尾島雷電神社
・所在地 群馬県太田市尾島町169‐1
・ご祭神 大雷命(おほいかづちのみこと)(推定)
・社 格 不明
・例祭等 えびす講 11月19日・20日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.2586497,139.3262426,19z?hl=ja&entry=ttu
阿久津稲荷神社のすぐ西側にある「尾島一丁目」交差点を右折すると、すぐ西側に雷電神社が見えてくる。互いに近距離に鎮座しているので、分かりやすい。
駐車スペースも社の南側に「尾島一丁目会館」があり、そこの一角をお借りして、尾島雷電神社・阿久津稲荷神社両社を参拝した。
尾島雷電神社 二の鳥居正面
実のところ、一の鳥居は県道354号線に面していて、交通量も多く、結局撮影できず。
一の鳥居から北方向に参道が続き、その先に二の鳥居がある。二の鳥居から先が境内となる。
街中にありながら境内は比較的広い。 境内参道の右側には「猿田彦大神」等の石碑がある。
石碑の奥には嘗て巨木・大木があったのだろうか。その切株が残っている。
拝 殿
太田市・新田郡(につたごおり)尾島地区は人口約1万4千数百人ほどの小さな町であるが、自然や歴史・文化の香りが今でも残る地域でもある。
町の南部を利根川が流れ、北には上毛三山の赤城・榛名・妙義の山々に囲まれている為、冬は上州名物空っ風が吹き、夏は雷が度々発生するという地形的な特徴がある。
古くは12世紀に新田氏の始祖である義重の子義季がこの地を領有し、徳川姓を名乗ったことから「徳川氏発祥の地」と呼ばれ、時の徳川幕府の厚い庇護を受けて来た。その後、幕府の破滅により経済基盤を失い、地域自体は衰退するが、今なお往時を偲ばせる貴重な文化財や史跡等が町のあちこちに点在している。
また江戸時代、津軽藩の飛び地がこの地域にあったことから、現在、友好都市である弘前市の協力のもと、毎年8月の14、15日に「尾島ねぷた祭り」が開催されている。
拝殿に掲げてある扁額
本殿覆堂
絢爛豪華な本殿彫刻。どうやら彩色修復の作業が行われているようだ。
雷電神社(らいでんじんじゃ)は、北関東地方を中心に日本全国に点在する神社。一様に雷除けの神とされるが、祭神や由緒は必ずしも一定ではない。
群馬県邑楽郡板倉町板倉には、旧社格は郷社で、関東地方の「雷電神社」「雷電社」の事実上の総本社格とされている板倉雷電神社が鎮座している。主な祭神は火雷大神、大雷大神、別雷大神。
板倉雷電神社の影響を受けているかどうかは不明だが、本殿等の彫刻の豪華さはずば抜けているように感じるのは、筆者の思い過ごしだろうか。
とはいえ、残念ながら尾島雷電神社の由緒等は不明。雷除けの神を祀っていて、本殿は寛政10年(1798)に建築されたものとのことというが、どのような経緯で、このような素晴らしい彫刻を施した社が建てられたか、知っている方がいたらお教え願いたい。
現在は冠稲荷神社の兼務社であり、そちらのHPを見ると、毎年11月19日・20日に「えびす講」なる祭事が行われるという。
境内の一風景
えびす講とは、年中行事としてえびすを祀る庶民信仰であり、神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、豊作や大漁あるいは商売繁盛を祈願する出雲系関連の祭事である。当社では釣竿の飾り、「お宝」の頒布や、熊手、福笹の頒布などを行っているという。
参考資料「太田市観光物産協会HP」「旧尾島町HP」「冠稲荷神社HP」「Wikipedia」等