安戸天神社
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村安戸53
・ご祭神 菅原道真公
・社 格 旧村社
・例 祭 元旦祭 元旦 例大祭 2月25日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0498143,139.2260656,19z?hl=ja&entry=ttu
埼玉県道11号熊谷小川秩父線を小川町から東秩父村方向に進み、「東秩父村安戸宿」の看板で信号のあるT字路を右折する。安戸橋で槻川を北に渡って道なりに進み、和菓子屋さんの先で右手に社に通じる道幅の狭い道があり、そこを進むと右手に安戸天神社が見えてくる。
社務所入口南側に駐車スペースがあり、そこに置かせて頂き、参拝を開始した。
安戸天神社正面
この地域は比企・男衾・秩父3郡の境界地にあたる。『新編武蔵風土記稿 安戸条』では「安戸」地名由来として、山路を出たところにある休場を意味する「休戸」を安戸と書くようになったことに由来するという。
急な石段の上に、切り立った山を背にして鎮座する当社は風土記稿には「宿內の鎮守なり、社地山足によりて磐岩を左右後ろの三方共に鑚鑿して宮造りせり」と記されている。
・新編武蔵風土記稿 安戸村
天神社
宿の北裏にあり、社地山是によりて盤岩を左右後ろの三方、共に鑽鑿して宮造りせり、社前の石燈も同く盤岩を刻せり、社は南向、神體は帶束せる銅坐像長二寸五分、宿內の鎭守なり、例祭正月二十五日、除地一段一畝、當社棟札に寬文九年十月廿五日とあり、神木と稱する杉圍一丈四尺許なるあり、上品寺の持なり 八幡社 疱瘡神社
朱の両部鳥居 鳥居の先は石段。その登った先に拝殿が見える。
境内は決して広くなく、上下2段に区切られていて、下の段には手水舎があり、最上階に拝殿を含む社殿、境内社、大杉のご神木が横長に配置されている。また上階の石段には、参拝客や氏子の方々、子供が誤って落下したりするのを防ぐためなのか、鉄製の手摺りが設置されている。
石段の中腹附近に設置されている案内板
天神社 御由緒 東秩父村安戶五三
◇天王様は暴れ神輿
急な石段の上に、切り立った山を背にして鎮座する当社は『新編武蔵風土記稿』に「宿內の鎮守なり、社地山足によりて磐岩を左右後ろの三方共に鑚鑿して宮造りせり」と記されている。
社伝によると、天文五年(一五三六)正月に安戸城主の上田左衛門大夫安吉が、菅原道真公を勧請したと云う。「新編武蔵風土記稿』は寛文九年(一六六九)十月の棟札があると記し、氏子は延宝八年(一六八〇)九月の棟札があったと伝えるが、現在は何れも存在しない。明治七年(一八七四)に村社となり、大正十三年(一九二四)七月三十一日に字南の稲荷社、字向山の稲荷社を境内に合祀した。現在の境内社の稲荷社がこれであり、デイゾウボウ稲荷と通称されており、その昔、デイゾウボウという僧が斬られ、この僧を葬った傍らに稲荷社を建立したことに始まると伝える。稲荷社の旧地は安戸橋の近くにあり、合祀後は畑にて氏子に貸与し、初午祭に供える天狗団子の材料の米はその氏子が出していたが、農地解放により民有地となった。その後、平成十八年(二〇〇六)に愛宕神社と山神社が境内に合祀された。
末社の八坂神社例祭は七月二十日に近い日曜日に斎行され、宵宮には神輿渡御が盛大に執り行われるが、往時の「暴れ神輿」は祭礼時御仮屋に安置される。
社頭の杉の大木は、「天神様の大杉」と云われ、周囲六メートル程で樹齢七〇〇年と推測され、昭和四十年村の天然記念物に指定された。
◇御祭神 菅原道真公
◇御祭日 元旦祭(元旦) 例大祭(二月二十五日)
案内板より引用
石段から見上げるように聳え立つ大杉のご神木
この社の最大参拝ポイントでもある。
拝 殿
東秩父村の社の特徴は、ほとんどの社は急斜面上に鎮座している点にある。村自体が秩父外輪山間部に位置していて、平野部の面積が少ないという地形的な理由もあるだろうが、村中を流れる槻川の水害から社を守る為に、斜面上の高台に鎮座させたこともあるのではなかろうか。
社殿の左側手前にあるご神木(写真左・右)
樹齢約700年、樹高約39m、幹周囲6.5mの大杉。東秩父村指定天然記念物
社殿左側に並列されて鎮座している境内社。(写真上段左・右。下段)上段の境内社は『新編武蔵風土記稿』や案内板に記されている「愛宕神社」「山神社」「八幡社」「疱瘡神社」辺りであろう。
下段は「デイゾウボウ稲荷社」。その昔、デイゾウボウという僧が斬られ、この僧を葬った傍らに稲荷社を建立したことに始まると伝えられている。
境内にはご神木の大杉以外に2本の巨木がある。
写真右端の杉が御神木の大杉。近くに2本の巨木が西側参道である石段の両脇を固めるように聳え立つ、3本の巨木の競演はなかなか立派な眺めだ。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内案内板」等