古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

日光東照宮

 日本を代表する「日光の社寺」はユネスコ世界遺産に登録されており、その中でも最も有名な日光東照宮は江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀り、日本全国の東照宮の総本社的存在である。
 創建は奈良時代にさかのぼる天台宗の門跡寺院(皇族・公家が住職を務める特定の寺院、その後鎌倉時代以降は位階の高い寺院の呼称)である輪王寺や下野国一之宮で旧国幣中社の社格をもつ日光二荒山神社と隣接していて、この東照宮、二荒山神社、輪王寺を総称して「二社一寺」と呼んでいる。
 東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社である一方、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっている。ただし、「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治初年の神仏分離令以後のことであり、近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、神仏習合の信仰が行われていた。
「日光東照宮」は日本屈指の観光スポットとして国内外から人気が高く、また55棟の建築物のうち8棟が国宝、34棟が重要文化財に指定されていて、多くの豪華絢爛な社殿群が訪れた観光客を魅了している。
        
              
・所在地 栃木県日光市山内2301
              ・ご祭神 (主)徳川家康公(相殿)豊臣秀吉公・源頼朝卿
              ・社 格 別格官幣社
              ・例祭等 春季例大祭・神事流鏑馬 517
                   渡御祭「百物揃千人武者行列」 518
                   秋季祭・渡御祭「百物揃千人武者行列」 1017日 他

 2025年度を飾る1番目の社は「日光観光の中心地」として、 徳川初代将軍・家康公を御祭神に祀る社・日光東照宮と当初から決めていた。当ブログでも紹介している、忍東照宮や世良田東照宮、徳川東照宮等、「東照宮」と呼ばれる神社は全国各地にあるが、ここ日光の東照宮は、全国の東照宮の総本社的存在である。他社との区別のために「日光東照宮」と俗に呼ばれてはいるが、正式名称は当然「東照宮」である。
 日光の人気観光スポット「日光東照宮」は1617年に、徳川家康を祀る神社として、2代将軍徳川秀忠により建てられた。その後、1634年~1636年にかけて、3代将軍徳川家光による「寛永の大造替」で建て替えられたものである
 現在そのほとんどの建築物などが、 国宝や重要文化財に指定され、1999年には、世界遺産にも登録されている。
「豪華絢爛」という言葉はこの社に対して使うのに相応しい。日本の伝統的な技術や芸術性の高さを示した建築目当てに、国内はもとより、海外からの観光客でも連日賑わっている
        
     早速日光東照宮に参拝。長く玉砂利が敷かれた参道先にある鳥居を目指す。
 当日は平日で雨交じりの天候であったが、多くの国内外の観光客・参拝客で賑わいを見せている。
        
              参道の先にある高さ9m程ある石鳥居
 この石鳥居は江戸時代に造営された鳥居では日本最大規模の鳥居であり、元和4年(1618年)に福岡藩の初代藩主・黒田長政によって寄進されたもので、福岡藩領内(現在の福岡県糸島市にある可也山)から海路・水路・陸路を使い15個の石を運び、積み上げて造られたという。
            
              石鳥居を過ぎ、すぐ左側に見える五重塔 
        
                                        表 門
 五重塔を抜けると、正面に表門がある。表門から先は有料となるので、事前に拝観料を購入し、それから改めて参拝を行う。
        
 表門を抜け、正面には「下神庫・中神庫・上神庫」が並ぶ。参道自体は左に曲がるが、その左手には神厩舎(しんきゅうしゃ)があり、そこには有名な「三猿」の彫刻が見られる。因みに神厩舎とは、神馬(しんめ)をつなぐ厩(うまや)で、古来、猿は馬の病を治したり、馬の世話をするなどされているという。猿の彫刻が描かれているのも、その由来から来ているのであろう。神厩舎には猿の彫刻8面が描かれているが、これは人間の一生が風刺されているとの事だ。
 神厩舎の建物は、絢爛豪華な日光東照宮の社殿では唯一の素木造。
 有名な場所だけに、多くの観光客・参拝客がいて、撮影をしていたので、待ち時間がかなりあった。
        
 神厩舎に描かれている「三猿」撮影終了し、青銅製の鳥居の先に見える陽明門へ進む。雨交じりの天候に加えて、周囲には霧が立ち込めているその雰囲気が、逆に神聖さや荘厳さを高めているようにも見える。
        
