古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

皆谷朝日根八幡神社


        
             
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村皆谷1311
             
・ご祭神 品陀和気命(応神天皇)
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 元旦祭 元旦 祈年祭3月中旬の日曜日 例大祭 113
                  
新嘗祭 11月下旬の日曜日
   地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0369711,139.1618011,15z?hl=ja&entry=ttu
 東秩父村の埼玉県道11号熊谷小川秩父線沿いに鎮座する皆谷天児安神社を更に450m程南下し、「朝日根方面」「ヤマメの里公園駐車場」の看板が見えるT字路を右折する。くねくねと曲がった山道が暫く続き、途中何本も脇道もあるが、我慢して山道を3㎞程進む。車を走らせながら森林に囲まれた薄暗い山道を進んだかと思うと、急に辺りは明るくなり、民家というか集落も所々に点在していて、陽光が燦々と降り注ぐ山の斜面には広々とした段々畑もあり、晴天という天候も相まって、そこには綺麗な山なみの景観を楽しむことができる。
「斜面集落」は、空が大きく開けていて天気が良い日であれば青い空を充分満喫できる。遠くの山もすぐ近くに感じられ、畑と家々が造る里山の風景はまた格別である。

 一方このような奥深い外秩父の冬、何の遮蔽物もない場所で風の強い日はどの位つらいだろうか、雪はどの位積もるのだろうか、と当地に生活する方々の日々の生活に思いを馳せてしまったことも事実である。

 そのような事を考えつつ、森林に囲まれた薄暗い山道が急に開け、集落地の里風景が広がった右カーブにかかる手前正面方向に、周囲の山なみに茂る木々とは明らかに違う皆谷朝日根八幡神社の社叢林が見えてくる。
        
                             皆谷朝日根八幡神社の社叢林
     日影となっているが社叢林中央下部の間からは木製の鳥居や社号標柱が見える。
        
                              皆谷朝日根八幡神社 一の鳥居
『新編武蔵風土記稿 皆谷村条
 八幡社
 小名牧野にあり、本山修驗、明王院配下、金龍房持除地七畝、社頭老杉茂生す、神體白幣、本地彌陀木の立像、文和二年の勸請にて、村の總鎭守とす、例祭八月十五日又は九月十五日、當村明王院當時支配せり
 雷電社 稻荷社 天王神 天神社 以上の小社みな本社の左右にあり
 精進屋 村民等潔齋の時こヽに炊食す
 古碑四基 一は文和四年正月、一は同年七月、一は延文六年八月、一は明應のもの年月不明なり
 
 一の鳥居からは参道が伸びている(写真左)が、鳥居の先にある杉の巨木が両脇に聳え立ち、参道にまで根を張っている状態で、所々幅が短くなっている(同右)。樹勢も良いようで、幹から伸びる枝や葉も勢いよいようだ。
 実は県道から山道に入る手前にある商店に立ち寄り、ジュース等商品を購入した際に、そこの商店のお婆さんからこの社に関して色々と有益な話を聞いたのだが、お婆さんから最初に聞いた話はこの大杉であった。やはり地域に住む方の生きた情報はありがたいものだ、と改めて感じた。
       
            鳥居に対して右側に聳え立つ大杉(写真左・右)
       
    右側の大杉は参道内部から撮影することができず、一旦外に回って撮影(写真左・右)
        
 大杉等多くの巨木に囲まれた参道を通ると石段が見え、その石段が終了するその先には石製の二の鳥居が現れる。石段から鳥居方向を撮影する際に、その先に見える拝殿の様子もアングルとして納められ、その遠近感の妙と、樹木の囲まれた参道から、陽光を浴びた拝殿との光のコントラストが素晴らしく美しく、思わずシャッターを切ってしまった。
        
                                  境内の様子
 皆谷(かいや)地域は東秩父村西部に位置する。北で坂本、東で御堂、南で白石、西で皆野町三沢と隣接する。槻川上流域の山間部にあたる。小字として皆谷・新田・山口・森ノ脇・大切・朝日根・小安戸・八重蔵・湯ノ木が挙げられる。大霧山東側の緩傾斜面に沿って民家が散在する山村。東部を北流する槻川に沿って県道11号線が南北に縦貫する。大霧山を中心として南北に縦走する尾根は村界であると同時にハイキングコースとしても整備されている。皆谷の榊は高さ約10 m、幹回り2 m弱の巨木であり、県天然記念物に指定されている。
 地名の由来として、「南方に聳える笠山
(837m)をはじめとする高い山々に四方を囲まれているため、日の短い冬などは太陽が高くならないと中々村に光が差し込まない谷間の地形の意」に由来するという。

