門井町鷺栖神社
さすがの堅城として名高い忍城も約1ヶ月の攻防の後に開城となるのだが、日本でも数少ない「水攻め」の史跡として知られ、現在行田市堤根地区に残る282mが埼玉県指定史跡に指定されている。また鴻巣市袋に残る約300mが鴻巣市指定史跡に指定されて、石田堤史跡公園として整備されている。
ところで行田市門井町に鎮座する鷺栖神社は、元々は元荒川の土手、堤防の上に築かれた神社だったようだが、忍城への水攻めの際の堤防として使われたようで、道路と社殿の高さまでの間に数mの高低差がある。
400年以上という長い時間を経る間に元荒川の整備や、荒川の掘削開削による大整備などがあり、鷺栖神社に連なっていた堤防はすっかり消えてなくなってしまっているようで、現在では周りはすっかり住宅地になっている。逆に言えば、この神社があったがために堤防の名残として現在まで保存されてきたとも言え、貴重な遺産ともいえる。
・所在地 埼玉県行田市門井町1-104-2
・ご祭神 日本武尊
・神 号 旧神明社 鷺巣大明神
・例祭等 不明
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1210729,139.4333804,19z?entry=ttu
行田市 棚田神社の正面鳥居に面した道路を東南方向に徒歩で5分程、距離にして350mくらいで門井町鷺栖神社に到着することができる。この二つの社はあまりに近距離で、嘗ては「鷺」を共有していたことで、同じ系列の社といえそうだ。
荒川左岸の元荒川水源地近くの堤の杜に鎮座している門井町鷺栖神社
「明細帳」によると古くから当社は、神明社と称し、堤の杜に鎮座していたが、いつのころからかこの杜に鷺が飛来し、営巣するようになったため棚田村の鷺栖神社(現棚田神社)を分霊して鷺宮大明神と称し、慶長年中に社殿を建立したという。
道路沿いに設置されている社号標柱
社は大井公民館の東側に隣接し、鷺栖公園内に鎮座する。
下って正徳年間、当地は大井村から分村して門井村として独立したため門井村の鎮守となり、新たに伊勢神宮に倣い月読神社・荒魂神社・風神社・水分神社の諸社を本殿に配祀した。明治2年に社号の鷺宮大明神を鷺栖神社と改め、更に神仏分離により徳円寺境内にあった伊奈利神社を当社境内に移し、同四一年には字山神の山神社及び塞神社を合祀したという。
一の鳥居
石段を登り終える先に立つ木製の朱色の鳥居
拝 殿
当社の主祭神は日本武尊で、配祀神は大日孁貴命、月読命、大国魂命、志奈都比売命、水分神、合祀神は八街彦命・八街姫命・久那斗命・大山祇命である。当社は地理的な関係から農耕・治水の神として奉斎したものと伝えられる。
配祀神の一柱に「水分神(みくまりのかみ)」が大日孁貴命や月読命と同列に祭られている。この水分神は、神名の通り、水の分配を司る神である。「くまり」は「配り(くばり)」の意で、水源地や水路の分水点などに祀られる。
日本神話では、神産みの段でハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子として天水分神(あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)が登場する。
水にかかわる神ということで祈雨の対象ともされ、また、田の神や、水源地に祀られるものは山の神とも結びついた。後に、「みくまり」が「みこもり(御子守)」と解され、子供の守護神、子授け・安産の神としても信仰されるようになったという。
また「志奈都比売命(しなつひめのみこと)」は、『古事記』神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしている。『日本書紀』では神産みの第六の一書で、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であると記述している。シナトベは、神社の祭神としては志那戸辨命、志那都比売神などとも書かれている。
拝殿の社号額には鷺栖神社と神明社の名が並列 拝殿の手前で左側に設置されている
して表記されている。 「竣工記念碑」
竣工記念碑
当社は古くから神明社と称し日本武尊を主祭神として元荒川堤の杜に鎮座していたが、いつの頃からかこの社に鷺が飛来し営巣するようになったので鷺巣大明神と称せられた。
下って明治2年に鷺栖神社と改め、神仏分離により伊奈利神社、山神社、塞神社を合祀した。地区住民の総鎮守として慶長年中に社殿を建立して信仰されて来たが社殿の老朽化が著しく平成2年4月社殿建設委員会を組織し境内総合整備計画の協議を行い氏子各位の協賛を得て社殿及び諸施設の形態を整えるべく平成2年11月工事に着手し平成3年12月完成した。
時恰も行田市都市計画事業により区画整理が行われ以来氏子崇拝者は増加の一途を辿って居ります。
茲に社殿改築並に諸施設竣工記念にあたり地区住民のより処として末長く平和で豊かな明るい郷土として発展することを期待し記念の碑文といたします。
境内石碑文より引用
社殿奥に鎮座する境内社・山神社
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「行田市郷土博物館HP」「Wikipedia」等