古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

北山田八幡神社(赤城神社)


        
             
・所在地 埼玉県川越市山田2251
             
・ご祭神 誉田別尊
             
・社 格 旧網代村鎮守・旧村社
             
・例祭等 春季例祭 414日 秋季例祭 1014日 新嘗祭 125
 石原町愛宕八坂神社近くの「石原町」交差点を川越市神明町方向に進み、埼玉県道12号川越栗橋線に合流後、国道254号線との交点である「宮元町」交差点を左折する。その後、「北部ふれあいセンター」交差点を右折し、450m程北行した後、十字路を左折し、暫く進むと進行方向右手に北山田八幡神社の鳥居が見えてくる。社の東側に隣接して「北山田自治会館」があり、そこから社の境内の一隅に車両を駐車してから参拝を開始する。
        
                 
北山田八幡神社正面
 創建年代は不明、ただ当社が所蔵している厨子には「文禄二癸巳年(1593年)」と記されていることから、その頃までには既に存在していたものと推測される。
 1872年(明治5年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。そして「山王社」から「日吉神社」に改称した。1900年(明治33年)、これまで当社は旧別当寺だった「教学院」跡地に住んだ岩田家の邸宅内に位置していたが、村社が個人宅にあるのは不適当ということから、現在地に移転した。
 1909年(明治42年)の神社合祀により周辺の6社が合祀され、その中の福田にあった村社「赤城神社」の社殿を移築し、社名も「赤城神社」に改称した。
        
                    拝 殿
 赤城神社  川越市山田二二五-一(山田字蔦木町)
 口碑によると、当社の創建は「昔、村の太郎左衛門という者が、近江国滋賀郡坂本村から日吉山王権現を勧請したことによる」という。
 当社の旧本殿の内陣に納める山王権現の厨子銘には「奉請日吉山王権現 文禄二癸巳年三月十五日 願主 武蔵国入東郡網代村中右村山王山教学院栄村」とある。
 往時、別当を務めていた教学院は、現在当社の西側にある「ホウエン」あるいは「山王様の家」と呼ばれる岩田家である。
 古くから当社は教学院の邸内に祀られていたが、明治五年に日吉山王社の社号を日吉神社と改めて村社となり、同三三年に村社が個人の屋敷内に祀られていることは問題であるとの意見があり、現在地に移転した。
 明治四二年大字福田の村社赤城神社、字落合の八坂社・頭殿社、字金山の金山社、大字向小久保 の村社八幡神社、大字宿粒の村社八幡神社を合祀した。
 合祀に伴い福田の村社赤城神社社殿を移築し、同時に社号日吉神社を赤城神社と改称の上、従来の日吉神社を当社末社とした。
 昭和三三年福田住民の要請により、赤城神社を返還し社号を八幡神社と改めた。
                                  「埼玉の神社」より引用 

        
                  境内社・日吉神社


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」等

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