『新編武蔵風土記稿』においてもこの地域名に関して、以下の記載がある。
「中にも笠山と云るは南に聳(そびえる)て最も高く、北陰の地形なれば、冬日の短きに至りては、曜靈の照らす所も午天にあらざれば遍からず、かゝる山谷の村居なれば、村名の起り推てしるべし」
        
                                   拝 殿
        
                           拝殿の手前で右側にある案内板
 八幡神社  御由緒 東秩父村皆谷一三一一
 ◇例大祭には「朝日根の獅子舞」が奉納される
 当社の鎮座する皆谷は、南方に聳える笠山(八三七㍍)をはじめとする高い山々に四方を囲まれているため、日の短い冬などは太陽が高くならないと中々村に光が差し込まない。皆谷と云う村名は、このような地形から名付けられたものであろう。 口碑によると、当社は初め、「マキノウチ」と呼ばれる家の氏神であったが、後に村の鎮守になったと伝えられる。マキノウチとは「巻の家」の意味で、ほかの土地から巻物と八幡様の神像を携えて当地に移住したとの伝えから、このような屋号で呼ばれるようになったと云う。 『新編武蔵風土記稿』には、「小名牧野内にあり、本山修験、明王院配下、金竜房持、除地七畝、社頭老杉茂生す、神体白幣、本地弥陀木の立像、文和二年(一三五三)の勧請にて、村の総鎮守とす、例祭八月十五日又は九月十五日、当村明王院当時支配せり」と載せる。 明治三年(一八七〇)に村社となり、現在も本殿(平成十三年村指定有形文化財彫刻)には白幣を祀り、十一面観音像を安置している。 例大祭当日には、十二庭からなる「朝日根の獅子舞」(昭和五十六年村指定無形民俗文化財) が奉納される。
                                      案内板より引用
 
     拝殿に施された数々の彫刻               本 殿
                                                失礼ながら本殿内部を撮影
 この社の本殿には、海老紅梁や彫刻等見事に施されている。一間流社造で、正面には屋根が張り出した向拝を設けている。彩色されていたかは判別できないが、各所に施された装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格をも感じた。
 それ以上に本殿の基礎に石を幾重にも積み上げたている点も注目される。目視のみなので何とも言えないが、写真を見た限り、傍に流れている川の石や近隣の山で採取され、更に加工を施した岩石も使用されたのではなかろうか
 案内板には本殿は平成十三年村指定有形文化財彫刻として登録されているらしい。
             
     拝殿の手前左側で、案内板と対に設置されている「朝日根の獅子舞」の標柱

 朝日根の獅子舞
 村指定無形民俗文化財 無形民俗文化財 昭和561220日指定
 文政3年(1820)頃、当地区に悪病が流行して多数の人々が困窮した時、藤造という人が、地区の氏神八幡神社に病気平癒を祈願し、獅子舞を奉納することを約したことに始まると伝えられています。
 獅子舞の流儀は「鎌形流ささら」といわれ、「朝日根のあばれ獅子」と称される荒い舞い方をします。
 獅子は大頭・中獅子・雌獅子3頭で、ささら2名、笛型を加えて構成され、舞は12底です。毎年11月上旬の日曜日に奉納されます。
                                    東秩父村HP
より引用
  
   社殿の左手に鎮座する境内社・合祀社      境内の奥手には今の季節水量は多くないが、
         詳細不明          砂防工事も施され、その一角には石祠もある。
        
 境内から隣接している社務所に向かう道の途中には、小川からくみ上げられたような綺麗な水が流れている。水質の関係から飲むことはしなかったが、見た目でも飲んでも安全と分かるようだった。透き通ったきれいな水に少なからず感動し、思わず両手でくみ上げる。不思議なもので、自身の五感でその水の綺麗さを感じることができ、冷たさを感じ、参拝の疲れを一時癒すことができた。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「東秩父村HP」「Wikipedia」「当地案内板」等

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奥澤神社


        
             
