古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

角山八幡神社


               
            
・所在地 埼玉県比企郡小川町角山277
            
・ご祭神 八幡大神 諏訪大明神 大聖歓喜天 稲荷大明神 天満宮
            
・社 格 旧村社
            
・例 祭 夏祭り(天王様)726日 例大祭 1019

 靭負熊野神社から一旦東武東上線「竹沢駅」に引き返し、そこから南下して国道254号線に交わる交差点を左折する。東武東上線の線路を左側に見ながら沿うように国道も走っていて、その道を2.5㎞程進み、「小川町駅(西)」交差点の2つ手前の信号を左折、すぐ先にある陸橋を通り過ぎ、兜川に架かる橋を越えた直後のT字路を左折し、300m程進むと右側に角山八幡神社が見えてくる。
 境内には駐車可能なスペースも確保されていて、撮影等の邪魔にならない所に停めてから参拝を開始する。
               
                               
角山八幡神社正面
 現在は角山と書いて「カクヤマ」と読むが、嘗ては「ツノヤマ」と呼ばれていた時期もあったようだ。
               
                                    境内の様子

 角山八幡神社の南側は兜川が流れていている。
この兜川は、埼玉県比企郡小川町を流れる荒川水系の一級河川で、延長約7.5 km、管理延長は約6.9 km。小川町北西部の大字勝呂の山地に源を発する。木呂子川と西浦川が小川町大字勝呂字片瀬で合流した場所に当川の管理起点となる標石が設置されていて、起点当初から支流である「野竹川」「木部川」「桜沢川」「笠原川」「飯田川」「角山川」が短い距離にも関わらず兜川にそれぞれ合流していて、角山八幡神社西側500m付近で合流の連続は終了する。八高線や国道254号に沿うような形で南東方向に流れ、小川町駅を過ぎた小川町大字小川の小川橋の川下で槻川に合流する。
               
                                        拝 殿

 八幡神社
 角山の八幡神社は、元弘三年(一三三三)に勧請され、元は峰山に祀られていたが、兵火にかかって社殿を焼失したため、明暦二年(一六五六)に現在の境内に移転したという。峰山の元地には、石祀があり、しばらく前までは字峰山の人々が祭りを行っていた。
 この八幡神社は、「五社八幡宮」とも呼ばれるが、それは、明暦二年に現在の境内に移転した際、角山の草分けである栗生田・岩田・新井・杉田・根岸の五軒の各氏神である八幡・天神・諏訪・稲荷・聖天の五社を統合して角山全体の鎮守として祀ることになったためで、現在の境内は元来は新井家の諏訪杜があった場所である。
 五社の中でも八幡社が中心になった理由は、この社を氏神とする粟生田氏が、角山第一の土豪であり、移転当時は角山坊と号して修験者としても活動を行っていたことにあると思われる。
 なお、八幡神社は武術の神として信仰が厚く、昭和二十七年ごろまでは例大祭に流鏑馬が行われていた。また、八幡神社を祀っているためか、角山は武術が盛んな土地で、社殿には「明治辛未」に地元の弓道家が奉納した七個の金的と弓を配した額も掛かっている。
                            「小川町の歴史別編民俗編」より引用

 角山村 八幡社
 村の鎮守なり、別當を宮生山正覺院と云、本山派修驗、男衾郡板井村長命寺の配下なり、本尊不動を安ず、
                          「新編武蔵風土記稿 角山村条」より引用

 案内板等では、現在でこそ小川盆地内で兜川左岸に鎮座しているが、元々山伏としてこの地に移住してきた粟生田一族が、元弘三年(一三三三)に字峰山の地に氏神である八幡社を祀り、角山坊と称して活動を行うようになったといい、いわば山岳修験の社であった。
 
  角山八幡神社境内社 手長社・八坂社合殿    「八意思兼命・手置帆負命・比古佐自命」石碑

「粟生田」は 「アオウダ」と読み、武蔵七党 児玉党から分派した一族であり、入間郡浅羽庄(現坂戸市付近)粟生田村より起こっている。
武蔵七党系図
浅羽小太郎行業―粟生田五郎行直―四郎太郎季行―小三馬允行方(弟四郎季信―太郎行延、季信の弟五郎俊行)―馬二郎光直(弟三郎□忠)―野六郎直氏(弟孫二郎盛直)。季行の弟三郎正行―某―行弘。正行の弟八郎実行―家行―二郎泰行。家行の弟に、兵衛尉行氏、小八郎行盛、右近某」と見ゆ。越生郷報恩寺年譜に¬元応二年四月二日、幕府は、粟生田彦太郎直村妻藤原氏の訴えにより、小代馬二郎伊行の沽却せし武蔵国小代郷内田玖段を藤原氏女に領掌せしむ」
小川町史
角山村の八幡神社は粟生田氏の祖が元弘三年この地に移り住んで八幡社を勧請す。江戸時代は角山村名主を務む。八幡神社は五社八幡とも呼ばれ、粟生田・岩田・新井・杉田・根岸の五氏の氏神である八幡・天神・諏訪・稲荷・聖天の合社で、やぶさめ神事もこの五氏によって奉納されてきた」
               
             角山八幡神社の南側には兜川が流れる。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「小川町の歴史別編民俗編」「Wikipedia」等


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