日高市・聖天院
・所在地 埼玉県日高市新堀990‐1
・宗旨・宗派 新義真言宗真言宗智山派
・正式名 高麗山聖天院勝楽寺
・札所等 武蔵野三十三観音霊場26番札所
武幡横手神社参拝後、帰路につき、「カワセミ街道」を北東方向に進む途中で立ち寄った高麗山勝楽寺聖天院。山の高台に位置するので、街道からでも山門(風神雷神門)や本堂、その奥にある多宝塔もしっかりと見え、その境内の広大さや入口付近にある日本庭園も手入れが行き届き、整備されていて、一見の価値はある。
聖天院正面
『日本歴史地名大系』 「聖天院」の解説
高麗川左岸の丘陵地にある。高麗山勝楽(しようらく)寺と称し、真言宗智山派。本尊は不動明王。かつての本尊は金銀の双身の聖天尊(歓喜天)で、高麗王若光が高麗国から持参したと伝える。創建の年代は不詳。寺伝によれば、高麗郡建郡の際武蔵国に来住した高麗人の首長高麗王若光の没後、若光に従っていた僧勝楽はその冥福を祈るため、若光の念持仏を安置して伽藍を建立しようとした。だが果せないまま没し、そののち弟子聖雲(若光第三子)らが一寺を建立して勝楽寺と称したという。当寺蔵の梵鐘(国指定重要文化財)の銘には文応二年(一二六一)三月日の紀年と「武州高麗勝楽寺」とあり、旧称が勝楽寺であったことを裏付ける。
入り口付近に設置されている案内板(写真左・右)
聖天院(しょうでんいん)は、遠く奈良時代(西暦751年)に創建された真言宗智山派の寺院で、寺号は高麗山聖天院勝楽寺である。武蔵野三十三観音霊場二十六番札所。
高麗王若光の菩提寺として創建された。寺号は若光が高句麗より持参した歓喜天を本尊とすることから名付けられたという。1345年に法相宗から真言宗に改宗。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)、寺領として高麗郷内に15石を寄進されたという。
綺麗に整備された寺院
今回、帰宅後の予定もあり、入口付近からでの風景散策しかできなかったことは残念で、
機会があればゆっくりと散策したい寺院でもある。
参考資料「日本歴史地名大系」「聖天院公式HP」「Wikipedia」等