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村奥沢568
             ・ご祭神 伊弉冉尊 速玉之男神 事解之男神 素戔嗚尊(合祀神)
             ・社 格 旧村社
             ・例 祭 元旦祭 13 祈年祭 211 春祭 4月第2日曜日
                  夏祭 7月下旬の日曜日 例大祭 1017
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0612515,139.1925263,16z?hl=ja&entry=ttu 
 御堂八幡山神社から埼玉県道11号熊谷小川秩父線を西方向に1.8㎞程西方向に進む。その後東秩父村役場入口手前のY字路を右手前方向に進み、最初のT字路を左折すると、奥澤神社の鳥居が正面に見えてくる。T字路の左側には社号標柱があるので、分かりやすい場所だ。
 但し、周辺には駐車スペースはないようなので、一旦東秩父村役場に戻ってそこの駐車場をお借りしてから参拝を開始する。
             
              T字路の正面に設置されている社号標柱
 周辺には民家が並び、時に農作業の為であろうか、現地の方々とすれ違う程度で、社に参拝する方には全く出会わなかった。
 
 槻川流域に民家が集中し、大部分は山林が占める東秩父村の地形。この社も近隣の御堂八幡山神社安戸天神社安戸能気神社等同じく、山の中腹に鎮座している(写真左・右)。
        
                                  奥澤神社 正面鳥居
 東秩父村の奥沢地域は村北東部に位置し、北で大里郡寄居町西ノ入、比企郡小川町木呂子・勝呂と、東で安戸と、南で御堂と、西で坂本と接する。この地域の大部分は山林が占め、南端を東流する槻川北岸に僅かな水田がみられる山村であり、集落は槻川と並行して走る県道11号線沿いの低位段丘に散在する。
『新編武蔵風土記稿』には「地名の起こり山沢多きが中にも、沢の奧と云義なるべし」と紹介されている。また同風土記稿には当地の神社を挙げて「熊野社除地一段一畝、村中の鎮守、例祭九月十九日、社は巽向、神体は白幣、別当大行院東林山と号す、本山修験(中略)妙見社 村持、椎の大木あり、囲一丈八尺許、天王社 村持」と載せていて、嘗ては熊野神社と称していた。
        
                          鳥居の右側に設置されている案内板
 奥沢神社   御由緒 東秩父村奥沢五六八
 ◇獅子舞を回した天王祭り
 鎮座地奧沢は大部分を山林が占め、村の中央を通る熊谷から小川を経て秩父を結ぶ道路に沿って集落が散在する山村地域であり『新編武蔵風土記稿』に「地名の起こり山沢多きが中にも、沢の奧と云義なるべし」と紹介されている。同じく『新編武蔵風土記稿』は当地の神社を挙げて「熊野社除地一段一畝、村中の鎮守、例祭九月十九日、社は巽向、神体は白幣、別当大行院東林山と号す、本山修験(中略)妙見社 村持、椎の大木あり、囲一丈八尺許、天王社 村持」と載せている。
 社記に当社は「天正六年(一五七八)九月紀伊国熊野三社権現を勧請して字腰村中山に奉祀し熊野社とよび鎮守とする。明治七年(一八七四)村社となり社号を熊野神社と改める。同四十二年(一九〇九)二月に現在地に移転して、字半場東山の八坂神社を合祀、大字名を冠し奥沢神社と改称」とあり、社記を裏付ける「奉修熊野三社大権現天正六年(一五七八)九月十九日別当東林山大行院」銘の棟札(五十二cm)陣に納められている。
 現社地は、『新編武蔵風土記稿』にある「妙見社」の社地で、現在境東に隣接する妙見神社は天之御中主神を祀っている。
 尚、合祀した八坂神社には「奉造立牛頭天王御氏子繁昌息災祈 所・妙栄山浄蓮寺」と記す元禄十年(一六九七)の棟札(七十四cm)が現存する。(以下略)
                                      案内板より引用

        
            比較的勾配のある石段を登ると境内に到着する。
        
                                    拝 殿
 山の中腹に鎮座する社には、やはり独特の空気感が存在する。社叢林の囲まれているため、心寂しくなる時もある。また一歩〃石段を登りながらも、当初は見えてこない境内・社殿に焦りや疲れ等の心身的な疲労も溜まることも度々ある。但し一度境内に到着するとその達成感からか、それまでの疲労等が吹き飛んでしまうから不思議だ
 同時に境内の静寂な空間が辺りを包みこみ、ひっそりと佇みながらも、どことなく歴史の重みを感じさせてくれる。これは平野部に鎮座する社にうける印象とはまた別の感覚であろう。
 
