行田桜町久伊豆神社
主祭神 大己貴命、事代主命
社 格 旧村社
例 祭 秋祭り9月18・19日
久伊豆神社は東行田駅の北約100m、埼玉県道7号佐野行田線に面して鎮座している。
創立は文明年中(1469-1487)とされているが、一説に応永年中(1394-1428)に成田家時が武運長久を祈ったのに始まるともいう。成田顕泰が忍城鬼門の守護神として隣接する長久寺と共に創建したという。旧村社。明治42年に町内の26社を合祀、さらに昭和30年に楯場にあった赤飯稲荷神社が摂社として合祀されている。
県道沿いにある一の鳥居
一の鳥居を越えてすぐ右側にある久伊豆神社の案内板
久伊豆神社
所在地 行田市桜町
久伊豆神社の祭神は、素盞嗚尊の子大己貴命である。
創立は文明年中(1469-1487)で、成田下総守顯泰が忍城築城に際し、城の鬼門の守護神として当神社を祀り、隣接する長久寺を別当とした。これに合わせ、城の裏鬼門の守護神として城の南西大宮口に、やはり久伊豆神社をおいている。
境内には15m四方の枝張りを有する藤があり、市指定天然記念物となっている。
この藤は、境内にある赤飯稲荷を合祀する際に、市内若小玉にある「紫藤庵の野田藤」を根分けして植えたものである。野田藤は、日本原産の藤であるが、花房が1.5mもあるのは珍しい。
なお、本社には市指定書籍の勝海舟書「大幟」原本も保存されている。
境内案内板より引用
二の鳥居 二の鳥居を過ぎると左側に神楽殿がある。
神楽殿の向かい側、参道の右側には15m四方の枝張りを有する市指定文化財である九尺藤(写真左)、また近くには案内板(同右)もある。境内にある赤飯稲荷神社を合祀する際に植えたものだ。但し藤の見頃である4月の下旬から5月の上旬にもう一回参拝に来たいと正直思った。
市指定文化財
九尺藤 昭和39年1月31日指定
原木は長野字林の堀口和三郎方にあり、往時忍藩主より藤の肥料として搾粕二俵の下賜があったと言われています。その後、若小玉の内田牧之助方に移植され、久伊豆神社が村内合社となるに及んでその苗を譲り受け境内に移植したものです。
目通り1.3m。
行田市教育委員会
案内板より引用
拝 殿
本 殿
本殿の手前にある赤飯伊奈利大神等の石祠群 同じく本殿の奥にひっそり鎮座する稲荷社等
また社殿の南側隣には摂社として赤飯(せきはん)伊奈利大社が鎮座 している。摂社の定義は通常、本社の 境内外にわたって配置され、多くは本社の祭神の妃神・御子神・荒魂(あらみたま),また地主 神など縁故の深い神を祀っている小規模神社の呼称であり、大宮氷川神社内に存在する門客人神社や、玉敷神社の宮目神社のような配置形態だが、この久伊豆神社に対する赤飯伊奈利大社のそれは、摂社というよりはむしろ並立神社といっても良いような立派な赤飯伊奈利大社の規模だ。
摂社赤飯伊奈利大社の鳥居とその左側にある社号標
摂社赤飯伊奈利大社の御祭神は宇迦之御魂神。本殿真下の地下に御神体が安置してあり、真っ暗の中を参拝するという胎内参拝の儀というのがあるそうだ。
拝殿内部
赤飯伊奈利大社の鳥居の左側には「勝海舟閣下書記念」の石碑があり、勝海舟が書いた「大幟原本」がこの社にあった。長さ10m、幅1.2m。書かれた経緯は、従来の幟は汚損し、明治維新により神号も改正されたので、明治17年11月氏子総代三氏が中心となり、東京大伝馬町の松雲堂主人の紹介で、前海軍郷参議正四位勝安芳公に依頼して書かれたものだということだ。現在は行田市郷土博物館に寄託している。ちなみにこの勝海舟書 大幟原本は市指定有形文化財となっている。