古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

新田下田中町・田中神社


        
             
・所在地 群馬県太田市新田下田中町513
             ・ご祭神 品陀和気命(推定)(推定)
             ・社格、例祭等 不明
 国道17号上武道路を伊勢崎市方向に進み、「小角田西」交差点を左折し、その後すぐ先にある「三ツ木橋東」交差点を右折する。群馬県太田市大原町から伊勢崎市境三ツ木に至る一般県道である群馬県道315号大原境三ツ木線を2㎞程北行した先の路地を左折すると、正面右側に新田下田中町・田中神社の社叢林が見えてくる。
        
               新田下田中町・田中神社正面
 規模は小さいながらも鮮やかな朱色の鳥居が一際目立ち、境内も手入れが整っている様子。
『日本歴史地名大系』 「田中郷」の解説
 新田庄に属する郷で、近世の上田中村・下田中村一帯。室町時代には四ヵ村からなっていた。仁安三年(一一六八)六月二〇日、新田氏の祖義重が庶子らいわう(義季)の母に譲与した一九ヵ郷中に「たなか」とみえる(「新田義重置文」長楽寺文書)。その後本宗家の所領に戻り、元久二年(一二〇五)八月に義季の兄義兼に安堵され(「源実朝下文写」正木文書)、さらに義兼妻新田尼を経て、岩松氏系の田中を名乗る時明(義兼孫)に伝えられた(建保三年三月二二日「将軍家政所下文写」正木文書)。
『日本歴史地名大系』 「下田中村」の解説
 大間々(おおまま)扇状地南方の沖積地にあり、東境を石田川、南西境を早川が南流する。北は上田中村、東は上江田村・高尾(たこう)村、南は小角田(こずみだ)村(現太田市尾島)、西は花香塚(はなかづか)村。仁安三年(一一六八)六月二〇日の新田義重置文(長楽寺文書)に空閑郷々一九ヵ郷の一つとして「たなか」とある(→田中郷)。
 近世は寛永三年(一六二六)阿部忠秋領となり、阿部氏の転封・加増に伴い同一六年武蔵忍藩領となる。寛文四年(一六六四)の同藩領知目録(寛文朱印留)に下田中村とみえる。寛文郷帳では田方七〇四石九斗余・畑方二一五石余。元禄郷帳では旗本山岡・中根・神谷・鈴木・山本領の五給。天保三年(一八三二)の山岡十兵衛知行所村々高帳(赤石文書)では旗本中根・山岡・本間・桑山・大岡・小笠原・稲生領の七給となっている。
        
               社号額には「田中神社」と表記
 田中 時朝(たなか ときとも)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府御家人で武将である。足利氏の一門・畠山氏庶流の田中氏の祖で、足利義純の次男で通称は田中次郎。
 父の足利義純は、下野国足利宗家2代当主足利義兼の庶長子であるが、遊女の子であったとも伝えられ、大伯父の新田義重に新田荘で養育されたという。畠山重忠が元久2年(1205年)6月の畠山重忠の乱で北条氏の手により滅ぼされると、北条政子・義時姉弟は、重忠の妻であった妹(北条時政の娘)を憐れみ、義純と婚姻させ、畠山の名跡と跡式(所職)などを相続させた。但し、義純は元々従兄弟である新田義兼の娘・来王姫と結婚しており、時兼・時朝らを儲けていたが、妻子と義絶しての継承であった。このように時朝と兄の岩松時兼は母親が新田義兼の娘であり、弟の畠山泰国の母親は北条時政の娘であったため、泰国が嫡子として畠山氏を継承し、時兼と時朝は庶子として扱われた。上野国新田郡田中村を拠点として田中氏を名乗り、末裔は足利氏の御一家(一門)として『大舘常興日記』に記されている。
『尊卑分脈』「畠山義純-時朝(田中次郎)-時国-満国」
『畠山系図』「岩松義純の子 時朝(田中二郎)」
 なお、新田義重の庶長子である里見義俊の5男・田中義清(里見系田中氏の祖)とは別系統の田中氏となる。明治時代に足尾銅山問題に取り組んだことで知られる田中正造は、時朝(源姓畠山系田中氏)の末裔とされている。
        
                    拝 殿
 田中神社は元は八幡宮で、大正2年(1913年)に村内の日枝神社とその末社(秋葉社・稲荷社など5社)を合祀し田中神社と改称している。社の創建年は不詳ながら、鎌倉時代前期の鎌倉幕府御家人で武将である田中時明が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したと伝わる。田中八幡宮は、岩松・大島・新井・大舘・強戸・寺井・赤堀の各村に鎮座する八幡宮とともに、新田荘の「八所八幡」と称されたという。
        
                    本 殿
        
            社殿左側後方に祀られている石祠・石碑等
  左より灯籠(一部)、石祠(一部)、湯彦神社・月山神社・伊〇〇神社、猿田彦太神
 
     社殿奥に祀られている石祠群      社殿右側奥に祀られている富士嶽浅間太神
       青面金剛・庚申         猿田彦太(一部破損)・田中神社改築記念碑



参考資料「日本歴史地名大系」「ウィキペディア(Wikipedia)」等
 

拍手[0回]