森飯玉神社
・所在地 群馬県藤岡市森139-1
・ご祭神 倉稲神 菅原道真公 素戔嗚命 大穴牟遅命
建御名方命 大日孁命
・社 格 旧村社
・例祭等 春季例大祭(獅子舞奉納) 3月15日に近い日曜日
国道17号線「立石北」交差点を左折し、「第二拾弐踏切」を越え、更に250m程南西方向に進むと、進行方向左手に森飯玉神社の境内に入る事が出来る細い路地があり、そこから社の境内に入る。この場所は境内裏手にあたり、社は丁度背を向けたような配置になっている。境内の反対側である南側には鳥居と社号標柱、そしてその鳥居の先の敷地内には「森公会堂」もある。群馬県道・埼玉県道23号藤岡本庄線沿いに鎮座し、「森」という地域名に反して、社の周囲は閑静な住宅街に囲まれている。
森飯玉神社正面
境内は綺麗に整備されていて、社殿も新しい。鳥居の左に見えるのが森公会堂。
『日本歴史地名大系』 「森村」の解説
立石(たついし)村の西、南は中栗須(なかくりす)村、西は中村に接する。永禄二年(一五五九)の「小田原衆所領役帳」に垪和又太郎が上州で給された地に「五拾貫文 森之内中村郷」があり、同六年に武田信玄との申合せによって「森郷内小林右馬允分」は安保氏に与えられている(同年五月一〇日「北条氏康・氏政連署知行宛行状」安保文書)。
寛文郷帳では幕府領、田方一八四石八斗余・畑方五二四石八斗余、元禄郷帳では前橋藩領。後期の御改革組合村高帳では幕府領と旗本水上領の二給、家数五八。中山道新町宿(現多野郡新町)の助郷高七一一石を勤め(享保九年「新町宿助郷帳」田口文書)、文化一二年(一八一五)の尾張藩主帰国の際には御用物御継立場に人足三四人を出している(「新町宿人馬寄高并継立書上帳」内田文書)。
境内東側にある神興庫
森地域には、約270年以上の歴史がある「森の獅子舞」が当社の春季例大祭にて奉納されている。「ぐんま地域文化マップHP」によると、この森の獅子舞は、江戸時代中期の1712年3月15日(正徳2年)、当時森村神宮であった塚越大和守正屋は、稲の精霊とされる穀物の神様である「倉稲魂命」を祭神とする神社の建立を時の中御門天皇に申し出て裁許状を下賜され、塚越家の所有地である森村飯玉久保にお宮を安置し、飯玉大明神と命名した。大明神の神前には村民が五穀豊穣と無病息災を祈願する姿が絶えなかったそうである。
1750年4月、隣村の神明宮の春祭りで神楽や獅子舞を見るにつけ、森村も獅子頭を購入して大明神に奉納しようと気運が高まり、村民が出し合った金子を元に、村役が内山峠を越えて信州佐久から獅子頭を購入し、舞形や笛は和紙に認めていただき、近隣師匠の応援を得て1751年3月15日の大明神の春祭りで獅子舞を奉納したのが始まりである。以来、舞い手はその家の跡継ぎとし、笛吹は各家庭から1名が参加して現代まで伝承され、江戸時代から明治、大正、昭和と受継がれ、本年で265年の歴史を刻むそうだ。
流派は「稲荷流」で、カンカチ1人、前獅子(雄)1人、中獅子(雌)1人、後獅子(雄)1人の4人構成で舞を行う。舞は全部で27舞あり、獅子頭は当初の物と平成19年に新調した物と2組ある。 全て漆塗りで髪の毛は馬の毛である。
昭和12年から昭和21年まで時の大戦により休止となっていたが、 昭和22年、獅子舞の経験者である針谷弁三氏を師匠として青年団を中心に復活、昭和50年からは、森子供育成会の協力を得て、従来の仕来りを排除して希望する子供達全てに舞や笛を伝授しているとの事だ。
拝 殿
飯玉神社改築記念碑
所在地 藤岡市森字飯玉久保一三九番地の一
祭 神 倉稲神 菅原道真公 素戔嗚命 大穴牟遅命 建御名方命 大日孁命
神道は天地悠久の大道であって崇高なる精神を培い太平を開く基である
当社に明和二年八月 京都神祇管領卜部家より認可を得て 村社正一位飯玉大明神と号したに創まる 星霜は移ろい明治四十二年十二月 政府の合祀政策により 村社飯玉神社の境内末社三社の他に森郷内に鎮座された無格社茂木神社の祭神二社 同郷無格社神明宮一社を合祀し 〇〇〇〇あるものは合霊の上 六柱を以て現飯玉神社の祭神とした
由緒に 中御門天皇の御宇正徳三年三月 時に塚越大和守藤原正屋が正一位飯玉大明神を奉祭し 裁許状を下賜されたことに遡る 正屋の義父塚越正重は神位を尊重し 桃園天皇の御宇寛延二年十二月産子と相計り新宮を造営した
爾来 孝明天皇御宇文久三年十月に本殿 幣殿 拝殿を改築し 大正六年に到り氏子五十八戸 崇敬者十三人の寄進を得て社殿の補修整備を行い 今日まで護持されてきた
今般 社殿の老朽するに当たり 氏子崇敬者はここに真意を披瀝し神殿の造営と神域の整美を行い 神の恵みと祖先の恩とに感謝を捧げ国家の隆昌と郷土の繁栄と世界の平和とを祈念するものである ここに永久の記念と刻す。(以下略)
記念碑文より引用
境内に設置された飯玉神社改築記念碑 本 殿
本殿奥に祀られている石祠三基
社叢林も境内東側に広がり、住宅街に鎮座し
ながらも落ち着いた雰囲気も醸し出している。
境内北側の道路沿いにある庚申塔等
参考資料「日本歴史地名大系」「ぐんま地域文化マップHP」「地域文化資産ポータルHP」
「境内記念碑文」等