      拝殿に掲げてある扁額      社殿の奥にひっそりの鎮座する石祠。詳細不明
        
      奥澤神社の境内から少し外れで少し下った場所に「妙見社」が鎮座する。
案内板に記されているが、『新編武蔵風土記稿』にある「妙見社」の社地で、現在境東に隣接する妙見神社は天之御中主神を祀っているとの事だ。
       
                        妙見社の傍に聳え立つ巨木(写真左・右)
        
                                石段での一風景


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「南内板」等
                  

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御堂八幡山神社

 東秩父村の「御堂」地域は村中部に位置する。「御堂」と書いて「みどう」と読む。南西で皆谷と、北西で坂本と、北東で奥沢と、東で安戸と、南で比企郡小川町腰越と隣接する。小字として御堂・槻川西谷・幽地ヶ沢・向堀・川下・川上・萩平・城山が挙げられる。大部分が山林であり、槻川沿いに水田が点在する山村である。北端を東流する槻川沿いと中央部を北流する槻川支流萩平川上流の山地斜面に民家が散在する。東秩父村の行政上の中心地であり、村役場をはじめ各種行政機関等が集中する。
「御堂」という地名由来として、鎌倉時代末期の正和年間に大河原神治太郎光興が大檀越となって日蓮の御影を安置する法華堂を創建したことにより御堂とした説と、かつて大内沢に遠流となった皇子が埋葬された御堂(おどう)があったことから御堂とした説とがある。
        
             
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村御堂1533
             
・ご祭神 誉田別命 金山彦命 火産霊命 大山祇命
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 元旦祭(元旦)祈年祭(3月下旬の日曜日)
                  
例大祭(10月中旬の日曜日)新嘗祭(11月下旬の日曜日)
  地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0522908,139.2073786,17z?hl=ja&entry=ttu
 安戸天神社から一旦埼玉県道11号熊谷小川秩父線に合流し、暫く西方向に進路を取ると、1㎞も至らずに右側に御堂八幡山神社の社号標柱が見えてくる。
             
              県道沿いに設置されている社号標柱
 社号標柱から北側に伸びる参道を進むと、小高い丘が見え、その上に立派な社叢に囲まれて社は鎮座している。
        
                               
御堂八幡山神社 遠景
 
   石段の脇左側にある手書きの御由緒書        麓に設置されている一の鳥居
八幡山神社略記
・鎮座地 秩父郡東秩父村大字御堂槻川東谷一五三三番地
・由緒
神社創建については詳らかならず。寬政三年九月吉日棟礼を存す。新編武藏風土記稿に神職島田豊後は吉田家の配下とある。吉田家については、室町時代後期以降江戸時代後期頃まで吉田兼倶(一四三五~一五一一)により創唱され、吉田神道の宗家京都吉田神社の祠官を云う。当社との係りからして其の歴史の古さが窺われる。(*句読点は筆者加筆)
御祭神
誉田別命(十五代応神天皇 八幡さま)
金山彦命(金山さま)
火産霊命(愛宕さま)
大山祇神(山の神さま)
ここにこの御神徳を景仰すると共にその開運延寿にあやかり国の隆昌と世界の共存共栄又崇敬者各位の健勝と一家の繁栄無病息災を御祈念申し上げます(中略)
・史料

明治九年十一月吉日 御堂村の総社として大祭を執行 嶋田大内蔵奉仕
明治七年村社願済
昭和三年十一月二十八日御堂字山神山神社を合祀 社号を八幡山神社と改称(旧八幡神社)
昭和四年四月本殿拜殿増改築幣殿新築
昭和二十九年二月本殿改築社務所新築
平成九年本殿移築幣殿改築拜殿増築萩平遥拜所と共に屋根を銅板葺とした
以下略

                                      案内板より引用
        
                     神明系の一の鳥居から本格的に石段を登り始める。
        
                  石段は一旦踊り場になり、そこから参道が右側にずれる。
             そして二の鳥居からまた石段を登り始める。 
 新編武蔵風土記稿 御堂村
 八幡社
 南向、神體衣冠せる木立像長六寸、又金山
尊木立像長五寸五分、愛宕の木立像六寸なるを安ず、村の鎭守にて例祭は九月十五日、神職嶋田豐後吉田家の配下なり、除地七畝十五步
 
