篠津多氣比賣神社
「足立」の文字が確認できる最古の年代は奈良時代の天平7(735)年の長屋王邸出土木簡で、もと万葉仮名で「阿太知」だったものを『諸国郡郷名著好字令』により置き換えたとみられる(「和名類従抄」)ほか、日本武尊(または坂上田村麻呂)が立てるようになったという伝説や「葦立ち」の転じたものとする説もある。
・所在地 埼玉県桶川市篠津58
・ご祭神 豊葦建姫命 倉稲魂命
・社 格 延喜式内小社・旧村社
・例祭等 祈年祭 2月11日 例大祭 3月15日 ふせぎ 4月1日
新嘗祭 11月23日
筆者が居住する熊谷市から国道17号線を南下し、桶川市「坂田」の交差点で菖蒲方面に左折する。埼玉県道12号川越栗橋線合流後2.5km先の「東武工業団地入り口」の信号を越えて、赤堀川に架かる「加納橋」を渡ったすぐ先の道を左折して、しばらく河川沿いに進むと正面に篠津多氣比賣神社の社叢林、及び正面鳥居が見えてくる。
因みに埼玉県道12号川越栗橋線から赤堀川左岸堤防沿いに数百mと続く篠津の桜堤があり、専用駐車場はないようだが、桜の開花時期にはのんびり桜が眺め、桜並木を満喫したいと思った場所だ。
篠津多氣比賣神社正面
鳥居の右側に聳え立つ大シイの大木がひときわ目立つ。樹齢は600年という。
高さ13m、根廻り6.7m。枝張りは、南北に17m・東西に14mの迫力のあるこの大きな濃緑のかたまりが、市内最古の社の佇まいと妙にマッチングするから不思議だ。桶川市指定天然記念物。
道路沿いに設置されている社号標柱 鳥居の左側手前にも同名の石碑あり
篠津多氣比賣神社の案内板
多氣比賣神社 桶川市篠津五八
□御縁起
『延喜式』神名帳に載る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、赤堀川を望んで鎮座する。赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の生い茂った中の船着き場に由来するといい、祭神である豊葦建(竹)姫命を考え合わせるに、恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領く女神を祀ったものであろう。
『風土記稿』篠津村の項に「姫宮社 当社は〔延喜式〕内多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり 神体は女体にて十二単衣冠の坐像(中略)金剛寺の持」と載り、江戸期、当社は姫宮社と呼ばれており、延喜式内社の多気比売神社に比定されていたことがわかる。
しかし、吉田東伍氏は『大日本地名辞書』の中でこれを否定し、浦和市三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。
別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化五年(一八〇八)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。
明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治六年に村社となった。同四十年大字五丁台字上耕地の稲荷社を合祀した。
祀職は、明治初年の神仏分離により金剛寺の僧が姓を金田と名乗って復飾し神職となり、当社の東隣に居住して昭和二十年ごろまで務めたが、その後、加納の桜井家が継いで、現在に至っている。(以下略)
境内案内板より引用
こじんまりした朱色の両部鳥居
桶川市で最も古い社であるという先入観からか、鳥居のやや朱が薄くなっているところが、逆に歴史の深さを物語っているようにも見える。
境内の様子
篠津多氣比賣神社は桶川市の東北部篠津地区に鎮座する。この篠津地域は。赤堀川と元荒川に挟まれ、集落は河川が形成した自然堤防上に立地しているが、『新編武蔵風土記稿』でも「水損多し」と記述がある通り、洪水等の自然災害が多かった地域である。
篠津村 姫宮社
當社は【延喜式】内多氣比賣神社にて、祭神は豊蘆建姫命なり、神體は女體にて十二單衣冠の坐像、本社の前に幣殿拝殿側に椎の大木二株あり、往古は一樹なりと云、何の頃にや枯て其朽たる根際二樹合して生ぜり、根の圍み二株合して二丈餘、又一樹は周徑一丈六尺餘、何れも古木にして神木とす、金剛寺の持、末社。稲荷社、三峰社
『新編武蔵風土記稿』より引用
花手水(はなちょうず)が飾られている手水舎
手水舎の右手には「多気比売神社と大シイ」の案内板も設置されている。
多気比売神社と大シイ
篠津の多気比売神社は、平安時代に編さんされた『延喜式』(延長5年[927]完成)の「神名帳」に名が載る足立四座の一つで、桶川市内で最古の神社です。祭神は「豊葦建姫命」です。地元では「ひめみやさま」と親しまれ、古くから安産の神様として多くの信仰を集めてきました。
鳥居の脇にそびえる大シイは、高さ13メートル、根回り6.7メートル、枝張り南北17メートル、東西14メートル、樹齢は約600年と推定されている古木の風格が漂うご神木です。5月末頃には黄色い房状の花が咲き、9月にはドングリに似た小さなシイの実が熟します。
鎮守の森の象徴ともいえるこの大シイは、境内の他の樹木とともに、篠津地区の人々の信仰と親愛の情によって、大切に守られてきました。歳末には氏子たちによって境内地の古木に張る太い注連縄が作られ、前年の縄とは張り替える習わしが続けられています。
案内板より引用
参道右手のご神木(写真左・右)
手水舎の左隣には「力石」とその説明板があり(写真左・右)。
拝 殿
篠津多気比売神社のご祭神の一柱である豊葦建姫命(とよあしたけひめのみこと)は、(豊玉姫、日本書紀)またはトヨタマビメ(豊玉毘売、古事記)とも記され、日本神話に登場する女神であり、神武天皇(初代天皇)の父方の祖母、母方の伯母である「国津神」系の神様である。
海神豊玉彦命(綿津見大神)の娘であり、竜宮に住むとされる。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、異類婚姻譚の典型として知られる。神武天皇(初代天皇)の父の鸕鶿草葺不合尊の母であり、天皇の母の玉依姫の姉にあたる。
豊玉毘売の「豊」は「豊かな」、「玉」を「玉(真珠)」と解し、名義は「豊かな玉に神霊が依り憑く巫女」と考えられている。
拝殿手前左手に鎮座する境内社・天神社 天神社の右隣に鎮座する稲荷社
社殿左側にも立派なご神木が聳え立つ(写真左・右)。
本殿奥に祀られている境内社・三峰社
ご祭神は篠や葦・竹等の茂った一帯を守る女神と言われているが、本殿背後には竹林が生い茂っている。
参道の一風景
ところで当社が鎮座する篠津の「篠」は竹、「津」は船着き場を意味し、かつて同地には篠津沼という大きな沼があった。田園が広がる地域ということもあり、稲を神格化した女神を祀ったといい説と、「多気」を「建・武・猛」の意とすれば元荒川の氾濫をその神の御性格と見て、たけり狂う神、たけだけしい神として「建比売」をこの地に奉祭したものとする説がある。
ということは、当初この地に祀られていた「多気比売」は、記紀等の、正史には見えない神であり、この地方の地方神、または産土神と考えられよう。
その後、この地が王権の支配下となり、父方の神である天皇家に対して、国津神の系統である海神豊玉彦命(綿津見大神)の娘であり、竜宮に住むとされる豊葦建姫命(とよあしたけひめのみこと)を「姫宮」と称し主祭神として祀ったのではなかろうか。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「日本歴史地名大系」「Wikipedia」
「境内案内板」等