古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

木部三光神社

妙見信仰は北極星や北斗七星を神格化した信仰である。古代、中近東の遊牧民や漁民に信仰された北極星や北斗七星への信仰は、やがて中国に伝わり天文道や道教と混じり合い仏教に取り入れられて妙見菩薩への信仰となり、中国、朝鮮からの渡来人により日本に伝わったといわれ、秩父地方も古くから妙見信仰が伝わった地域である。
 妙見信仰は秩父地域を中心に木部三光神社も嘗ては妙見社と称していたという。
 近くの東秩父村安戸地区には安戸身形神社が鎮座し、「妙見様は三姉妹で、長女は当社、次女は安戸の身形神社、三女は秩父神社である」との伝承が残されているという。木部三光神社当社の境内に接して走る道は安戸方面に抜ける古い道筋で、安戸から更に粥新田峠・定峰峠を経て秩父に至っており、この道を伝って妙見信仰が当地に伝播したことは想像に難くないという。
        
             ・所在地 埼玉県比企郡小川町大字木部458
             ・ご祭神 大日孁貴命・月夜見命・国常立尊
             ・社 格 旧男衾郡竹澤木部村鎮守
             ・例祭等 不明
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0691396,139.230241,17z?hl=ja&entry=ttu
 木部三光神社は東武東上線竹沢駅から埼玉県道30号飯能寄居線方向に直進し、交差点をそのまま進む。しばらくすると細い道幅になるが、対向車や低山ハイキングで歩かれている方々には気を付けて進むと、低山ハイキング用に設置されたのであろう木部公衆トイレが右側に見え、その先のY字路の斜面上に木部三光神社は鎮座している。
 専用駐車場は無いが、東側の道端に退避エリアがあるのでそちらに駐めて、参拝を行った。
        
                         Y字路の角地に鎮座する木部三光神社
               
                    道路面から一段高い場所に鎮座する社     
         
               境内に設置されている案内板
 三光神社  所在地 比企郡小川町大字木部
 三光神社は、建久年間(1190)奥州大河兼任の乱に際して活躍し、その後も武蔵荘園の武士として鎌倉幕府の基礎となってきた、児玉党(武蔵七党の一つ)の一族竹沢氏の子孫が建立したと伝えられている。
 江戸時代までは、妙見社といわれ北辰妙見大菩薩を祀っていたが、明治初年の神仏分離により、日・月・星を祀る三光神社と改称している。
 古くは、うろこぶきの神明造りの神殿であったが、明治二年に再建された。また、本堂上屋並びに拝殿は、昭和二十六年に建てられたものである。
 昭和五十九年三月 
埼玉県 小川町                     案内板より引用
             
        
                     拝 殿
 ご神木の杉が拝殿に向かう参道内にもたれるように聳え立ち、正面ではこのアングルしか撮影することしかできなかった。
         
                ご神木である大杉の案内板
 三光神社の大スギ   平成8419日 町指定天然記念物
 三光神社は、一般に「妙見様」として知られていますが、元来は妙見社と称し、明治維新の神仏分離によって三光神社と改称されました。東秩父村の安戸に鎮座する身方神社も、神仏分離までは妙見社と称しており、同社には、「妙見様は三姉妹で、長女は木部の三光神社、次女は安戸の身方神社、三女は秩父神社である」との伝えがあります。
 神社本殿を囲む社叢の中でひときわ目立つ大スギは、目通り4.6m、樹高35.1mを測り、御神木として、地元の信仰を集め愛護されています。
 スギは比較的湿潤な土地を生育の好適地とし、神社の社叢は小さな沢に接する山裾にあることから、スギの生育に適した立地であるといえます。また、本殿左後方のスギ林の中にスダジイ・アラカシの高木が各一本ずつあります。
 小川町教育委員会                              
案内板より引用
 
      拝殿に掲げている扁額           拝殿左側に鎮座した末社群
今も氏子からは妙見様の通称で呼ばれることが多い   左から稲荷神社・手長男神社・聖天社

 社伝によると、当社の創建は児玉党の竹沢氏の子孫により行われたという。竹沢氏は大字靱負を本拠とした中世の豪族で、正平十三年
(1358)に竹沢右京亮が足利基氏と謀って新田義興を矢口の渡しで謀殺したことで知られている。
 一方、同じく妙見社(現身形神社)を鎮守とする東秩父村安戸には「妙見様は三姉妹で、長女は小川町木部の三光神社、次女は安戸の身形神社、三女は秩父神社である」との伝承が残されている。この伝えは、妙見信仰の系譜を物語るものとして重要である。秩父地方の妙見信仰は、秩父神社を中心として盛んで、俗に妙見七社といわれ、秩父神社の分社を郡境の交通の要所七か所に祀り、攘災の守り神とした。そのうちの一社が東秩父村安戸の妙見社である。当社の境内に接して走る道は安戸方面に抜ける古い道筋で、安戸から更に粥新田峠・定峰峠を経て秩父に至っており、この道を伝って妙見信仰が当地に伝播したことは想像に難くない。
「風土記稿」には「妙見社 村の鎮守なり、村持」とある。
 当社は神仏分離により三光神社に改称した。その社号は「明細帳」に見える大日孁貴命・月夜見命・国常立尊の三柱の祭神にちなんでいる。しかし今も氏子からは妙見様の通称で呼ばれることが多い(中略)
 末社に手長男神社・聖天社・稲荷神社がある。手長男社は、天保八年(1837)に神主相馬播磨藤原知祇により勧請された。火防の神といわれ、十二月十日の祭事に配られる神札を家の台所に貼る。聖天社は、氏子の根岸銀蔵家(既に絶家)の氏神であったと伝え、当社の春祭り(四月第一日曜日)に合わせて祭事を行っている。稲荷社は当社の例祭に合わせて祭りを行っている。
                          「埼玉の神社 大里 北葛飾
比企」より引用
        
                 
拝殿前の石段より撮影


 

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