 勾配のある石段を登り終えた先に拝殿が見える。 石段上る途中、右側にひっそりと佇む石祠。
                               詳細は不明。
        
                     拝 殿
       
                        境内に設置されている案内板
 八幡山神社 御由緒  東秩父村御堂一五三三
 ◇今も行われる例大祭宵宮のお籠り
 鎮座地御堂(みどう)は槻川(つきがわ)沿いに開ける山村である。この地は古くは大河原と称したが、鎌倉末期の正和年間(一三一二~一三一七)に大河原神治太郎光興が日蓮上人の御影(ぎょえい)を安置する法華堂を創建したことにより地名を御堂としたとも、遠流(おんる)となった皇子を当地に奉葬した御堂があったことにより御堂としたとも云われ、早くから開けた土地である。 口碑によると、当社は氏子の島田一家(いっけ)の屋敷神であったが、後に村持ちになったと伝えられ、『新編武蔵風土記稿』には、当社について南向き社殿、神体は衣冠の立像・金山彦尊立像・愛宕立像の三体、例祭は九月十五日、吉田家の配下嶋田豊後が奉仕するところとある。
 現社殿の造営については、現存する棟札から寛政三年(一七九一)九月に氏子中で再営したものであることが知られる。更に明治元年(一八六八には改築が成された。この時の棟札も現存し、「當村総社八幡大神宮」と書かれている。尚、この時の神職は、嶋田大内蔵であった。 明治七年(一八七四)に村社となり、昭和三年(一九二八)十一月には字山上の山神神社を合祀し、社名を八幡神社から八幡山神社と改めた。
 ◇御祭神

 ・誉田別命 ・金山彦命 ・火産霊命 ・大山祇命
 ◇御祭日
 ・元旦祭(元旦)
 ・祈年祭(3月下旬の日曜日)
 ・例大祭(10月中旬の日曜日)
 ・新嘗祭(
11月下旬の日曜日)
                                      案内板より引用

 御堂八幡山神社が鎮座する旧御堂村は、嘗て「玉川領大河原郷」に属していた。この大河原郷は秩父郡大河原郷(東秩父村)より男衾郡大河原郷勝呂村(小川町)、及び比企郡大河原荘関堀村・田中村・桃木村・平村の四ヶ村(都幾川村)に亘る広範な地域であったようだ。
・新編武蔵風土記稿 秩父郡条
「椚平村、大野村、安戸村、御堂村は大河原郷に属す、古は大河原村と唱へり」
比企郡条
「大河原郷は雲瓦村の一村に此唱あり、其余数村は皆秩父郡にかかれり、又庄名にも此唱あり」
 
     拝殿上部に掲げてある扁額              本 殿
        
                                 境内にある「延命長寿石」
 延命長寿石のその横には「この石を良く撫でさすり、自分の体を更によくさすり、八幡様に健康と長寿をお祈りしましょう。」と書いてある木製の碑がある。
        
 社務所から正面の山道を登らず、社務所から右側にある石段がない坂を利用して社に向かう脇道もあった。そこにも坂の途中には鳥居が出迎えてくれた。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia」「境内案内板」等

 

 
        
       

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安戸天神社


        
             
・所在地 埼玉県秩父郡東秩父村安戸53
             
・ご祭神 菅原道真公
             
・社 格 旧村社
             
・例 祭 元旦祭 元旦 例大祭 225 
   地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.0498143,139.2260656,19z?hl=ja&entry=ttu
 埼玉県道11号熊谷小川秩父線を小川町から東秩父村方向に進み、「東秩父村安戸宿」の看板で信号のあるT字路を右折する。安戸橋で槻川を北に渡って道なりに進み、和菓子屋さんの先で右手に社に通じる道幅の狭い道があり、そこを進むと右手に安戸天神社が見えてくる。
 社務所入口南側に駐車スペースがあり、そこに置かせて頂き、参拝を開始した。
        
