古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

中新井神明神社

       
              ・所在地 埼玉県比企郡吉見町中新井892
              ・ご祭神 天照皇大神
              ・社 格 旧村社
              ・例 祭 71415日
 中新井神明神社は吉見町中新井地区北東部に鎮座し、旧中新井村鎮守。荒川右舷に位置する。大里比企広域農道・通称「みどりの道」を吉見町方面に進み、「ふれあい広場」交差点の次の十字路を左折し、300m程進むと右側の道路の角地に鎮座する。「中新井農業集落センター」が隣接しており、玉砂利が敷かれた駐車スペースにより、数台分駐車可能。
             
      社の規模は決して広大ではないが、こじんまりとして纏まっている印象。

中新井神明神社の創建年代等は不詳ながら、貞元年中(976-978)或は貞和元年(1345)の大地震によって石剣が出土、祠を建立し石剣を祀り、中新井村の鎮守としたと伝えられる。その後、大洪水により大洪水により土中に埋没してしまったものの、応永8年(1401)に再興したという。
            
                 皇上即位記念修廟之碑
 
社殿手前、左側に鎮座する境内社・頭殿大権現社  頭殿大権現社の奥に境内社・熊野社が鎮座  
   頭殿大権現社石碑の左側は三峰社か           手前の石祠は不明。
         
                                          拝 殿
 神明神社 吉見町中新井八五四(中新井字御造作)
『明細帳』並びに境内に建つ大正四年の「皇上即位記念修廟之碑」によれば、当社の由来を次のように記す。貞元年中(九七六-七八)の大地震の際、村の東南端にある林中の塚から石剣が出土したため、これを奉じて祠を建立し中新井村の鎮守とした。その後、大洪水によって土中に埋没したが、応永八年(一四〇一)に至り、この旧跡に天照皇大神と素盞嗚命を奉斎して再興を果たした。
 一方、氏子の間に伝わる口碑には次のようにある。貞和元年(一三四五)の大地震によって石剣が出土したことから、これを祠に祀り、中新井村の鎮守としたが、その後の大洪水により土中に埋没した。応永八年にこの地に天照大御神・吾我津比賣神・伊弉册尊の三柱を奉斎し、以来中新井村・御所村・今泉村の人々から崇敬されるようになり、江戸中期においては社殿の造営や祭事の再興が相次ぎ、天保二年(一八三一)には京都の八坂神社から八坂大神を勧請して配祀した。
 この二つの由来には、創祀年代と応永八年再興に奉斎した祭神について相違が見られるが、いずれが正史であるのかは明らかでない。
 明治四年に村社となり、同四十一年に字陣馬木の東天神社・熊野社・弁天社、字天神通の西天神社・頭殿社の五社の無格社を合祀した。
                                   
「埼玉の神社」より引用
 
          本 殿             社殿右側に鎮座する境内社・天神社
   

拍手[1回]