古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

岩根神社

 昔から狼はオオカミ(大神)ともいわれ、日本では古代から神として崇拝されていた。日本書紀の欽明天皇即位前記には、秦大津父(はたのおおつち)が狼を「汝は是貴(かしこ)き神にして、鹿(あら)き行(わざ)を楽(この)む」と言った話が記されている。かしこき神とは、賢明さと邪悪さを兼ね備えており、そのために人間から畏怖される神という意味である。
 現在でも埼玉県秩父地方の神社を中心に、狼が描かれた神札(お札)が頒布され、信仰を集めている。このすぐ南の武蔵御岳山上の武蔵御嶽神社には『日本書紀』の記述に基づく「おいぬ様」(または「お犬さま」)の伝説があり、日本武尊の東征の折、邪神が大鹿の姿で現れたのを野蒜で退治したが、その時に大山鳴動して霧に巻かれて道に迷ったのを、そこに忽然と白いが表れて道案内をして、無事に日本武尊軍を導いたので、尊は「大口真神としてそこに留まるように。」といったという。
        
             
・所在地 埼玉県秩父郡長瀞町井戸225
             ・ご祭神 大山祇命 大口真神(お犬様)ほか12
             ・社 格 不明
             ・例 祭 例大祭 417
   地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1097456,139.1165272,15z?hl=ja&entry=ttu
 岩根神社は荒川の右岸、埼玉県道82号長瀞玉淀自然公園線・通称「白鳥通り」を長瀞方向に進む。途中までの経路は「白鳥岩田神社」を参照。白鳥岩田神社から県道を800m程南行し、「岩根山」の石碑のあるY字路を左折、この道幅の狭い山道を15分程進むと山の中腹辺りに鎮座している。
             
              県道沿いにある「岩根山」と刻印された石碑

 この「岩根山」と表記されている石碑は県道沿いにあるとはいえ、目立たない場所にあるので、意識して左側を確認しないと、そのまま素通りしてしまうため、周囲の道路事情には気を付けながら進んでもらいたい。もっとも現在の車両にはナビが標準装備されているし、そのナビで住所登録もされているようなので、県道から曲がる際にもミスはまずない。
 また県道から社に続く山道も道幅は狭く、意外と長い。心細さを我慢しながら15分程うねった山道を進むしかない。
 
 山道も社に近づくにつれ道幅も広くなり、また整備されている。参拝時期は5月上旬と桜は既に散ってしまっていて、路面両端にその痕跡を残しているが、その代わりにツツジの開花時期となり、山道の風景も新緑が眩しい清々しさも感じられた(写真左)。
 山道の北側には社専用駐車場もあり、休憩用の屋根付きの小屋も設置されている。。看板も設置されていて、ここまで来れば一安心だ(同右)。
        
                                        井戸岩根神社正面入り口 
 
  入口右側にある地蔵様、石祠も1基している。   青天の中での参拝。参道にはツツジも咲き
                            
気持ちよく参拝に望めた。

 岩根神社が鎮座する「井戸」地域。嘗て武蔵七党「丹党」の一派がこの地域に移住してこの地域名を苗字としたようで、それが「丹党井戸氏」という。
武蔵七党系図
「峰信(桑名丹二大夫)―峰時(丹貫主、始めて関東居住)―峰房―武綱(領秩父郡)―武時―武平(又曰ふ武峰。天慶年中、故ありて武州に配流、秩父郡加美郡一井加世等を押領す。後に免ぜられて上洛)―白鳥七郎行房―七郎二郎基政―井戸政成(井戸、岩田、山田八)―直家」
丹党系図(塙氏本)

「山田八郎政成―五郎直家―直茂(井戸馬允)―馬五郎直忠、弟六郎家茂―八郎三郎家頼―宗重(弟弥三郎頼盛)。家茂の弟氏直、弟覚尊、弟九郎行成―八二郎行綱、弟弥九郎頼成、弟三郎家成、弟四郎宗氏」
 秩父一帯に勢力を拡大していた武蔵七党のひとつ丹党の一族に白鳥氏があった。丹経房の弟行房が白鳥に館を構えて白鳥七郎と名乗ったのが始まりとされる。『七党系図』では行房の子白鳥七郎二郎基政の孫にあたる政家が白鳥四郎を名乗ったともいう。白鳥氏の嫡流はその後岩田氏に代わり、以後の白鳥氏は傍流として存続する。この白鳥氏や岩田氏は同族の藤矢渕氏や井戸氏らと長瀞一帯を領有していたという。
        
                             
参道途中にあった鳥居の基礎部分
                最近まで鳥居が存在していたらしいが、現在は撤去されている。

 当初県道から山道に入り、狭く曲がりくねった道に不安感を抱いていた気持ちはもうここにはない。社周辺の花々や景色と供に鳥のさえずりが心地よく聞こえ、都市の喧騒さをふと忘れさせてくれる。桃源郷を思わせる別世界がそこには存在している。
        
                     拝 殿
      拝殿前には一対の狛犬ならぬ狛狼がお互い見つめ合うように並んでいる。
  今回第一にこの狛狼を見ることが参拝の目的であっても良いくらい待ちに待った社でもある。
 
