上新田諏訪神社
「諏訪神社本殿」は、当地の代官であった柴田信右衛門豊忠によって延享3年(1746) に創建されたと伝えられ、その後、嘉永5年(1852) に再建されました。創建時の棟札によると、「歓喜院聖天堂」の造営に深く関わった三ヶ尻村出身の内田清八郎が大工棟梁となり、上州花輪村出身の石原吟八郎が彫刻を担当しました。また、林兵庫正清が細工の意匠に関わる他、彩色は聖天堂と同じく狩野金信が施し、高い技術力を発揮しました。檜皮葺の屋根は信州松本城下の太田松右衛門などに委ねられ、いわゆる当時の日本を代表する技巧派集団によって本殿の建立がなされたことが分かります。
本殿の構造は、間口1.47m、奥行2.27mの欅造による一間社流造で、屋根の下には三角の形をした千鳥破風、軒の下には上部が丸く形作られる唐破風を付け、正面には屋根が張り出した向拝を設けています。現在、彩色の多くが薄れていますが、各所に施された人物や動植物の装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格を感じることができます。
「熊谷市文化財日記」より引用
・所在地 埼玉県熊谷市上新田227
・ご祭神 建御名方命
・社 挌 旧村社
・例祭等 例祭 10月17日
上新田諏訪神社は熊谷市の荒川南岸、上新田地区に鎮座している。埼玉県道47号深谷東松山線と埼玉県道81号熊谷寄居線が交差する押切橋交差点を東側、つまり旧川本町方向を約500m位進むと左側にその社叢が見えてくる。ただ社殿は南側に向いているため、この道路に対して背をむいている。その為社殿正面に着くためには少し遠回りする必要があり初めて参拝する人は事前に地図等での確認は必要だ。
駐車場は、境内に上新田集会所があり、その手前の駐車スペースを利用し参拝を行った。
上新田諏訪神社正面参道
参道には荒川の川石を全面に敷き詰めているものと思われる。また鳥居の前にも参道の両側に大きな川石を2個利用して門のような形状となっている。何となくその配置状況が面白い。
参道の左側にある諏訪神社社号標 案内板
諏訪神社 所在地 熊谷市上新田
諏訪神社の祭神は建御名方命である。
創立年代は不詳であるが、本殿は延享3年(1746)に柴田信右衛門豊忠が再建し、明治28年に修理したものである。拝殿は寛保2年(1742)に建立されたが、昭和41年の台風により倒壊、直ちに改築に着手し昭和42年に完工した。
末社には女諏訪神社、天神社、琴平神社があり合祀されている。
大祭は毎年10月17日であるが、前夜祭は、拝殿に一対の大きな御神灯(提灯)がつけられ、参道には各氏子の御神灯が並び、一斉に火が灯され壮観そのものである。
最近まで、地区内を山車(だし)が屋台囃子(やたいばやし)もにぎやかに練り歩き、神楽を奉納し、この地の無病息災を祈願したもので、今でも屋台囃子を永久に保存しようと努めている。
案内板より引用
静かに佇む境内
拝 殿
拝殿向拝柱の水引虹梁には細やかで精巧な彫刻が施され、素晴らしい。
木鼻部位にも精巧な彫刻が施されている(写真左・同右)
覆堂内にある見事な本殿の案内板
一間社流造 正面千鳥破風付 向拝軒唐破風 桧皮葺
壁面のみならずほとんどの部分に彫刻が付けられ、さらに、柱・長押・頭貫から丸桁にいたるまで地紋彫が施されている。現在、彩色の多くが薄れているが、各所に施された人物や動植物の装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格を感じることができる。
社殿の手前左側にある境内社(写真左・右)。
由緒書きでいう琴平神社・天神社(写真左)、女諏訪神社(同右)であろうか。