古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

下三沢諏訪神社


        
             
・所在地 埼玉県秩父郡皆野町三沢726
             ・ご祭神 建御名方神 八坂刀賣神 菊理媛命
             ・社 格 旧下郷鎮守
             ・例祭等 建国祭 211日 春祭り 47日 大祓式 630
                  例大祭 107日 新穀感謝祭127
 国道140号彩甲斐街道を長瀞町から南下し、荒川を越えた「道の駅みなの入口」交差点を左折、埼玉県道348号下戦場塩貝戸線、続いて同県道82号長瀞玉淀自然公園線を道なりに3㎞程進むと、進行方向左手にある非常駐車帯の南側隅に、山裾へ通じる石段の入口が見え、そこを登ると下三沢諏訪神社の境内に達することができる
         
                                                          下三沢諏訪神社正面
『新編武蔵風土記稿』によると、三沢村は行政上においては一村ではあっても、実際には「上郷」「中郷」「下郷」に分れ、諏訪神社は下郷に属していた。それ故に名主(里正)も各郷に一名おり、また上郷に牛沢、中郷に宮沢、下郷に茗荷沢と三つの大きな沢があって、このことが村名の由来ともいわれている。
         
                                              入り口付近に設置されている案内板
 諏訪神社 御由緒   皆野町三沢七二六
 ◇雨乞いで人々を救った諏訪の神
 当社の鎮座する三沢の地名が記録上に現れるのは、正平七年(一三五二)のことで、同年二月十六日の足利尊氏袖判下文(安保文書)に「武蔵国秩父郡三沢郷」とある。また、同地の小根からは文保年紀(一三一七~一八)の板碑が発見され、茗荷沢には室町期の竜ヶ谷城址がある。
 社伝によると、創始については、後白河天皇の元仁元年(一二二四)に当地が大干ばつに見舞われた折、信濃国から覚桑法印が訪れ、諏訪明神二柱(建御名方神・八坂刀賣神)を諏訪平の地に勧請して祈雨の祭りを奉仕すると、たちまち験が現れたと伝えられ、以来諏訪明神と号するという。『武蔵風土記稿』には「諏訪社 下郷の鎮守なり、村民持、例祭七月廿七日、小社四十一ヶ所」とあり、また、覚桑法印については地長福寺の項に「開山覚桑寂年を伝へず」と ある。口碑に「江期に当社は諏訪平から今の社地芳ノ入に移った。理由や詳しい年月は不明」とある。
 なお、当社は明治四十五年(一九一二)に中郷の村社瑞穂神社に一度合祀されたが、昭和二十二年(一九四七)に瑞穂神社から分祀を行い、名実ともに旧に復した。
 また、当地には江戸期より獅子舞が伝えられており、寛延三年(一七五〇)にはすでに三沢の獅子舞は「雨乞いざさら」の名で通っていたという。現在でも、秋の例大祭には三沢諏訪神社獅子舞団による獅子舞が奉納されている。(以下略)
                                      
案内板より引用
         
                   参道から境内を望む。
 直ぐ下には県道が通っていながら、斜面を上がった瞬間から異世界に迷い込んだようで、荘厳さすら感じてしまうような雰囲気。参道の先にある境内には玉砂利が敷かれているが、その周りには杉の大木等に覆われていて、邪悪なものが近づこうものなら、忽ち浄化してしまうような神聖性が辺り一帯に漂っているようで、自然と身が引き締まるような心持ちとなる
 
   参道左側に祀られている大黒大神の石碑    石碑の右並びに設置されている社の由来書
 諏訪神社由緒
当社は武蔵国秩父郡三沢郷下三沢の鎮守社なり 信濃国一之宮諏訪大社より勧請し奉れり 御祭神は建御名方神と八坂刀売神の御二柱を奉斎し 菊理媛命を配祀す
 建御名方神は大国主神と沼河比売命の御子神にして事代主神の御弟神なり八坂刀売神は建御名方神の御妃神なり
 当社の御創始は鎌倉時代に遡り後堀河天皇の元仁元年(一二二四年)当地方大旱魃に見舞はれし時 信濃国の人覚桑なる者当地に諏訪の神を祀り雨を祈るや忽ちにして大雨沛然と降り注ぐ 里人歓喜し諏訪の平に社を建て二柱大神を鎮斎し後にこの地に移りしまつりしものと云ふ 爾来祀り来りて尊崇すること七百六十五年 国土開発 農耕生産 風雨水の龍神信仰 開運招福 近くは交通安全の守護神として霊験極めてあらたかにその御加護を蒙りつつ今日に至れり
 ここに御社運の長久を祈り奉りその由緒を記し子孫に伝へ氏子崇敬者の弥栄を祈念し一碑を奉献して神恩に報ひまつらんとするものなり。(以下略)
                                                                          由緒碑文より引用
         
                      拝 殿
  当地には江戸期より獅子舞が伝えられており、慶安2年(1649)に当地に伝えられたといわれる下妻流獅子舞。寛延三年(一七五〇)にはすでに三沢の獅子舞は「雨乞いざさら」の名で通っていたという。現在でも、秋の例大祭には三沢諏訪神社獅子舞団による獅子舞が奉納されている。
  曲目は、弊掛り、割ザサラ、奥ザサラ、花割り、竿掛り、四ツ替り、段づく、四句割り、下妻、瓢箪廻し、四庭寄せである。四句割り、下妻、瓢箪廻しを3役と言い、祭り最高潮の時に舞われ、最終の四庭寄せは、獅子2組、仲立ち2人の合わせて8人で舞う。
 この「下三沢諏訪神社獅子舞」は、昭和5941日町の無形民俗文化財の指定を受けている。
        
         
社殿の手前で県道側に聳え立つ「夫婦杉」のご神木(写真左・右)
  ご神木の前には立札があり、それによると、このご神木は「常若(とこわか)の樹という。
人の世が生まれてこの方、人の世は常に輪廻を繰り返し、常若(とこわか)を保って来た。この世の森羅万象は全て自然の理。境内に摩訶不思議な樹が存在した。これもまた自然の理が与え賜えたもの。
人の命が生まれる営みは今も昔も変わらない。
此の樹は「旺盛なエネルギー」を発散している。
どうかそっと触って見て下さい。あなたの身体に「旺盛なエネルギー」で満たされることでしょう」
                 
         
                   境内の一風景




参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「
皆野町HP」
    
「境内案内板・記念碑文」等

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