馬見塚神明社
・所在地 埼玉県行田市馬見塚731
・ご祭神 大日孁貴命
・社 格 旧村社
・例祭等 馬見塚の獅子舞 9月第1土曜日
地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1679954,139.4333215,16z?entry=ttu
行田市馬見塚地域西南部に鎮座する。事前のレクチャーが不足していたのだろうが、南河原・河原神社から中江袋剣神社に向かう途中の道路東側にこの社は鎮座していたのを気付かずに通り過ぎていて、中江袋剣神社から500m程しか離れていない。
途中までの経路は中江袋剣神社を参照。南河原・河原神社からのルートとしては、「士発田集会所」の先の十字路を右折し、左手に「南河原浄水場」入口が見える南北に通じる道路の南川に、特別養護老人ホームがあり、その施設の南方向200m程の場所に馬見塚神明社は鎮座している。
因みに地域名「馬見塚」は「まみづか」と読む。
馬見塚神明社正面
『日本歴史地名大系』 「馬見塚村」の解説
[現在地名]南河原村馬見塚(まみづか)
犬塚(いぬづか)村の南に位置し、東は斎条(さいじよう)・和田・下池守の三村(現行田市)。古墳後期の集落跡があり、条里制に由来する町地名が残っていた(風土記稿)。東部の御堂塚付近に馬市が立ち、塚の上から馬の良否を見分けたという伝説があり、純農村地域であるが地方的な流通市場が形成されていたとも推測される。
天正一〇年(一五八二)の成田家分限帳に載る馬見塚三河(永二一貫文)は当地出身という(風土記稿)。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、旗本領分の役高六八九石余。
正面鳥居は北向きであるが、そこから参道は右側 鳥居と社号標柱の間にある塞神、御神燈、
に曲がる為、社殿は東向きとなる。 記念碑等が集中的に置かれている。
後日地図を確認すると、中江袋剣神社の他に下池守子守神社も近距離にあり、この社を頂点に、西南方向に鎮座する中江袋剣神社、南東に鎮座する下池守子守神社は丁度正三角形を形成している。
境内の様子
『新編武蔵風土記稿 馬見塚村条』
「村内東の方に御堂塚と呼ぶ小塚あり、此邊昔馬市立て、この塚上に登り善悪を見分けしゆえ、いつとなく村名に呼なせしと云、【成田家分限帳】に永二一貫文馬見塚三河と載たり、これ当村に住して在名を氏とせしものなるべし、」
鎮座地馬見塚の地名の由来は、「風土記稿」によると、村内東部の御堂塚付近に昔、馬市が立ち、塚の上から馬の良否を見分けたことによるといわれ、その後馬市での伝承行為がいつのまにか「馬見塚」という地域名となったという。また、「成田分限帳」に記載されている、馬見塚三河を名乗る人物は、当地の住人であったであろうといわれている。
拝 殿
馬見塚神明社
鎮座地馬見塚の地名の由来は、「風土記稿」によると村内東部の御堂塚付近に、昔、馬市が立ち、塚の上から馬の良否を見分けたことによるという。また、「成田分限帳」に記載されている、馬見塚三河を名乗る武士は、当地の住人であったであろうといわれる。
当社の創立は「明細帳」には「古老ノ口碑ニ拠ルニ往古伊勢神宮ノ分霊ヲ這ノ地二勧請ナシタルモノナリシト当時氏子凡三拾余戸ニテアリシカ自然一村挙テ崇敬スル所トナリ依テ当村ノ鎮守ト尊崇セリ」とある。往時の別当は、真言宗薬王山善林寺西善院が務めていた。
明治初めの神仏分離により寺の管理を離れ、明治四年に村社となり、同42年には同村同太字字書際の久伊豆社・諏訪社・稲荷社が本殿に合祀された。当地は、元は上・下に分かれ、上の鎮守が当社であり、下の鎮守が久伊豆社であった。
祭神は、大日孁貴命である。神明造りの本殿は昭和42年の再建である。内陣には「稲荷大神 久伊豆大神 諏訪大神」と「神明大神」と記された神璽二体と祭神名不詳の神璽一体を祀る。神璽の墨書に「明治二己巳年五月廿日 神社混淆御役人共忍表岡村覚太郎与神人罷越御幣引替申候 御幣箱大工巳之助作之」とあり、神仏分離当時の様子をうかがい知ることができる。
「埼玉の神社」より引用
規模が大きな社でないにも関わらず、社殿近くに聳え立つご神木である大欅(ケヤキ)の存在は、まさに圧巻である(写真左・右)。主幹は既に無くなっており、更には裏に回ると、根本日斤から大きく空洞化している。主幹から伸びている1本の大枝や、数本の細枝は元気な様子だが、既に全盛期は越えてしまっているのが、実見しただけであるがそれでも分かる状況だ。
それにしても貫禄ある風格が漂うご神木である。
社殿の左側にひっそちと祀られている境内社・石祠。
ひっそりと静まり返った境内
ところで、「行田市HP」によると、馬見塚地域には「馬見塚の獅子舞」といわれる伝統芸能が今も受け継がれているという。「市指定民俗文化財」の区分で、平成21年7月30日に指定された「無形民俗文化財」であり、その形態は「三匹獅子舞」という。
「馬見塚の獅子舞」
馬見塚の獅子舞は、市内馬見塚地区に伝わる民俗芸能で、現在は馬見塚獅子舞保存会が保存・継承し、神明社の大祭の際に奉納されています。
起源については不詳ですが、獅子用の古い太鼓の胴内に文化4年(1821)の墨書があり、江戸時代の馬見塚村の村社であった神明社に250年以上前から奉納されていると言われています。
獅子は法眼(ほうがん)、雄獅子(おじし)、雌獅子(めじし)からなる三匹獅子舞で、他に面化(めんか)、笛方、道化(どうけ)、棒方などで構成されています。
神明社で棒術から始まり「岡崎(おかざき)」、4人の花をかぶった子どものまわりを舞う「花掛かり(はながかり)」を舞った後、村回りを行います。諏訪神社では面化が獅子に酒を振舞う「稲穂(いなほ)」、薬師様で「おかざき」の変形、不動様では動きが早い舞の「ぶんなぐり」、西善院では「鐘巻(かねまき)」を奉納します。「鐘巻」は安珍清姫の道成寺説話に基づくものです。「いなほ」、「ぶんなぐり」の舞は他地域には見られないものです。昭和48年には旧南河原村の無形文化財に指定されました。
現在は9月の第1土曜日に実施されています。
参考資料「新編武蔵風土記稿」「日本歴史地名大系」「埼玉の神社」「行田市HP」等