大天白神社
江戸時代末期以降、青縞(あおじま)の生産が行われ、現在も衣料の街で有名だ。市名の由来として、市内の神社にある懸仏に、天正18年(1950年)太田埴生庄との銘があり、埴(はに、赤土の意)が生(う、多いの意)であることを表しているといわれている。また埴輪(はにわ)がなまったものという説もある。
文字としては、「鎌倉大革紙」に、長尾景春が文明10年(西暦1478年)に羽生の峰に陣取ったことが記されている。 また、「小田原旧記」には、武州羽丹生城代中条出羽守との記載があり、埴生、羽生、羽丹生の三種が今まで用いられていた。(羽生市史上巻より)
所在地 埼玉県羽生市北2丁目8番13号
主祭神 大山祇命、大巳貴命、少彦名命
社 格 不明
由 緒 弘治三年(1557年)に羽生城主木戸伊豆守忠朝の夫人が安産祈願
の為に勧請し創建。後に木戸氏と成田氏の合戦により焼失したが再
建され、以来、安産・子育ての神として信仰されている。
大天白神社は羽生市北2丁目、羽入市役所から北西方向に約2kmのところに鎮座する。神社までの経路は住宅の生活道路のような狭い道を入ってくるので、ナビがないとわかりにくい。神社と公園が隣接しており、一の鳥居の先にはは見た通り藤の棚が出迎えてくれた。ここは大天白公園と言って平成13年にリニューアルした藤棚の面積は770平方m。紫色と白色の藤あわせて60本が植えられているとのこと。
この大天白神社は大山祇命を主祭神として、大己貴命、少彦名命を祀っている。『埼玉の神社』には、川に関係のある神社と思われるとあり、祭神は、『武蔵國郡村誌』には、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)とあり、内陣にも倉稲魂命の御影掛け軸があるから、元は稲荷神を祀っていたのではないかというが詳細は不明だ。
大己貴と少彦名とが祭神となっているのは、明治40年に、大字羽生字栃木にあった蔵王権現社を合祀した結果であり、大天白神は羽生城主木戸伊豆守忠朝の夫人が安産祈願のために、弘治元年(1555年)に勧請したという。
ちなみに藤は羽生市の花である。
この藤棚は左側にカーブし、その先に大天白神社が正面に鎮座している。その反対側は駐車場で20~30台駐車可能。
大天白(だいてんばく)神社
祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)を主神に大巳貴命(おほなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神である。
この神社は、弘治三年(1557年)三月羽生城主木戸伊豆守忠朝の夫人が安産祈願のために勧請し創建されたと伝えられる。その後、上杉氏(木戸)と北条氏(成田)の数度の合戦により社殿は焼失したが、里人達の熱心な勧進によって再建された。
以来、安産・子育ての神として信仰されており、毎年五月と十月に例大祭が開かれている。
昭和五十五年三月 埼玉県
拝 殿
本 殿
県北に位置しながら、上毛地方特有の派手な様式でなく安心した。
大天白あるいは天白を名とする神社は静岡県から愛知県、三重県に多く、名古屋市に天白区や天白川があることはよく知られている。天白神社については、農業神、旅の神など諸説があって、はっきりしたことはわからないらしいが、一説によれば、縄文時代から続く土着系信仰ではないかという、
ただ正直天白神とはなにか、これがまた正体がよく判らない。海や川を鎮める神(水神?)であったり、星の神であったり養蚕・織物の神であったり、他にも天津ミカ星やミシャグシ神とも関連があったりと謎だらけの神だ。