大間々町塩原貴船神社
地形は南北に長く、北部には足尾山地が連なり、その山塊に源をもつ渡良瀬川が市の北東から南東にかけて流れている。東町地区の主な地域はこの渡良瀬川に沿うように形成されていて、上流部には草木ダムが豊富な水をたたえ、首都圏に水を供給する役割を担っている。中部から南部にかけての地域は、渡良瀬川の清流がつくりだした「大間々扇状地」により形成されている。
この大間々扇状地は、足尾山地に源を有する渡良瀬川が赤城山の南東部の麓で関東平野に達し、桐生市から伊勢崎市や太田市に達する地域に土砂を堆積して形成されている。
扇頂部はみどり市大間々町付近。この旧大間々町(おおまままち)は源を日光の山並みに発する渡良瀬川が、赤城山の東麓をとおり関東平野に出て作った扇状地の要に位置する。
大間々(おおまま)の「まま」とは、切り立った傾斜地崖「まま」のことで、町の面積の70パーセントが緑におおわれた緑豊かな場所である。嘗ては、足尾銅山から発掘された銅を運ぶ銅山街道(あかがねかいどう)の宿場町として、また絹や農作物の市場として栄えた町であるという。
旧大間々町北部の塩原地域に鎮座する貴船神社は京都・貴船神社の分霊を祀ったとされ、例年県内一の20万人もの初詣参拝者が訪れるという信仰篤い社でもある。
・所在地 群馬県みどり市大間々町塩原785
・ご祭神 高龗神 大山祇神 大穴牟遅神
・社 格 不明
・例祭等 節分祭 2月1日-3日 例大祭 5月1日
秋祭 10月1日 他
筆者が在住する埼玉県熊谷市からは、国道17号バイパス「西別府」交差点先の上武道路に合流し、利根川を越え群馬県に入り、伊勢崎方面に向かう。17㎞程進んだ「流通団地前」交差点を右折し、栃木県道・群馬県道39号足利伊勢崎線沿いに東行する。その後「流通団地東」交差点を左折、今度は群馬県道291号境木島大間々線を大間々町方面に北上し、国道122号線と交わる丁字路を左折、渡良瀬川を越えた直後の群馬県道257号線との交点にある丁字路を左折し、3㎞程同県道に沿って進むと大間々町塩原貴船神社正面に到着する。自宅からこの社まで40㎞程、途中でいくつか別件にて寄り道をしたが、1時間30分位で到着することができる。
大間々町塩原貴船神社正面
参拝当日は残念ながら雨交じりの天候で、平日の為、他の参拝客は全くなし。雨の影響からか足尾山系には霧も発生していたが、それが不思議と紅葉時期とのコントラストに絶妙に合い、また社周辺の鬱蒼たる森の目の前に立った時、自分の存在の小ささを実感したと共に、何万年という途方もない月日を通して熟成されて到達した日本人独自の「天地自然の法則」、つまり大自然を畏れ謹み崇めて神としてきた考え方に深く共感する次第だ。
当たり前のことだが、人間は水がなくては一日たりとも生きられない。本来その水を育むものは豊かな緑、森林であり、日本の神様は「清浄」を最高としている。その清浄をもたらす根源は水である。
その水の神様として高龗神を祀っている大間々町塩原地域に鎮座する貴船神社にやっと参拝することができた。感激もひとしおだ。
大間々町塩原貴船神社 正面一の鳥居
鳥居は石段に達するまでに3基見え、自然と厳かな気持ちにさせてくれる。
当社は大間々町の中心から足尾街道の対岸を渡良瀬川に沿って遡上した地にある古生層の断崖上に鎮座し、赤城山の雄姿を仰ぐこともできるという。
社伝によれば、天暦10年(956年)に関東地方が干魃に襲われた際、山城国の貴船神社(現在の京都府京都市左京区鎮座の貴船神社)から神霊を勧請して降雨と五穀豊穣を祈願したところ霊験著しく甘雨を得たため、渡良瀬川流域の山地に祀ったのが創まりで、江戸時代の寛文8年(1668年)に現在地に遷座したという。
参道を進む途中、左側には環境庁・群馬県が設置している社の案内板がある。
社の創建に関して、国家省庁や、地方自治体のお墨付き頂いた看板にも見える。
案内板の左側には鳥居があり、その先には手水舎がある。
この手水舎の奥から、斜面上に祭られている境内社群に向かう道があるようだが、
正面参道に戻り、参拝を改めて行う。
石段の様子
石段の真ん中付近には4基目の鳥居があり、そこを越えるともうすぐ境内が見えてくる。この石段の両脇にも豊かな木々が生い茂げり、森の中で浄化された空気を体いっぱいに吸いこむと、体の隅々まで清められたかのようなすがすがしさに包まれるような気持ちになるから不思議である。
拝 殿
案内板
(但しこちらは入り口付近に設置されている案内板。境内にもあるが、内容はほぼ同じなのでこちらを紹介する)
貴船神社由緒
●創立
平安時代の天暦十(九五六)年、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高おかみ大神で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8(一六六八)年といわれています。
●御祭神
御祭神は高龗大神のほか、大山祇大神、大穴牟遅大神が合わせてまつられています。
高龗大神(たかおかみのおおかみ)
水の神さまで国土を永遠に湿潤にして草木の生育をたすけ、人々の生活を豊かにする。雨をともなう龍神としての信仰があり、特に雨乞いの神として崇められてきた。
大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)
山々の精霊を統括支配し、五穀豊穣をもたらす神。
大穴牟遅大神(おおなむちのおおかみ)
国土を治め、守護し、人々の病めるのを治し、不幸を救う神。
外数神
●御神徳
貴船大神は、関東地方を干ばつから守り、古くから水の神さまとして信仰されてきました。人類をはじめ地上に生育する全ての生物は一として水の恩恵を受けないものはありません。ですから貴船大神を崇敬し、その御神徳に浴すことは、衣食住の安全、即ち生活の保証を得ることになり、家内安全、商売繁盛、水の浄化力から厄除の神、また水の力は願い事を成就させるとして心願成就の神、そして交通安全の守護神として篤く崇敬されています。
●貴船信仰
貴船の神は開運の神・心願成就の神として信仰されています。貴船神社の「きふね」は、昔は「気生根」とかかれ、水は気の生ずる根源であり、生命の原動力である気が蘇ると元気が出て運が開け、願い事を成就できるという信仰です。水神の鎮まる貴船神社に参拝すると、気力が生じて願い事を成就できることから縁結び、恋愛成就の神としても知られています。 このように貴船の神は、衣食住の源である水を司る神、その水の源である雨をもたらす神として、また開運・心願成就の神として人々の崇敬をうけてきました。
案内板より引用
拝殿に掲げてある扁額 境内には小さいながらも手水舎あり。
貴船神社境内から石段を下るその一風景
石段には踊り場が数カ所あり、その右手の先には境内社群が祀られている。
赤い鳥居の先には境内社があり、その周りにも古そうな石祠が並んで祀られている。
案内板の記載によると、昔「貴船」は「気生根(きふね)」と書かれ、水は気の生ずる根源であり、生命の原動力である気が蘇ると元気が出て運が開け、願い事を成就できるという信仰であるという。そのことから、縁結びや開運、心願成就の神様としても広く信仰されている。
人が事成す時は、やはり「気」は必要なのだ。そのことを改めて感じさせてくれたことに対して感謝をしながら、この厳かな雰囲気の社参拝を終えることができた。
参考資料「みどり市HP」「旧大間々町HP」「貴船神社公式HP」「Wikipedia」等