小野袋鷲神社
・所在地 埼玉県加須市小野袋518
・ご祭神 天穂日命 武夷鳥命
・社 格 旧小野袋村鎮守
・例祭等 春祭り 4月15日 秋祭り 10月15日 新嘗祭 11月23日
小野袋八幡神社の東側に北西から南東方向に通る市道162号線は通称「わたらせ通り」といわれていて、起点は、板倉町の行政界である柳生字下宿2490番6地先で、終点は県道佐野古河線に合流する柏戸交差点までの3㎞程の市道である。
この「わたらせ通り」を東武日光線「柳生」駅方向に進行し、「小野袋」交差点を右折、200m程進んだ十字路を左折する。一面広がる田畑風景を愛でながら300m程進むと左手に小野袋鷲神社とすっかり葉を枯らしたイチョウの大木が2本見えてくる。
東側並びには小野袋集会所があり、駐車スペースはあるようなのだが、今回正面鳥居の南側にある車道とは別の路駐可能な空間があり、そこに停めてから参拝を開始する。
小野袋鷲神社正面
『日本歴史地名大系』 「小野袋村」の解説
柏戸村の西にあり、北は渡良瀬川を隔てて下野国都賀(つが)郡下宮村(現栃木県藤岡町)、間の川跡を境に上野国邑楽郡海老瀬村(現群馬県板倉町)。「袋」に低地・低湿地の意もあることから、村名は蛇行した河川の湾曲した低地に位置したことに由来するという。田園簿では水損場と記され、田高一四二石余・畑高三一六石余、宝暦一一年(一七六一)には前々古新田改出高九二石余が加わり高五五二石余となる。同年の反別は田方三二町五反余・畑方六九町四反余(「村鑑帳」田口家文書)、安政三年(一八五六)には下田三二町三反余・下々田二反余、中畑一四町八反余・下畑四〇町九反余・下々畑一町二反余、屋敷三町九反余・葭畑五反余(「辰年貢割付状」同文書)。
小野袋鷲神社は天正八年の創立と伝え、鷲宮町の鷲宮神社から分霊したという。
正面の鳥居左側にある「愛染明王像塔」の案内板
加須市指定有形文化財 愛染明王像塔
昭和五六年三月 指定
像容は通形で、右に「造立者為妙色増長民屋豊穣」左には「寛政五丑十一月吉日願主当村中」と彫られている。
この愛染明王像塔は二十六夜待供養のために造立されたものである。塔頂に笠付きであった痕跡をのこしている。愛染明王を刻むものは全国的にみてもその分布がかなり限られており、独尊として造立されたのは江戸時代中期に始まって文政頃に終わっているようである。愛染明王像塔の独尊としての希少価値と、二十六夜待の講中が小野袋にあったことを伝えるものとして重要である。
案内板より引用
拝 殿
鷲神社 北川辺町小野袋五一八(小野袋字中通)
小野袋は、北川辺町の最北で、栃木県藤岡町の下宮、群馬県板倉町の間々田に接する。長禄三年古河公方足利成氏と上杉教房両軍の戦場とまり、当社の西には、この時の戦死者を葬ったと伝える御檀塚(おだんづか)が残る。御檀塚にかかわる言い伝えに「小野袋の集落が滅びる時には御檀塚を掘ってみろ」がある。
鷲神社は、天正八年の創立と伝え、鷲宮町の鷲宮神社から分霊したとされ、寛保元年社殿再建、宝暦一四年拝殿再建と伝えるが、昭和五八年火災により焼失したため、現在社歴に関する記録は失われてしまった。なお、社殿は昭和五九年に再建されている。
『風土記稿』には、「鷲明神社 村の鎮守なり、来福寺持」とあり、真言宗豊山派薬王院来福寺が江戸時代は管理していたことがわかる。祭神は天穂日命・武夷鳥命である。社殿は入母屋造り瓦葺き平入りで、内陣には白幣を祀る。
境内は一九一坪で、戦前まで境内南に二畝ほどの神田があり、当番が耕地に当たり、取れた米で九月一五日の大祭に供える甘酒を作っていた。また、境内には、明治の神仏分離の際、村内から集められたといわれる庚申塔四基と町指定文化財の愛染明王像がある。
*平成の大合併の為、現在の住所は違うが、敢えて文面は変えずに記載している。
「埼玉の神社」より引用
境内西端に並ぶ庚申塔と愛染明王像塔
左から二番目が愛染明王像塔で、それ以外は庚申塔
当社の祭りは、元旦祭・春祭り・秋祭り・新嘗祭の四回で、このほか、七月と一二月に人形を焼く大祓が行われる。
元旦祭は、一日に早朝氏子が参集し、祭典のあと御神酒を頂き、神礼を受ける。
春祭りは、旧暦三月一五日に行っていたが、現在は新暦の四月一五日である。祭典は総代・区長の参列により行われる。
秋祭りは、旧暦九月一五日であったが、現在は新暦の一〇月一五日である。一四日に当番が掃除を行う。昔はこの日の夜、当番が神社にお籠りをしたといわれ、一五日朝、氏子が赤飯・里芋の煮っころがしを神社に持参し、お籠りをした者がこれを頂く。一五日は朝、幟を立て、祭典を行う。戦前までは、神田でとれた米で当番が甘酒を作り参拝者に配ったことにより、この祭りを「甘酒祭り」とも呼んだ。この日の午後には、拝殿にお囃子の道具や幟を並べ、次の当番に道具確認の上、申し送りをした。これが済むと、区長が酒五升、現当番が各自で祭礼料理を持ち寄り、次の当番の者に振る舞うという。
新嘗祭は、一一月二三日であり、総代・区長の参列により祭典が行われる。
長閑な田畑風景が広がる小野袋地域
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「境内案内板」等