古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

新島大雷神社(大電八公社)

        
            ・所在地 埼玉県熊谷市新島328
            
・ご祭神 別雷命
            
・社 格 旧村社
            
・例 祭 夏祭り 727日・28日 お日待ち 4月15日、1015日 
 新島大雷神社は国道17号を熊谷方向に進み、「新島」交差点を左折する。手押し式信号である為、一見分かりづらいかもしれないが、道路の両側にはドラッグストア、パソコン家電があるので、それを目印にすれば分かりやすい。左折後やや道幅の狭い道路を道なりに進行すると、Y字路となるので、右側の道を選び、暫く進むと新島大雷神社が鎮座する場所に到着する。
 実のところ、原島稲荷神社からも南西方向に300m程しか離れていない。新島大雷神社周辺には適当な駐車場がないため、伊奈利神社の社務所兼自治会館前の駐車場に置いて、徒歩にて参拝に向かう。
 住宅街の中にポツンと取り残されて鎮座いている社、という印象。
        
                     新島大雷神社 社殿は西向きで鳥居2基も西側にある。
  この西側には一見畑が広がっているように見えるが、他の周囲は住宅街となっている。
        
                         二の鳥居
        
                                     拝 殿
・風土記稿新島村条
「当村は古玉井村の地なりしを、文禄の頃、新島右近なるもの開墾す。新照寺は新島右近が開基にて、右近は慶長十一年三月十四日死す」
「新島」という地域名は、もとは玉井村の内であったのを文禄のころ新島右近が開墾し一村となしたので、開墾者の名をとって村名にしたものとみられる。
 慶長十三年検地帳には「玉井村新島分、正保年間の田園簿に玉井新田と称す」と書かれ、その後元禄年間に「新島村」と記されていて、その歴史的な経緯も垣間見られる。

 また『武蔵志』慶長十三年検地帳には「玉井村新島分、正保年間の田園簿に玉井新田と称す』の文化32月の条に「京円島村改新島村」と記され、「京円島(キョウエンジマ)村」が古い名前で、新島村に改められたことがわかる。
 一説によると、玉井村の地籍であった時は、京円島村とよばれており、その後大きくなり、独立して一村をなした時、新しくできた島(シマには村落の意味もある)ということで新島村と改められたと思われる

 
   拝殿右側にある『大雷神社 由来』木碑           本 殿

『大雷神社 由来』木碑は所々剥がれていて、読めない場所もあるが、そこは承知の上で記載する。。
『大雷神社 由来』
 当地新島は文禄年間(西暦一五九二年)に新島右近が開墾し、慶長年間(西暦一六○八年)には玉井村分と謂われ、元禄期(西暦一六八八年)までには新島村として独立するようになりました。江戸時代には旗本戸田氏や白須氏の領地となり、明治二十二年幡羅郡新島村から大里郡大幡村大字新島〇〇り、昭和七年四月一日に熊谷町大字新島、同八年五月一日、○〇〇〇熊谷市大字新島となる
 当社は古くは大電八公○(○○○○○クシャ)として現○○熊谷市大字新島大天○○○○○○八番地に○○○○○祭神は別雷命(ワケ○以下一行判別できず)の守護神として祀り○○○○○○○○○○後に○○雷神社と改め、明治四十二年四月○○○○○○○○神 ○○○○○○○○○○(祭神 大己貴命)、箱根社(祭神 伊○○○・伊○冉尊)を〇祀し、風の神、安産の神○して近郷の人々の信仰を集○○しました。後に風の神が風邪の神として子供のク○○○○(○のジフテリア)の悪疫除の神様として崇拝されまし○

 新堀に鎮座する大雷神社も同じく「大電八公社」の扁額が拝殿に掲げており、同じ系列の社と思われる。新堀雷電神社は「水神」を祀っていたところから、新島雷電神社も同じく水神を祀っていたと思われる。
        
      社殿右側には末社祠があり大黒天の石像と道祖神の石祠が祀られている。

 熊谷市のホームページには『
郷土こぼれ話』が掲載されていて、その中に「大雷神社 新島)」があり、全文掲載する。

 大雷神社は、新島地区の氏神様です。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等が活躍した時代、新島右近によって創建されました。
 大雷神社は、別雷命(雷の神様)を祀り、五穀豊穣の神様です。また、江戸時代病気が流行したとき、医者にかかることができなかった人々は大電八公様(大雷神社)に病気が治るように願をかけました。神社の拝殿にかけられていた馬のわらじを借りてきて、病人の枕元においておくと不思議と病気が治ったと言われています。お礼に馬のわらじを一つ加えてお返ししたそうです。
 大雷神社は人々を叶えてくれる神様でもあったわけです。御神輿はありませんが、人々の手を煩わせないやさしい神様でもあります。
現在、総代と年番という役員さんが中心になって神社をお護りし、祭事を執り行っています。1月2日には歳旦祭が、7月27日、28日には夏祭りが行われます。また、春(4月15日)と秋(1015日)のお日待ちには、地域の人たちがお参りに行きます。大晦日には、初詣のための準備をしています。
        
                  社殿から鳥居方向を撮影
           社の神様は今の風景をどのように眺めているのだろうか。

 江戸時代中山道に沿って家の数は少ないながらも、新島は神様を中心にして一つにまとまって発展してきました。400年以上たった今もこれからも同じようであって欲しいと思います。これから、社会はますます変わっていくと思いますが、新島地区の人たち皆が氏子として参加し、地域の人が一つにまとまって欲しいと思います。住んでいる人たちが行事に参加し、地域の文化を吸収して、さらに活用しながら次の世に伝えていくことはとても大切なことだと思います。神様に手を合わせること 大雷神社(新島)は、自然を崇めることであり、自然を大切にすることでもあります。そして、私たちは自然からたくさんの恩恵を戴いていることを忘れないようにしたいと思います。


郷土こぼれ話』の後半部分は、単に新島地区の人々を指し示しているのではなく、今を生きている我々に対する教訓にも受け取れる。
 現代社会を生きていく中で、日々の喧騒等により何か大切なものを失いつつある。それでも我々日本人が決して失ってはいけない文化や伝統、精神を改めて感じさせてくれた、今回の参拝であった。


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