧村社
・例祭等 例祭 3月15日 9月15日
地図 https://www.google.com/maps/@36.1932841,139.4759106,16z?hl=ja&entry=ttu。
埼玉県行田市から「利根大堰」を渡り、群馬県に入る。そのまま北上して「上中森」交差点を右折し、群馬県道368号上中森川俣停車場線を300m程進んだ信号のある交差点を右折、「道祖神橋」を渡って突き当たるまで南下すると、進行方向右側で利根川の堤防手前に上中森八幡宮は鎮座している。
社の北側近郊には「上中森公会堂」があり、そこの駐車スペースに車を停めてから参拝を開始する。目の前には利根川の長大な堤防が、そして周囲一面田畑風景が広がる低地帯の中にポツンと静かに社は鎮座している。
上中森八幡正面
瀬戸井長良神社同様に利根川に向かって社殿は鎮座している。
『千代田村の民俗』による上中森村の解説
・名称 称呼ノ起因不詳建置已来上中森村卜称ス
・所属 上古不詳 中古ヨリ邑楽郡赤岩郷ニ属シ佐貫荘ニ隸ス 寛文元年ヨリ館林領卜云フ 明治元年九月岩鼻県ノ管轄ニ属シ仝四年二月館林藩ノ管轄ニ属シ仝年七月館林県トナル 仝年十一月栃木県ノ管轄ニ属ス 仝五年四月第七拾区ニ属シ須賀村御用取扱所ニ属ス 仝六年三月第八大区八小区トナリ御用取扱所故ノ如シ 仝年八月第拾一大区八小区二編シ御用取扱所仝上 仝九年四月十日第四大区十二小区ニ編シ須賀村御用取扱所ヲ区務所卜改メ仝村ニ置ク 仝年八月九日更ニ群馬県ノ管轄ニ帰シ第二十三大区八小区二編シ区務所故ノ如シ 仝十一年十二月邑楽郡役所ノ管理ニ属シ郡区編制ノ令ニ拠リ上五箇上中森下中森ノ三ケ村ヲ連合シテ戸長役場ヲ本村ニ置ク 仝十三年十二月分離独立シテ戸長役場ヲ本村二置ク 仝十七年七月一日上五箇上中森萱野木崎瀬戸井ノ五ケ村ヲ連合シテ戸長役場ヲ上五箇村ニ置ク
また『日本歴史地名大系』での 「上中森村」の解説によれば、「佐貫庄のうちで、永仁三年(一二九五)一二月二一日の関東下知状(長楽寺文書)によれば、「上野国佐貫庄上中森郷内田陸段、在家壱宇、畠壱町肆段」は大輪又太郎時秀から太田彦三郎貞康に所有が移っている」との記載があり、鎌倉時代には「上中森郷」が存在していたことになろう。
鳥居を過ぎてすぐ左側には上中森地域の土地改良記念にあたる「竣工記念」が建つ。
上記『千代田村の民俗』には、土地改修以前の上中森村の地形等を解説しているので、何故この地域に改修工事が必要だったのか、その理由が分かるので、是非参照して頂きたい。
『千代田村の民俗』による上中森村の地形等の解説
・水脈
利根川上五箇村ノ南端ヨリ来リ本村ノ南ニ-沿ヒ東流シテ下中森ニ入ル 舟楫ノ便アリ 然レトモ霖雨暴漲ノ際汎濫ノ憂アリ 休伯堀上五箇村リ来リ中央ヲ東流シテ下中森村ニ入ル 則本村ノ用水ナリト雖モ已南ハ灌漑ノ利ナク已北ハ其便アレドモ夏候渇水ノ憂アリ 谷田川ハ本村ノ西北隅ヨリ始リ北境ヲ東流シ大輪沼新田ニ入ル 本川ハ悪水落二シテ霖雨ノ際流通宜シカラス悪水ノ害アリ
・地形全般
地形稔魚に似タリ 閨村平担ニシテ南境ニ利根川ヲ帯ヒ舟楫ノ利アリト雖モ霜雨激潦ノ際汎濫ノ憂アリ 堤塘東西ニ旦リ休伯堀中央ヲ東流ス 則本村ノ用ナリ 然モ水量浅クシテ夏侯渇水ノ憂ヲ免レス
北部ハ窪地ニシテ谷田川ニ沿へ悪水ノ害ヲ被ル頃年ノ如シ
鳥居を過ぎて参道左手側に富士塚大神
嘗て千代田村では 、「富士講」は大正末から昭和の初期まで盛んであったという。
社の境内にある石碑にもその足跡が残されているようだ。
富士塚大神の並びに祀られている境内社 境内社二社の右並びに祀られている石祠群
境内社二社の詳細は不明 左から両社八幡宮 水神宮 稲荷宮 八幡宮 不明
拝 殿
当社の起源は文献等なく、往古は不詳。寛政8年(1796 )2月、別当である杉戸山常福院秀観の代に、社殿を造営し、その後大正卯4年11月には、社掌である南室傳氏の代に本殿・拝殿の大修繕を行っている。
また『千代田村の民俗』によると、明治5年11月より村社に列している。
境内に設置されている「移転改築記念」碑
移転改築記念 村会議長 栗原忠重書
八幡宮ハ上中森ノ守護神トシテ永年コノ郷ニ鎮座マシマスモ偶利根川堤防拡張ニ当リ昭和四十年十月二十三日境内地大福ニ買〇サレ参道ハ殆ド無クナル状態トナリ宮ノ尊厳保持ニ大ナル影響ガアルノデ敬神ノ念極メテ厚イ氏子一同ハ相談ノ結果村長川島源〇氏ニ協力ヲ求メ建設省ニ対シ社殿移転費捻出方ヲ歎願シタルトコロ快諾ヲ得タノデ直チニ建設委員会ヲ組織シ移転改築工事ニ着手ス玉垣建設ニツイテハ氏子ノ寄附ニヨル境内ノ整地其ノ他ハ総テ勤労奉仕ニヨルモノデアリ昭和四十一年三月立派ニ工事ヲ完成シタノデアル(中略)
記念碑文より引用
境内の一風景
利根川の堤防がすぐ目の前にある事がわかる。
参考資料「日本歴史地名大系」「千代田村の民俗」「境内記念碑文」等