古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

姫宮神社

 宮代町は、埼玉県の東部に位置し、東西6,3km、南北6,7kmと北西から南東にかけて細長い形をしており、面積15,95km2、人口約3万5千人と埼玉県では数少ない町であり、南埼玉郡で唯一の町でもある。東側は、北葛飾郡杉戸町、南側は春日部市、西側は南埼玉郡白岡町、北側は久喜市に接していて、東武伊勢崎線が町西部を沿って走り、同日光線が町内の東武動物公園駅を起点として栃木、日光方面へと走る。町の東側にはかつて利根川の本流であった古利根川が流れていて南埼玉郡と北葛飾郡の境をなし、江戸時代以前はこの川によって武蔵国と下総国が分けられていた時期があった。
  宮代町の地形は、大宮台地の東北部にあたり、標高8~11mの台地と、その縁辺に位置する標高6m前後の後背湿地、標高6~7mの古利根川右岸の自然堤防から成り立っている。宮代町を含む埼玉県東部はかつて縄文時代の気温上昇によって海水面が今より2~3メートル高く上昇し、その結果「奥東京湾」と呼ばれる内海がかつて存在していて、今の栃木県古河市周辺地域に至るほどに広域な範囲であったらしい。ちなみに同時期に「香取海」と呼ばれる内海もあり、筑波山の麓まで海だったという。
 そこで思い出されることは、以前鷲宮在住の知人が「この鷲宮周辺に以前温泉が出たのだが、不思議とその温泉の成分が塩分を含んでいた。」と話していたことだ。地中奥深くは大昔の「縄文海進」の影響、名残りが未だ続いているエピソードではないだろうか。
所在地   埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮373
御祭神   宗像3女神 (多記理姫命・市杵島姫命・多記津姫命)
創  建   天長元年(824年)
社  挌   式内社宮目神社論社、旧村社、旧百間村総鎮守
例  祭   7月20日

       
地図リンク 
 姫宮神社は宮代町の南東部、東武伊勢崎線「姫宮」駅から北西1km弱の姫宮落川と大落古利根川が蛇行している小高い台地の先端部に位置している。社殿は南向きで、境内は明るく開放的で長い参道、拝殿部と、森に囲まれて奥ゆかしい本殿、境内社群に分かれている配置のように見える。今回の参拝の目的地は姫宮神社であったためか、「姫宮」の名称からか、拝殿の雰囲気からか、何か女性的な雅(みやび)を漂わせてくれる不思議な社だ。因みに駐車スペースは社号標の手前に2台位停めることができる空間があり、そこに停めて参拝を行った。
            
                       姫宮神社入口の鳥居と社号標
               社号標石も鳥居も真新しく、境内は綺麗に清められている。
            
                           一の鳥居と参道正面
           
                      一の鳥居の手前左側にある案内板
 『埼玉県の神社』によれば、創建については、社伝には、桓武天皇の孫の宮目姫が下総の国へ下向の途中、当地に立ち寄った際、紅葉の美しさに見とれているうちににわかの病で倒れて息途絶えてしまった。後に、当地を訪れた慈覚大師円仁がこの話を聞いて、姫の霊を祀ったのが始めであるという。
 『風土記稿』百間村の項によると延長五年(927)成立の『延喜式』神名帳に載る武蔵国埼玉郡「宮目社」は、当社のことであるという。
 
       開放的で綺麗な参道の風景                 参道の途中左側には神楽殿
           
                              拝    殿
           
                                                               本    殿
        社頭の掲示板によれば、基壇の銘に「正徳五年(1715)四月吉日」とあるそうだ。
 姫宮神社
 所在地 宮代町字姫宮
 姫宮神社は旧百問領の総鎮守で、祭神は多紀理毘売命・多岐津比売命・市杵島比売命の三柱を祀る。社伝では、桓武天皇の孫の宮目姫が当地に立ち寄った際、紅葉の美しさに見とれ、突然の病で亡くなったことを、後に慈覚大師円仁がこの話を聞き、姫の霊を祀ったのが始まりであるともいう。また、一説には、延長5年(927)成立の『延喜式』に記載される「武蔵国埼玉郡宮目神社」は当社のことであるという。
当社の本殿は、基壇の銘によると「正徳5年(1715)4月吉日」とあり、その頃建立されたと推定され、建築様式からも証明されている。一方、拝殿は、海老虹梁に文久3年(1863)の銘が記されている。拝殿内には絵馬が多数掲げられており、一部は町の指定文化財に指定されている。
 また、かつて所蔵していた応永20年(1414)銘の鰐口は、現在、町の指定文化財として当社の別当寺であった前原の宝生院が所蔵する。
 本殿の東側に八幡社が祀られている。元は別の神社であったが、明治35年(1902)当社に編入された。なお、八幡社は、周囲より2m程小高くなっており、かつて埴輪片が出土したことから古墳であると推定される。
                                                    社頭掲示板より引用

 さて境内には数多くの境内社が鎮座している。
 
         拝殿左側にある稲荷社            稲荷社の奥には左から香取、鹿島、天神社
 
         本殿右側にある地主神                     八幡神社の奥には三峰社

  
 この地主神は姫宮神社の鎮座する以前に姫宮地区に祀られていた神であろう。ではこの神が誰であろうか。現時点ではハッキリとは判明しない、がヒントはある。この神は姫宮神社が古利根川とその支流である姫宮落川の合流地点に近い場所に鎮座しているということからまず
水に関連した神であるであろうことはこの社の鎮座する位置関係から解る。また姫宮神社の祭神が多記理姫命 多記津姫命 市杵嶋姫命の宗像3女神であるところから、地主神の本来の祭神も女神である可能性は高い。水神+女神、そして式内社宮目神社。何かしら連想される神がここにある程度限定されるではないだろうか。

 なお、姫宮神社の一帯には古墳が群集していて、姫宮神社古墳群と
命名されている。姫宮神社本殿付近も古墳の上に祀られているそうだ。
          
                  本殿東側に鎮座する境内社である八幡社
 姫宮神社社殿南東側のこの一帯からは、1999年の試掘調査で円墳跡と埴輪片が出土しており、姫宮神社境内を中心とするこの自然堤防上に、6世紀代の古墳を中心とする古墳群が築かれていたと推定されている。 八幡社があるこの一帯は周囲より2~3m高いとされ、径6mの円墳とされるらしい。

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