古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

於菊稲荷神社

 新町小学校西には稲荷神社が鎮座する。この社は通称お菊稲荷と呼ばれている。お菊の伝説は角渕のお菊.南部藩のお菊、大黒屋のお菊など諸説あるが、霊験あらたかにして参詣者が絶えなかった。特に文化.・文政頃から嘉永初めまで隆盛を極めた。参詣者は上野国内にとどまらず吉原の遊女・歌舞伎役者・両国力士など江戸の人々も多かった。特に遊女の参詣が多かった。遊女達によって数百の絵馬が随神門に奉納されたが、昭和三十六年老朽のため随神門は取り壊され、その内の二十数点が本殿内に納められている。そこには文久二年猿若町三丁目三茶屋.当所近江屋以久•当所松本屋重のなどの文字が見られる。幅一間の大型のものが多く、金井研香や、石川梅英など当時の名のある画家の作である。
 於菊稲荷の繁栄を物語るものに水屋と神楽殿がある。水屋の彫刻は極めてすばらしい。水鉢には大窪詩仏の筆蹟で「冰香」のゆったりとした文字が記されている。文政九(一八二六)年宿の有志によって奉納されたものである。神楽殿は妻入りで唐破風型である。太々神楽の額の文字は永平寺管長の直筆である。今なお住民の信仰が厚く、普段の日も参詣者があり、子供や自動車のお払いなどしてもらう人も多い。
                       『群馬県歴史の道調査報告書11:中山道』より引用
        
             
・所在地 群馬県高崎市新町247
             
・ご祭神 宇迦之御魂 大己貴命 大田命 大宮姫命 保食命
             ・社 格 不明
             
・例祭等 福だるま市 18日 例大祭(春祭り)4月上旬 他
 新町八坂神社から旧中山道を600m程北西方向に進んだ先の十字路を右折し、住宅街の中新町カトリック教会の北側隣に於菊稲荷神社の入口の赤い鳥居が見えてくる。地図を確認しると、「新町第一小学校」の西側に位置している。社の境内西側にある高崎市指定文化財である「橋場町の屋台」が見える向かい側に駐車スペースあり
        
                  於菊稲荷神社正面
 
入口付近に設置された社の境内案内及び経路図     南北に長い参道には多くの
                          赤い鳥居が奉納されている。
        正面入り口のすぐ脇に祀られている雷電神社(写真左・右)
雷電神社
御祭神 火雷大神・大雷大神・別雷大神
諸願成就・火水疫難除け・子供の健全育成・知恵勇気育成の神様
【雷電神社由来記】
 当社は、元禄の昔より此の地に鎮座ましまし、諸願成就、火水病○難除け神として、又、非常に気性激しく強き神なれば開運を○り、子供の健全育成 知恵と勇気を授ける、いとも霊験あらたかなる大神です。
 氏子崇敬の信仰厚く、毎年祭典が盛大に執行され、子供の楽しい催し、色々ありましたが、大戦事中に神社は荒廃し祭典も途絶しておりました。
 昭和五十一年度、三区神社総代、祭典役員等発起人となり、区長区民に回り協力を得て、又、地区の篤志家の御奉納もあり、茲に神社の再建を致しました。

 皆様の守護神として御信仰してください。
        
               手入れも行き届いた雰囲気の良い社
        
                             赤い鳥居の先に鎮座する拝殿 
 於菊稲荷神社の創建年代は不明ながら、天正10年(1582)の神流川の戦いで、北条氏政公が守護神の稲荷大明神に戦勝祈願をしたところ、白いキツネが現れて、戦いに勝利したことから、そのころ小祠だったこの神社を立派な社殿に再建したという。
 その後、江戸時代中期の宝暦年間(17511764)、新町宿に「於菊」という美しい娘がいた。ところが重病に罹り療養生活を送っていた。於菊が当社に病気平癒を祈ったところ、病気が治り元気になった。その際に「人のために尽くせ」という霊夢を見、後の半生を当社の巫女として生きることになった。於菊は予知能力を授かり、様々な物事を言い当てるようになった。そのことが評判を呼び、いつしか「於菊稲荷神社」と称されることになったという。
 
       高崎市指定文化財「
於菊稲荷神社水屋 附手水鉢石(写真左・右)
          (高崎市指定重要文化財
昭和55110日指定)
 宝暦年間(175164)落合新宿大黒屋の娼婦於菊のうえに奇跡的な霊験が顕れて以来、於菊稲荷の通称で遠近から多くの信者を集め、新町の名所としておおいに賑わいました。
この水屋は、文政61823)年、新町の人々の浄財により創建されたもので、手水鉢石の「冰香」の筆跡は寛政の大詩人・大窪詩仏の書によるもので、デザイン的にも優れています。
                                      
高崎市HPより引用
         
             高崎市指定文化財 
於菊稲荷神社 絵馬
 於菊稲荷神社絵馬二面(高崎市指定重要文化財 昭和55110日指定)
 武者絵・村上義光奮戦記(板面著色・額装)
・作者:石川梅英
・制作年代:文政31820)年
・奉納者:不明
 若々しい中央の若者が、右手で一人の鎧武者を高々と差上げ、足下にはもう一人の武者を踏み敷くという勇ましい絵柄で、若武者のりりしい表情と足下の武者の絶望的な顔とが対照的に面白い。
 遊女参詣(板面著色・額装)
・作者:狩野美信
・制作年代:明治81875)年
・奉納者:丸富楼の遊女
 遊女6人と妓楼の者4名を描き、羽織の紋に源氏名がある貴重なもので、当時の風俗を知る格好の資料です。作者の狩野美信は幕末から明治にかけて活躍した新町宿の絵師で、本姓は石川であるといいます。
 いずれも大型で遊女が奉納したもので、新町宿在住の絵師によって描かれています。
                                      高崎市HPより引用
        
              社殿の左側に祀られている白狐社
        
                    神楽殿
   太々神楽の額は埼玉県にある大乗寺の愚禅和尚の筆で、江戸時代の神仏習合を今に残す。
    昔より神楽が奉納されてきたが、近年では例大祭時に巫女舞が奉納されるという。
        
              社殿の右側にある白狐塚と太子堂
 
 社のすぐ西側にある橋場町(三区)の屋台    屋台の脇には案内板も設置されている。

 高崎市指定文化財 橋場町(三区)の屋台
 新町に鉄道が開通することになり、祝賀のために明治十五年、製作費五五〇余円(平成十五年現在で二.二〇〇万円相当)かけて、東京日本橋ね人形師 原舟月に注文し、製作したものである。
 仲町(二区)の山車とともに、同時期同じ作者に注文して建造したものであるが、まったく異なる様式であるところに両町の心意気がうかがわれる。
 屋台の屋根や妻に意匠をこらしてあり、とくに正面を飾る上り下り龍の柱の彫刻は造形美を極める。江戸後期に流行した神社建築の彫刻装飾の系譜をひくものである。
                                       案内板より引用




参考資料「公式HP」「群馬県歴史の道調査報告書11:中山道」「高崎市HP」
    「ウィキペディア(Wikipedia)」「境内案内板」等

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