                   安戸天神社正面
 この地域は比企・男衾・秩父3郡の境界地にあたる。『新編武蔵風土記稿 安戸条』では「安戸」地名由来として、山路を出たところにある休場を意味する「休戸」を安戸と書くようになったことに由来するという。
 急な石段の上に、切り立った山を背にして鎮座する当社は風土記稿には「宿の鎮守なり、社地山足によりて磐岩を左右後ろの三方共に鑚鑿して宮造りせり」と記されている。
・新編武蔵風土記稿 安戸村
 天神社 
 宿の北裏にあり、社地山是によりて盤岩を左右後ろの三方、共に鑽鑿して宮造りせり、社前の石燈も同く盤岩を刻せり、社は南向、神體は帶束せる銅坐像長二寸五分、宿
の鎭守なり、例祭正月二十五日、除地一段一畝、當社棟札に寬文九年十月廿五日とあり、神木と稱する杉圍一丈四尺許なるあり、上品寺の持なり 八幡社 疱瘡神社

 
        朱の両部鳥居        鳥居の先は石段。その登った先に拝殿が見える。

 境内は決して広くなく、上下2段に区切られていて、下の段には手水舎があり、最上階に拝殿を含む社殿、境内社、大杉のご神木が横長に配置されている。また上階の石段には、参拝客や氏子の方々、子供が誤って落下したりするのを防ぐためなのか、鉄製の手摺りが設置されている。
        
             石段の中腹附近に設置されている案内板
 天神社 御由緒 東秩父村安五三
 ◇天王様は暴れ神輿
 急な石段の上に、切り立った山を背にして鎮座する当社は『新編武蔵風土記稿』に「宿の鎮守なり、社地山足によりて磐岩を左右後ろの三方共に鑚鑿して宮造りせり」と記されている。
社伝によると、天文五年(一五三六)正月に安戸城主の上田左衛門大夫安吉が、菅原道真公を勧請したと云う。「新編武蔵風土記稿』は寛文九年(一六六九)十月の棟札があると記し、氏子は延宝八年(一六八〇)九月の棟札があったと伝えるが、現在は何れも存在しない。明治七年(一八七四)に村社となり、大正十三年(一九二四)七月三十一日に字南の稲荷社、字向山の稲荷社を境内に合祀した。現在の境内社の稲荷社がこれであり、デイゾウボウ稲荷と通称されており、その昔、デイゾウボウという僧が斬られ、この僧を葬った傍らに稲荷社を建立したことに始まると伝える。稲荷社の旧地は安戸橋の近くにあり、合祀後は畑にて氏子に貸与し、初午祭に供える天狗団子の材料の米はその氏子が出していたが、農地解放により民有地となった。その後、平成十八年(二〇〇六)に愛宕神社と山神社が境内に合祀された。
 末社の八坂神社例祭は七月二十日に近い日曜日に斎行され、宵宮には神輿渡御が盛大に執り行われるが、往時の「暴れ神輿」は祭礼時御仮屋に安置される。
 社頭の杉の大木は、「天神様の大杉」と云われ、周囲六メートル程で樹齢七〇〇年と推測され、昭和四十年村の天然記念物に指定された。
 ◇御祭神 菅原道真公

 ◇御祭日 元旦祭(元旦) 例大祭(二月二十五日)
                                      案内板より引用

              
            石段から見上げるように聳え立つ大杉のご神木
               この社の最大参拝ポイントでもある。
        
                     拝 殿
 東秩父村の社の特徴は、ほとんどの社は急斜面上に鎮座している点にある。村自体が秩父外輪山間部に位置していて、平野部の面積が少ないという地形的な理由もあるだろうが、村中を流れる槻川の水害から社を守る為に、斜面上の高台に鎮座させたこともあるのではなかろうか。
       
            社殿の左側手前にあるご神木(写真左・右)
      樹齢約700年、樹高約39m、幹周囲6.5mの大杉。東秩父村指定天然記念物
 
        
 社殿左側に並列されて鎮座している境内社。(写真上段左・右。下段)上段の境内社は『新編武蔵風土記稿』や案内板に記されている「愛宕神社」「山神社」「八幡社」「疱瘡神社」辺りであろう。
 下段は「デイゾウボウ稲荷社」。その昔、デイゾウボウという僧が斬られ、この僧を葬った傍らに稲荷社を建立したことに始まると伝えられている。
        