          陽明門に通じる石段を登り終え、一旦振り返り撮影。
   「三猿」の彫刻が描かれている神厩舎に多くの観光客が集まっているのが分かる。
        
            日光東照宮のシンボル的な存在である陽明門
 この陽明門は、日光東照宮のほぼ中央に位置し、建物全体がおびただしい数の極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」と称されている。国宝。門の名は平安京大内裏外郭十二門のうちの陽明門に由来する。陽明門は、表門から参道を進み、石段を2つ上った先に南面して建っている。 
 日光東照宮の建物を代表する陽明門は高さ11.1m2層造り、正面の長さが7m、奥行きが4.4mである。その名称は、宮中(現・京都御所)十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名を頂いたと伝えられている。江戸時代初期の彫刻・錺金具・彩色といった工芸・装飾技術のすべてが陽明門に集約されている。陽明門に描かれている故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500を超える彫刻は見事で、それら彫刻には一つ一つ意味があり、これを探ることで家康公の平和への願いや教訓を知ることができる。
 2017年に平成の大修理が行われたことで、黄金の輝きを取り戻したこの陽明門は、この門と本殿を直線でつないだ先に北極星が見えることから、別名を「北辰門」とも呼ぶ。
 
 陽明門の東西に伸びる、神域を守る全長220mの回廊(写真左・右)。陽明門の東側の東回廊、西側の西回廊が対称的に備わり、やはり見事な彫刻が施されている。陽明門の豪華絢爛さばかり目立つが、この東西回廊も国宝に指定されている。
 回廊南面には日本最大級の花鳥の大彫刻25枚が飾られ、すべて一枚板の透かし彫りであり、一度間違えたら彫り直しがきかない究極の職人技を眺めることができる。
        
                 陽明門の先にあり、拝殿の前に立つ国宝の「唐門」
 極彩色が多い東照宮の建造物の中で、ひときわ存在感を放つ白い門は、日本画にも用いる白い顔料の胡粉(ごふん)で塗られていて、繊細でかつ荘厳な彫刻は陽明門にも匹敵。唐破風の屋根が特徴で、柱や扉は東南アジアから輸入した紫檀や黒檀などを使用した寄木細工(よせぎざいく)。唐門の両脇には唐木の寄木細工で昇り龍と降り龍が描かれていて、門上には古代中国の聖賢の故事を題材に、1本の木からくり彫りした精巧な彫刻が飾られている。
 ここより先に行ける人は将軍に拝謁できる身分とされ、幕臣や大名に限られていたという。
 
 唐門の東側には奥社拝殿に通じる道があり、坂下門(写真右)手前にある本殿の東廻廊に彫られた、名工・左甚五郎作と伝わる有名な彫刻「眠り猫」(同左)がお出迎えしてくれる。
 眠り猫のある廻廊の下を潜ると、家康の御墓所のある奥宮に導く奥社参道へと続く。参道にのびる207段の石段は各段で一枚石が用いられており、この階段自体も東照宮の名所のひとつである。眠り猫から奥宮まで上るには10分程度かかり、途中踊り場で休みながら進む。
        
                             石段上に鎮座する奥社拝殿
 家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言である。「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。
 日光東照宮は江戸城(現在の皇居)の真北にあり、北の守りを固める重要な位置にある。本殿前に造られた陽明門は真南を向いていて、真北を向いている江戸城と向かい合わせになっている位置にあり、表参道を延長していくと上野の寛永寺・旧本堂(根本中堂)につながるという。

 日光東照宮には主祭神として徳川家康、そして配神として源頼朝・豊臣秀吉が祀られている。調べてみると、豊臣秀吉と源頼朝が祀られるようになったのは明治以降のことである。それまでは、山王神、摩多羅神(またらじん)が祀られていた。明治時代に神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させる「神仏分離」が行われたが、摩多羅神というのは仏教の神なので問題となる。
 そのため、山王神を豊臣秀吉に、摩多羅神を源頼朝に変更して神道に統一したという。
        
                                 奥社 宝塔(御墓所)
 重要文化財 奥社 宝塔(御墓所)
 御祭神徳川家康公の墓所。昭和40年、東照宮350年祭を機に公開された。8角5段の石の基盤の上に更に3段を青銅で鋳造し、その上に宝塔を乗せている。当初は木造、その後石段に改められたが、天和3年(1683)の地震で破損したため、鋳工椎名伊豫(しいないよ)が製作した唐銅製(金・銀・銅の合金)に造り替えられた。塔の前には鶴の燭台、唐獅子の香炉、花瓶からなる三具足が据えられている。
                                      案内板より引用




参考資料「日光東照宮HP」「日光市公式観光WEB」「Wikipedia」「境内案内板」等

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