実ヶ谷久伊豆神社
そういう意味において昨今の市町村統合によって新しく誕生した地方自治体の新名称には、何の根拠でこのような名にしたのか理解に苦しむものも確かに存在する。出来ることならば古名、旧名は弄らず最低限残す努力もしていただきたい、そんなことを感じる今日この頃だ。
・所在地 埼玉県白岡市実ヶ谷553-1
・ご祭神 大己貴命他四柱
・社 挌 旧実ヶ谷村鎮守 旧村社
・例祭等 例大祭 7月14日
実ヶ谷久伊豆神社は白岡市役所からは丁度真南方向にあり、同市役所西側に南北に縦断する東北自動車道に沿って走る埼玉県道362号蓮田白岡久喜線を500m程南下し、その先にあるY字路を左側、白岡パークライン合流後、1km程進んだ長閑な田畑風景が広がる先の左側に社の社叢林が見えてくる。
社の境内に入る路地が道路沿いに1カ所あるのだが、偶々ポールが立っていた為入ることが出来ず、参拝するためには一旦社を過ぎた先の十字路を左折し、社号標柱が建つ空間には車が1,2台分停めることができるスペースがあったので、そこに駐車して急ぎ参拝を行った。
実ヶ谷久伊豆神社正面
周囲一帯田園農地が広がる中にポツンと社は鎮座し、
参道入口付近に建つ一の鳥居や社号標柱の遙か先に社叢林が見えている。
『日本歴史地名大系』 「実ヶ谷村」の解説
旧日川を界して岡泉村の西に位置する。南は江ヶ崎村(現蓮田市)、西は黒浜村(現同上)。地形は大宮台地白岡支台の東端で標高は一一メートル前後、東部は旧日川の低地で微高地は自然堤防である。黒浜村境から村の北方を貫通する道は幸手道で、日光道中杉戸宿(現杉戸町)を経て幸手宿へ通ずる。また江ヶ崎村境から村の北方小久喜村境に至るのが岩槻道である。現日高市聖天院所蔵の応仁二年(一四六八)一一月九日の年紀を有する鰐口(県指定文化財)に「武州崎西郡鬼窪郷佐那賀谷村」とみえる。鰐口は久伊豆神社に奉納されたもので、鬼窪郷「佐那賀谷村」は当地のこと。
真っ直ぐな長い参道の先に建つ二の鳥居。この先が 境内・社叢の入口となっている。
境内の様子
この社が鎮座する「実ヶ谷」地域は白岡駅から南東方向で、白岡市役所からは丁度真南方向にある。因みに「実ヶ谷」と書いて「さながや」と読む。白岡市のホームページによればこの実ヶ谷地域は日勝地区に属し、村名の由来は不明であるが、『風土記稿』の久伊豆神社の記載によれば、古くから佐那賀谷(武州騎西郡鬼窪郷佐那賀谷村)の名が見え、これが実ケ谷に転じたと考えらる。また、サナガヤのサナは昔の製鉄にちなむ地名といわれている。なまって「サナゲエ」とも呼ばれる。
江戸時代の初期は岩槻藩領で、明治28年に岡泉村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となったという。この実ヶ谷地区の中央部に実ヶ谷久伊豆神社は鎮座している。
境内左側にある案内板と境内社。秋葉神社 案内板・秋葉神社の並びに祀られている八坂神社
拝 殿
『新編武藏風土記稿 實ヶ谷村』
久伊豆社 觀音の像を彫りたる圓徑一尺余の銅鏡ありしが、二十年以前失ひしと云 本地佛ねるべし、正德四年再建棟札の裏に、當社は嘉吉元年辛亥酉草創とあれど、社傳は詳ならず、されど高麗郡新堀村聖天院に藏する鰐口の表に、久伊豆御寶前云々、武州騎西郡鬼窪鄉佐那賀谷村裏に、大工澁江滿五郞應仁二年十一月九日とあり、鬼窪の名は今傳へされど、佐那賀谷といひ旦久伊豆といへば、當社のものなるべして、舊きよりの勸請しるべし、聖天院に藏する所以は知らず、
末社 稻荷 天王 疱瘡神 秋葉 別當 延命院 新義眞言宗岩槻彌勒寺の末、神光山と號す、本尊十一面觀音當寺近き頃、回祿にあひ寺傳を失へり、
実ヶ谷久伊豆神社 白岡町大字実ケ谷字宮前
実ケ谷久伊豆神社は、嘉吉元年(一四四一)の創建といわれる。祭神には大己貴命ほか四柱が祀られている。
当社の由緒を伝えるものに、日高市聖天院の鰐口(県指定文化財)がある。この鰐口の表には「久伊豆御宝前 願主衛門五郎 武州崎西郡鬼窪鄉佐那賀谷村」、裏には「大工渋江満五郎応仁二年戊子十一月九日」の銘がある。すなわち、この鰐口は願主の「衛門五郎」が応仁二年(一四六八)、渋江(現岩槻市)の鋳物師「満五郎」に造らせ、当社に奉納したものである。
銘文中の「鬼窪鄉」とは、武蔵七党の一つである野与党の有力者鬼窪氏の本拠地で、当町の大字小久喜・大字実ケ谷・大字白岡を中心とした地域が相当すると考えられている。(以下略)
境内案内板より引用
本 殿
社殿の右側に祀られている境内社・稲荷神社(写真左)
その右側にある石祠は雷電神社・力石を挟んで一番右側に祀られているのは疱瘡神社(同右)
社殿からの風景
境内は外側から見た社叢の印象に反して陽の光が入っていて思った以上に反していて明るかった。境内の右側、つまり東側には広い空間があり、ゲートボールなどができるように設置されていた。参拝した当日、近所のお年寄りの方たちが数多く集まってレクリエーションを楽しんでいたり、中にはお茶休憩をしていた方たちもいた。小春日和の何とも微笑ましい風景と静かな時間がこの社全体に漂っていた。
参考資料「新編む左飛風土記稿」「日本歴史地名大系」「白岡市HP」「ウィキペディア(Wikipedia)」
「境内案内板」等
