黒浜稲荷神社
・所在地 埼玉県蓮田市黒浜3834-1
・ご祭神 宇迦之御魂
・社 格 旧無格社
・例祭等 初午 2月初午 春祭り 4月8日 秋祭り 11月28日
蓮田市黒浜は南北に長い地域であり、黒浜稲荷神社が鎮座する字八貫野は地域最北端にあり、南新宿地域と接していて、実は南新宿久伊豆神社からも非常に近い場所に社はある。なんでも新宿は現在の行政区では大字西新宿と大字南新宿に分かれ、南新宿の一部は大字黒浜になっているようだ。「埼玉の神社」によれば、南新宿は、上宿・下宿・染谷・請野の四耕地からなり、当社の氏子区域は、この南新宿の全域で、ほかに鎮座地である大字黒浜の字八貫野の古くからの住民も当社の氏子に入っているという。なにより、社の境内で南側に隣接している建物の名が「南新宿自治会館」であることも、それを示していよう。
黒浜稲荷神社正面
南新宿久伊豆神社の北側を東西に通る埼玉県道145号白岡停車場南新宿線を東行し、「南新宿」交差点を右折、その後道なりに南下すると、進行方向右手に黒浜稲荷神社の鳥居が見えてくる。ありがたいことに、道路沿いに駐車専用スペースも確保されている。
境内の様子
左側に見える建物は南新宿自治会館
拝 殿
稲荷神社 蓮田市黒浜三八三四-一(黒浜字八貫野)
南新宿は、白岡町の篠津の宿の南に開かれた宿であり、その地内には「殿様の通り道」が通っていたという。集落は、その道沿いに開け地内には今も「アブラヤ」「クシヤ」「フクダヤ」「ロクダナ」など、商売をしていた当時の屋号を残す家がある。当社は、この集落の西方にあり、集落の南西の外れには久伊豆神社が鎮座している。
当社の勧請の年代は不明であるが、古くから南新宿の人々によって祀られてきた。『風土記稿』新宿村の項には、当社についての記述はない。境内地が黒浜の地内にあることから推測すると、黒浜村の項に「稲荷社 村民持」とある神社が当社のことと思われる。一方、久伊豆社については、城村の項に「当村及び新宿村の鎮守なり」と載っており、明治初年にはこの社を城村から譲り受け、南新宿村の村社とし、当社を無格社とした。しかし、実際は江戸時代以来今日に至るまで、当社が鎮守として意識されており、このことは、元旦には久伊豆神社の二倍ほどの参詣者が当社を訪れることにも表れている。
とはいえ、太平洋戦争後の混乱期には当社の境内も荒廃し、正に無残な状況で、この折に絵馬や額などが薪として何者かに燃やされてしまった。しかし、戦後の復興に伴い、そうした状況から立ち直り、境内の整備も進められた。境内にある南新宿自治会館は、その一環として社有の山林を開いて建設されたものである。
「埼玉の神社」より引用
社殿の左側にある御神木
かつて当社の境内には、樹齢約400年以上で、目通り5.8m、鷹さ40m以上という杉の巨木があり、氏子から御神木として大切にされてきた。地上2.8mのところから幹が二股に分かれたこの御神木の姿は、10㎞離れても分かるほどで、氏子の自慢の一つでもあったという。この古木は、昭和43年頃に至り老齢の為枯死寸前となったために伐採されたが、これを惜しむ氏子らによってその跡に記念碑が建てられている。
境内の一風景
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」等