            境内にはご神木の大杉以外に2本の巨木がある。
 写真右端の杉が御神木の大杉。近くに2本の巨木が西側参道である石段の両脇を固めるように聳え立つ、3本の巨木の競演はなかなか立派な眺めだ。



参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「Wikipedia「境内案内板」等
 
 

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安戸身形神社


「秩父七妙見社」。筆者もこの秩父郡の神社の参拝後の編集中に初めて知った聞きなれない言葉だが、「秩父志」に江戸末期に武蔵国秩父郡の総鎮守である秩父妙見(秩父神社)の分社を郡境の交通の要所七ヶ所に攘災の守り神として配置したのが秩父七妙見社であるとのことだ。
 俗にいう妙見信仰とは、一般的には仏教でいう北辰妙見菩薩に対する信仰をいうが、その本来の姿は、道教における星辰信仰、特に北極星・北斗七星に対する信仰とも言われている。ゆえに秩父神社を北極星として、七妙見を北斗七星に見立て、江戸時代末期から明治時代前半に考えられたものであろう。
 その秩父七妙見社の一社に安戸身形神社であり、地元の方々から「妙見様」と尊称されている社である。
所在地   埼玉県秩父郡東秩父村安戸872
御祭神   宗像三女神(市杵嶋姫命・多記理毘売命 ・湍津姫命)
社  格   旧村社
例  祭   2月3日

        
 安戸身形神社は埼玉県道11号熊谷小川秩父線を東秩父村役場から約3㎞ほど小川町方向に進む。進行方向左側は県道整備のため山の稜線を削り、その斜面上に大霊神社の鳥居がそそり立つように見えるが、そのすぐ先のT字路を右折する。槻川を超えるとすぐ右側に身形神社の石製の鳥居と社号標が見えてくる。駐車スペースは鳥居のすぐ先の道を右に曲がると帯澤集落センターがあり、そこには十分な駐車スペースが確保されているので、そこに停め参拝を行った。
           
                        安戸身形神社一の鳥居と社号標
 「新編武蔵風土記稿」によると、当社は現在帯沢の地に鎮座しているが、古くは御堂村小名宮地に鎮座していた。移転した原因は、槻川の流れが変わったためで、かって槻川は帯沢と宮地の間を流れ、村を二分していたという。
           
 一の鳥居を過ぎ、静かな山村の風景が参道の周りに見られ、気持ちも落ち着き、心地よい時間が流れる。 参道を歩いていくと、山の斜面上に社の社叢が見えてくる。
                      
                    石段の先にある両部鳥居である二の鳥居
              
                             拝     殿
 安戸身形神社の現在の御祭神は宗像三女神と言われる市杵嶋姫命・多記理毘売命 ・湍津姫命の3柱だが、口碑や氏子の話では、妙見様は三姉妹いて、長女が小川町木部の三光神社、次女がここ安戸身形神社、そして三女が秩父神社であるという。また社名「身形」もこの三女神を意味する「三形」ではないかと言われている。
           
                 拝殿上部に掲げてある「妙見宮」と表記された扁額。
          
                              社殿左側にある大杉の御神木
           
                             本     殿
    
                  本殿のすぐ左側にもやはり大杉の御神木がある。 

 前出にて紹介した秩父七妙見社の由来は、実はそんなに古くはない。天保八年(1837年)から明治20年(1887年)、約50年の歳月をかけて大野玄鶴が撰述した「秩父誌」に具体的な所在地が記述されている。それによると7か所の所在地は以下の通りとなるようだ。
 ・小鹿野町藤倉
 ・皆野町金沢
 ・長瀞町矢那瀬末野神社
 ・東秩父村安戸身形神社
 ・都幾川村(現ときがわ町)大野神社(武蔵国郡村誌では身形社)
 ・飯能市上名栗星神社
 ・飯能市北川喜多川神社

 
現在小鹿野町藤倉の地にあったといわれる妙見社は所在不明であり、皆野町金沢妙見社も現在なく、長瀞町末野神社には合祀されていると言われているので、何度も参拝しているが、それらしい妙見社はない。但し大里郡神社誌によると、それに若干関連あるのか合祀社として「天御中主神社」の記述がひっそりとある。飯能市の神社についても文献の解釈によって比定地が混同しているところもあり、七妙見社としてはっきりしている社は安戸身形神社とときがわ町大野神社2社のみである。


 
       
                         拝殿前の石段より撮影


 


 

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