      拝殿に掲げてある金色の扁額        拝殿手前で左側に鎮座する祖霊社
・岩根神社
 第十代崇神天皇の代、四道将軍の一人である武沼河別命が東方十二ヶ国の平定に当たり当地をお通りの際、濃霧のため、道に迷われたが、大山祇命の使いである巨犬が現れ、命を導かれた。命はここに大山祇命を祀られて奉謝する。これが当社の創めであると伝えられている。その後、日本武尊命、当社に詣でて剣を献じ給い、下って坂上田村麻呂社前に樫の苗木を植えて、「吾が心、樫の如く、固く折れず、挫けず、東蝦夷鎮圧を遂げさせ給え」と祈願する。更に下って天文年中、藤田右衛門佐重利、地内に天神山城を築き、当社を城の守護神として奉斎し、寄居鉢形城主北条氏邦もこれにならって当社を崇敬するという。しかし、鉢形落城後は社運衰退、社殿も腐朽したが、これを嘆いた里人の力によって寛政二年社殿が改築され、さらに、明治二十一年修繕を行い、最近では昭和六十一年に改築が再度行われている。これが岩根神社の由来である

祭神 大山祇命、大口真神(お犬様)、大己貴命(大国主命)、武沼河別命、御嶽大神
    木花開耶姫命(産泰様)、天手力男命、日本武尊命

岩根神社と御嶽・大口真神・産泰信仰
御嶽信仰は、境内に普寛霊神・一心霊神などの霊神碑が並び、また、境内内社の祖霊社に霊神牌を奉安し、当社を行場として拝するむきがある。明治18年奉納の「木食心願之記」なる額に記されている大木の下敷きになった老爺が当社祭神の加護により息を吹き返し、その後、この老爺の息子は神徳報恩のために木食修行を始めたという話がある。大口真神信仰は、明治29年奉納の「吉田父子盗難を免るの図」に代表される日本狼の絵馬数枚があり、盗賊除けの信仰である。産泰信仰は子授け、安産祈願所として信仰され、木製、竹製の底抜け柄杓が奉納されており、現在でも県内外から多くの参拝者が訪れている。
*岩根神社・岩根山つつじ園HPより引用

       
                     拝殿の左側奥に聳え立つご神木(写真左・右)

 現在でも社殿一帯に漂う不思議な雰囲気の一端は、まぎれもなく社殿の後方にあるコンクリート製の岩盤である。岩根神社は元々この山の中腹に岩座(いわくら)と思われる巨岩を背にして鎮座していた。現在は社殿の背後は岩壁が迫っていて崩壊防止のためコンクリートで敷き固められている。所々に石祠等が設置されているが、元々その地に置いてあり、コンクリートで固めた際も、その場を残すようにくり抜いて鎮座させているのであろう。
 筆者としては、コンクリートで固めた以前の巨岩を見てみたかった気持ちも強い。その点は残念だ。
       
           「虫歯守護神         「御嶽大神」の石碑
        中教正吉元大霊神」の石碑

 この「虫歯守護神」は白山神社と言われている。江戸時代中期。最後の女帝として知られる後桜町天皇(17401813)が歯痛で苦しんでいた。女官が白山神社(東京)から持ち帰った神箸(しんばし)と神塩をつけたところ、たちまち歯痛は治ったことから、白山神社には「歯痛平癒」のご利益があると噂されるようになったと伝えられている。
「白山」を語呂合わせで「歯苦散(はくさん)」と親しまれているともいう。
       
      社殿真後ろの岩壁のくり抜きにある   「一心霊神 厄除素戔鳴之尊」 
            蚕神像               の石碑

 蚕神像は頭には蚕蛾、左手に桑の木、右手にマユを持っている。秩父地域は昔から養蚕業が盛んな地域でもあり、蚕を神格化するのは当然ともいえる。
       
                          境内の隅に鎮座する境内社・稲荷社

 日本人は農耕民族なので、田んぼや畑をあらす猪や鹿などの動物は害獣。それらの動物をとらえて食べる狼は山の神としてあがめられていた。この信仰が広がったのは江戸時代であるが、当時の江戸町民には別の理由で信仰が広まった。防火だ。江戸は火事に悩まされており、火を見ると吠えると言われる狼の代わりに、三峯神社の札を家に置いたといい、江戸城に三峰山の木が献上されたこともあったとされている。
 信仰は全国に広がり、関東甲信越、東北などで無数の三峯神社を信仰する「三峯講」ができ、現在も約4千近くあるとされる。
       
                             拝殿からの美しい眺め

 日本国内では明治時代末期に絶滅したとされる狼であるが、埼玉の母なる川、荒川上流部に埼玉のみならず、山梨・東京・群馬・長野各都県に広がる秩父山系もまた、嘗て狼の生息地であった。
 この秩父山系一帯には「お犬様」と称して狼を祀っている社が多数存在しており、全国的に見ても特異な状況を示している。江戸時代から広まったとされるこの信仰形態は、関東甲信地域に広がりをみせ、その信仰は狼が絶滅したとされる以降、現在においても続いている。
 そのためこの地域では、現在も毛皮や頭骨を大切に保管・保存している家が何軒もあり、狼にまつわる伝承や伝説も各地で聞くことができる。

        
         岩根神社に通じる山道に設置されている「長瀞八景」の看板

長瀞八景
つつじと野鳥の岩根山   野上駅まで徒歩60
春の岩根山は、岩根山神社の例大祭(四月十七日)の頃、一千株を超えるミツバツツジやヤマツツジ、藤、山桜、椿、花桃、菜の花などが優しく微笑みかけてくれます。野鳥たちの囀りが聞こえ
、さながら桃原郷を思わせる風情です。また寄居町風布のみかん山に通じるハイキングコースはなかなか好評です。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「岩根神社・岩根山つつじ園HP」「Wikipedia」
    「武蔵七党系図」「丹党系図(塙氏本)」等
                         

拍手[1回]