葛袋神社
当社は川北山根大平の三郷を以って葛袋となし、其の中央山頂に五社大神と南方に白髪大神を守護神として祀り、明治五年両社を合祀し村社に列せらる。明治三十三年社殿を改築し、同四十年愛宕神社及び八坂神社を合祀し。社号を葛袋神社と改称す。
昭和六十一年十一月二十七日不慮の火災により、社殿を焼失し、氏子一同再建を誓い多額の浄財を寄進し、平成元年四月十六日竣工壮麗清浄なる神殿に神霊を奉安す。
仍って茲にその梗概を誌し永く後世に伝えんとする。
・所在地 埼玉県東松山市葛袋853
・ご祭神 五社大神、白髪大神
・社 格 旧村社
・例 祭 春祈禱3月28日、夏祭り7月28日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.02187,139.3699435,16z?hl=ja&entry=ttu
葛袋神社は関越自動車道東松山インターから南西方向の都幾川中流域右岸に鎮座している。埼玉県道47号深谷東松山線を東松山方向に進む。関越自動車道東松山インター付近で国道254号と交差し、同県道41号東松山越生線に変更となるが、関越自動車道に沿うような形で南下し、「高坂」交差点を右折し、道なりに500m程西行する。都幾川の土手が見える付近で左方向に曲がる細い道があり、そこを左斜め方向に進み、次の十字路を左折すると右側に葛袋神社の鳥居が見えてくる。
社の隣には葛袋公会堂があり、その前には広い駐車場があるので、そこの一角に車を停めて参拝を行う。
葛袋神社正面一の鳥居
東向きにある参道。参道の両脇には伐採された木々の幹が残っている。伐採される前は、緑豊かな社叢に囲まれていたのだろう。工業団地の造成に会わせて整備されたというが、社は社殿周辺が存在していれば良いという箏ではない。鳥居から参道を含む境内全体の荘厳な雰囲気もまた社の「品格」という意味において必要ではないかと感じた。
但し陽光を浴びた「明るい社」という印象も同時に感じ、良い意味でさわやかな気持ちで参拝には望めたことも事実である。新しく改築された葛袋公会堂に隣接し、同時にその周囲の環境に合わせた社の整備をしているようで、新しい「社」の在り方をも感じた次第だ。
比較的長い参道の先にある二の鳥居
拝 殿
葛袋神社 東松山市葛袋八五三(葛袋字山根)
葛袋では、かつて村の中央にそびえる坂東山(標高八五メートル)中腹に五社権現宮、村の南方に白髭神社・愛宕神社・八坂神社をそれぞれ祀っていた。このうち白髭神社が村の鎮守であった。
明治五年、白髭神社を坂東山の五社権現社に合祀して相殿となり、「五社大神・白髭大神社」と号して村社となった。更に同四十年、愛宕神社と八坂神社をこれに合祀し、同四十五年に村名を採って葛袋神社と改めた。次いで、大正五年には、坂東山の麓の現在地に社地を移した。この坂東山は、昭和二十九年からセメント材採掘のために秩父鉱業によって切り崩され、現在では跡形もなくなっている。
このように、当社の中心となっているのは五社権現社と白髭神社である。五社権現社は、その社名から察するに、熊野十二所権現社の内の熊野五所王子と呼ばれる若一王子(天照大神)・禅師(忍穂耳尊)・聖(瓊々杵尊)・児宮(彦火々出見尊)・子守(鸕鶿草葺不合尊)の五柱を祀る社と考えられ、恐らく熊野修験により奉斎されたものであろう。一方、白髭神社については「(隣村の)下唐子の白髭神社(現唐子神社)が当社の兄さんである」との口碑が伝えられている。下唐子の白髭神社は、応永十八年(一四一一)の創建と伝えられることから、当社の創建もこのころまでさかのぼるのであろうか。
昭和六十一年に社殿を焼失したが、平成元年に再建が果たされた。
「埼玉の神社」より引用
拝殿に掲げてある「葛袋神社」の扁額 社殿裏に境内社。左から大黒天・金毘羅大権現
金刀比羅神社・大黒天。
ところで葛袋地区の中央部は、岩殿丘陵が張りだし、裾を都幾川が流れている。その丘陵の突端部に「坂東山」があった。坂東山一帯には、セメント原料で粘土の一種「頁岩(けつがん)」が埋蔵されている。昭和29年(1954)7月粘土質原料の供給を目的として、粘土の採掘が始まる。粘土採掘場は「葛袋」とその西3kmに隣接する「高本」地区の2か所で最盛期には 60,000トン/月前後採掘、輸送していた。その後セメントの需要が減るのと海外製品に押されて原料採掘量の減少などから、平成20年(2008)6 月葛袋採掘場の採掘は終了、また、高本採掘場跡地も平成5年(1993)に清澄ゴルフ倶楽部に衣替えしている。
坂東山の標高が 明治21年(1888)発行の迅速測図では93.25m であったが、採掘等により、昭和36年(1961) は採掘が始まって6年程しか経過していないが、既に坂東山は姿を消していた。
平成21年(2009)8月「東松山都市計画事業葛袋土地区画整理事業」が始まり、2年の歳月をかけて葛袋産業団地が誕生、大手配送センターなどの物流の拠点となっている。工場建設などに伴う建設投資による経済波及効果は 370 億円、操業開始後の生産活動等に伴う経済波及効果は、毎年255億円になるとの報告があるという.
工業団地東側の「ばんどう山第2公園」内には、平成28年(2016)4月1日「化石と自然の体験館」が開館されている。坂東山の姿は消えたが、跡地は産業団地として、また、「化石と自然の体験館」として活用され、廃線跡も遊歩道として有効活用されることになっている。
「化石と自然の体験館」は県内唯一の室内で化石発掘体験が出来る施設である。現在埼玉県は「海なし県」のひとつであるが、嘗て1500万年前はこの地域一帯は海であった。その証拠に同地ではサメの歯の化石がたくさん見つかっている。
尚平成 26(2014)年 7 月地名更新があり、葛袋産業団地の住所が「埼玉県東松山市坂東山(ばんどうやま)〒355-0067」となり、ここに坂東山が地名で復活した。
参考資料 「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「東松山市 化石と自然の体験館公式HP」等