黒浜久伊豆神社
8世紀の奈良時代には、『奈良の大仏』に象徴される大規模な国家的事業が推し進められ、諸国には国分寺や国分尼寺が建てられ、各地に瓦(かわら)や須恵器(すえき)を焼く窯などが作られた工房が設けられた。蓮田市内でも、鉄の生産が行われていたことが荒川附遺跡や椿山遺跡などで判明している。市内では奈良時代の遺跡が9ヶ所、平安時代の遺跡が18ヶ所、貝塚2ヶ所も確認されているが、その多くは『製鉄』に関連した遺跡である。出土している鉄の分析結果では、砂鉄を原材料とした製品であると判明していて、全国的な鉄生産と同じ形態であることがわかっている。市内で発見されているのは小鍛冶(こかじ)工房跡が多く、砂鉄から鉄の塊(かたまり)を作る大鍛冶(おおかじ:製鉄炉)や、燃料となる木炭を焼く窯などは多くは発見されていない。この砂鉄は台地が洗われ流れ出た砂鉄が蓮田の地の川辺で堆積し、これを活用していたものと考えられる。
因みに、市内の製鉄集落でも椿山遺跡は、平将門の乱が起こった頃にピークがあり、勢力下にあったことから、その時期には武器製造の一翼を担っていた事も推測 されている。
「黒浜(くろはま)」の地名の発祥は、砂鉄の黒に由来するとも考えられるという。発掘では「金屎(かなくそ)」と呼ばれるものが多く出土するが、小鍛治精錬の際に発生するもので、実際には『ゴミ』である。一部は再利用され、製品の形状を整える際の台座として利用されているものもあるようだ、また、この時代には土錘(どすい)と呼ばれる土製の錘(おもり)が出土し、玉状と管状に分類される。漁労用や編み物用と考えられ、ここにも水の恩恵が推察される。市内で出土する多くは、玉状を中心に小型のものが大部分を占めるが、荒川附遺跡(あらかわづけ:関山3・4丁目)では流れの速い上流域で発見されるような大型の土錘も出土している。
・所在地 埼玉県蓮田市黒浜1346
・ご祭神 大己貴命
・社 格 旧黒浜村鎮守 旧村社
・例祭等 初午祭 2月初午 春季例祭 4月15日 天王祭 7月14日
十五夜祭 9月15日 秋季例祭 10月9日 他
蓮田駅東口から駅前通りを東行し、川島久伊豆神社の先にある元荒川に架かる宮前橋を越え、更に道なりに進む。その後、「藤ノ木坂」交差点のある路地を右折、埼玉県道162号蓮田白岡久喜線を500m程南下すると、「黒浜南小学校(南)」交差点に達するその手前で進行方向右側に黒浜久伊豆神社の鳥居や社号標柱が見えてくる。
黒浜久伊豆神社正面
『日本歴史地名大系』 「黒浜村」の解説
城(じよう)村の南、元荒川左岸に位置する。東は長崎村など、西は同川を隔てて上蓮田村、南は笹山(ささやま)村。村の南東に上沼(二〇町余)と下沼(五〇町余)がある。下沼は笹山・長崎二村にまたがり、溜井としても利用された。元荒川には水除堤があり、南の川島村に通じる道に土橋が架けられている(風土記稿)。戦国期頃に成立したとみられる市場之祭文写(武州文書)に「武州崎西郡黒浜市祭」とみえる。小名に堀ノ内があり、野口氏館があったと伝える。永禄七年(一五六四)太田資正が国府台合戦で小田原北条氏に敗れた後、資正の郎党野口多門が帰農して居住したといわれる(岩槻巷談)。江戸時代初期には笹山村・長崎村を含んだといわれ(風土記稿)、元禄期(一六八八―一七〇四)までに両村が分村したと考えられる。
鳥居の左側に設置されている案内板 文化財の標柱も設置されている。
左側の文化財には「円空作佛像」と記されている。この円空(1632~1695)は、江戸時代前期、美濃国(岐阜県)に生まれた僧侶であるが、詳しい生い立ちについては、いまだに多くの謎が残されている。彼は不幸な人々を救うため、12万体の仏像を残すことを誓い、旅に出て数多くの仏像を彫り続けた。
岐阜を出発した円空は、青森を経て北海道に渡る。そして北国の旅を終えて故郷に戻り、40代半ばを過ぎるまでの10数年間、更に仏像づくりに打ち込んで、ごつごつした彫り痕を特徴とする、一刀彫り(いっとうぼり)の手法を確立した。独自の手法を確立した後は、岐阜、滋賀、愛知などに活動範囲を広げ、さらに関東に足を延ばし、日光を訪れる。関東地方にはおよそ4年間滞在する。この際、蓮田の黒浜、江ケ崎にも立ち寄り、仏像を残した。市内には今も24体の像が残されていて、そのうちの観音菩薩立像など18体が、久伊豆神社の宮司である矢島家で発見された。矢島家の円空仏は、埼玉県の指定文化財(「矢島家円空仏群(やじまけえんくうぶつぐん)」)になっており、大部分が埼玉県立博物館で保管されている。
円空の手による仏像は、今のところ全国で4,500体あまりが確認されていて、埼玉県内の円空仏は151体。これらの多くは大宮、岩槻、蓮田など、日光御成街道沿いの地域で集中的に見つかっているという。
参道途中にある二の鳥居
