古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

下谷氷川神社

 鴻巣市内に残る豊かな緑は、生き物の生産場所となるほか、レクリエーション活動の場や災害時のオープンスペースなど、市民生活に安らぎと潤いを与え、都市の安全性を確保、向上させる等、様々な効果が期待されている。
 市では「鴻巣市緑化推進条例」を基に、市内の身近な緑を守り育むため、保護地区として、愛宕神社(原馬室地内)、赤城神社(赤城地内)、小松原神社(小松1丁目地内)、城山(大間地内)の4 か所(1.85ha)が指定されていると共に、保護樹木として寺社境内地のものを中心に保全に努めている。この制度は、良好な環境を保っている緑地や巨木、希少な樹木を指定し、所有者に適正な管理を行う努力義務をお願いするもので、保全のための奨励金を市から交付しているという。
 下谷氷川神社境内の「シイ」の木も保護樹木として指定されている巨木であり、社にとっては大切なご神木でもある。
        
             
・所在地 埼玉県鴻巣市下谷484
             ・ご祭神 素盞嗚尊
             ・社 格 旧南下谷村・中下谷村・北下谷村鎮守 旧村社
             ・例 祭 元旦祭 11日 春祈祷 44日 天王様 714日
       地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0536689,139.539303,16z?hl=ja&entry=ttu
 上谷氷川神社から一旦北東方向に進路をとり、T字路を右折する。道なりに500m程進むと変則的な3つ又の交差点に到着する。交差点左側手前にはコンビニエンスもあり、そこが目印となる。そこの真ん中の道を進み、200m程過ぎると左側に下谷氷川神社が道路に沿うように鎮座している。上谷氷川神社から1㎞もないほど至近距離に位置する。
 鳥居や社号標石碑がある正面の北側に専用駐車場があり、そこの一鶴に車を停めてから参拝を行った。
        
                             下谷氷川神社正面
 
 比較的長い参道を進む。両側には朱色の灯篭が並び、奉納者名の記載されている(写真左・右)。神社の案内板によると、かつては参道の両側は杉の大木が並び立っていたようだが、昭和41年(1966)の台風でほとんどが倒れてしまったという。代わりに灯篭を並べたとの事だ。
        
                            参道沿いに設置されている案内板
 氷川神社 御由緒 鴻巣市下谷四八四
 □御縁起(歴史)
 鎮座地の下谷は、『鴻巣宿深井家譜』に「六郎次郎景高下谷にて戦死」と見え、かつて地内にあった熊野社の天正十一年(一五八三)の鰐口の銘にも「武州上足立下谷宮」と彫られていたように、戦国期には既に開発され、一村をなしていたと思われる。その後、元禄年間(一六八八-一七〇四)までに北下谷村・中下谷村・南下谷村の三か村に分かれ、明治四年に再度合併して一村になった。
 この下谷全体の鎮守として祀られてきた神社が当社であり、『風土記稿』南下谷村・中下谷村・北下谷村の項には「氷川社 南下谷にあり、三村の鎮守なり」と記されている。当社の境内は、実際には北下谷の地内にあるため、この『風土記稿』の記事の中の「南下谷」は、「北下谷」の誤りではないかと思われる。
 一方、『明細帳』によれば、当社は宝永七年(一七一〇)に再建され、明治六年村社に列せられたことや、同八年一月五日に焼失したが同年五月二日に再建されたこと、明治四十年に西中曾根の村社氷川社など六社を合祀したことなどがわかる。その後は、昭和二十八年に拝殿と本殿覆屋が新築された。更に昭和四十一年には、台風で参道の両側に並び立っていた杉の大木のほとんどが倒れてしまったが、後に植樹が進められ、現在は立派な杜となっている。
 □御祭神と御神徳
 ・素盞嗚尊…災難除け、安産、家内安全
                                      案内板より引用

        
                     拝 殿
 
      拝殿に掲げてある扁額               本 殿
       
                       社殿右側奥に聳え立つご神木。鴻巣市指定保護樹木。
 
社殿右側に鎮座する境内社・日枝神社(山王様) 社殿左側に鎮座する境内社・八雲神社(天王様)
        
                                    趣のある境内。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「境内案内板」等   

  

拍手[1回]