蓮田市の黒浜の地は、元荒川の左岸に位置する農業地域で、元荒川に面する台地上には「黒浜遺跡…縄文時代の貝塚群および環状集落の遺跡」「雅楽谷(うたや)遺跡…埼玉県の縄文時代後期・晩期(約4000~2500年前)を代表する遺跡のひとつ」「椿山遺跡…古墳時代末期、7世紀ごろのものと思われる古墳があり、直刀や勾玉などが数多く出土」など、考古学上重要視されている遺跡が数多い。また、字堀ノ内は、永禄7年(1564)の国府台合戦で小田原北条氏に敗れた太田資正の郎党野口多門が帰農して居住した所といわれ、更に、戦国期ごろに成立したと推定される「市場之祭文写」にも「武州崎西郡黒浜市祭」と載るところから、室町時代後期には相応の村落が形成されていたことが推定されている。
蓮田市の指定を受けた保護樹林の参道の先に社殿が見えてくる。
保護樹林 指定番号 第3号 指定年月 平成2年4月
地域の方々にとっても大切な鎮守の森として保存されている。
『風土記稿』にも記されているように、江戸時代の初期までは笹山村・長崎村も黒浜村のうちであった。黒浜村の鎮守であった当社の氏子区域は、かつての黒浜・笹山・長崎の三か村にわたっているが、このことは、笹山・長崎の両村が分村する前から当社が黒浜の鎮守として信仰を集めていたことを示すものといえよう。元来は農業地域であったこれらの地域も、今では住宅地として開発が進み、多くの転入者を受け入れるようになった。そのため、三地域合わせて世帯数は三千戸を超えるが、氏子に入っているのは旧家を中心とした九百戸程である。但し、長崎では歴史的な経緯もあり、諏訪神社を祀っており、黒浜の中でも八貫野は南新宿の稲荷神社の氏子に入っている。
参道沿いに設置されている社の案内板 参道右側に祀られている稲荷神社
稲荷神社の左側にある富士登山記念碑
、
参道左側には「伊勢参宮記念碑」が4基あり(写真左)、対する参道右側には奉納碑や伊勢参宮記念碑、富士登山記念碑、甲子待講碑等(同右)がある。
拝 殿
『新編武蔵風土記稿 黒濱村』
久伊豆社 寶藏院持、下同じ、末社 稻荷社 〇天神社 〇神明社二 一は同寺持、一は村民持、 〇稻荷社 村民持
寶藏院 本山派修驗、葛飾郡幸手不動院配下、花盛山と號す、開山隆意享祿四年十二月二十七日寂す、此隆意は上總國に住せし眞里谷三河守信重が子孫、勝頼母介常秋が子にて、信濃守景勝と云、後修驗となりて當所に住せし由、所藏の系圖に見えたり、
久伊豆神社 蓮田市黒浜一三四六(黒浜字天神前)
『明細帳』によれば、当社は室町時代の享禄年間(一五二八-三二)に、本山派修験の大泉院が騎西町の玉敷神社から分霊を勧請したことに始まる。大泉院は、文明十三年(一四八一)に上総国久留里城主勝(すぐれ)信濃守源景勝という者が修験者となり、当地に土着して花盛山神宮寺と号したが、その子俊正の代に大泉寺と改めた。その後、大泉院は江戸時代に宝蔵院と再度寺号を改めた。また、慶長十六年(一六一一)に、右の勝俊正ほか五八名が願主となって社殿が建立されたという。以上の記録から、創建当時の当社は大泉院の一角に祀られた小祠であったが、慶長十六年に現在地に鎮守にふさわしい社殿を設け、村全体で祀るようになったと思われる。その後、宝暦二年(一七五二)に神祇管領ト部兼雄から「久伊豆大明神幣帛」を受け、数度の再建・営繕を経て、明治維新を迎えた。ちなみに、現在の本殿は、棟札によれば天明八年(一七八八)九月に竣功したものであり、昭和五十八年には市の有形文化財に指定された。
『風土記稿』黒浜村の項に「久伊豆社 宝蔵院持」と載るように、江戸時代の当社は宝蔵院が別当であったが、明治になると神仏分離によってその管理を離れて村社となり、明治四十三年には字天神前の菅原神社と字前原の神明社を合祀した。一方、廃寺となった宝蔵院は勝姓を名乗って復飾し、その後は氏子として神社運営に協力している。
「埼玉の神社」より引用
本 殿
境内に設置されている本殿の案内板
蓮田市指定有形文化財 建造物
黒浜久伊豆神社本殿
昭和五十八年四月一日指定
黒浜久伊豆神社は、室町時代の享禄年間(一五二八年頃)に騎西町の玉敷神社を勧請したといわれ、その祭神は大己貴命である。
流造り銅板葺の本殿は、保存状態がたいへん良く、江戸時代後期の神社建築の様式がよく分かる貴重な資料となっている。また、その一部に施された彫刻も優れた作風を示すものである。
この流造りというのは神明造り・大社造りなどといった神社建築の中で、正面の屋根だけを長く伸ばすもので、全国の神社に多く見られるスタイルである。
本殿の大きさは、幅二m、奥行き一・八m、五段ある正面階段は、幅二m、奥行き一・六五mを測り、その基礎は、江戸時代後期の亀腹式の礎石である(以下略)。
案内板より引用
静まり返っている社
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「蓮田市HP」
「はすだ観光協会HP」「境内案内板」等
