古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

森友瀧尾神社


        
              
・所在地 栃木県日光市森友995
              
・ご祭神 (主)田心姫命
                   (配)大己貴命 味耜高彦根命 軻遇突知命
              
・社 格 旧村社
              
・例祭等 節分祭 23日 祈年祭 217日 夏越の大祓 7月海の日
                   新嘗祭 1123日 例大祭 12月25日 他
 森友瀧尾神社は日光市南東側に位置する今市エリア内に鎮座する社である。JR日光駅から国道119号を南東方向に13㎞程進み、「森友」交差点を左折すると進行方向右側に「縁結び・子宝・安産の大しめ縄 ひめがみさま 森友瀧尾神社」と書かれた縦長の看板が見えてくる。地図を確認すると、国道119号線とそれに並行して北側を通る水無バイパスとの間に鎮座している。
 専用駐車場も看板付近にあり、そこに停めてから参拝を行う。
       
          道路沿いに看板(写真左)、社号標柱(同右)が立つ。
『日本歴史地名大系』 「森友村」の解説
 南を赤堀川が南東へ流れ、北は荊沢(おとろざわ)村、西は今市宿。河内郡に属する。中央を東西に通る日光街道の大沢・今市両宿から各一里の立場(宿村大概帳)。一里塚があり、中央の街道両側に集落がある。日光山往古社領六十六郷に「守友郷」がある(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。
「梅津政景日記」元和八年(一六二二)四月二六日条に「もりとも」とみえ、日光へ向かう佐竹義宣一行は同夜当村に宿泊したという。
        
 比較的小さめな鳥居が出迎えてくれる。それにしても鳥居の両サイドにある一対の狛犬の衣装が、その図体に対してアンバランスのように見えて、それが不思議と可愛いらしく感じてしまう。
        
                    拝 殿
 拝殿前には「お百度参り」の為の「お百度石」がある。当神社は、主に安産祈願、子授け祈願などのお参りが多く参拝者に親しまれているとの事。
 当日雨も上がり、晴れ間が見えているが、路面は濡れていた。境内には砂利が敷かれているようだが、拝殿前は窪んでいるため水溜りが残っている。多くの参拝者がここを訪れていた証拠であろう。それにしても水溜まりから映し出される社殿が美しい。
 
 拝殿に掲げられている注連縄は、出雲大社の大注連繩作りをされている方の指導を受け、現在は当地の保存会にて奉製されているという。大きくて立派なしめ縄は見ていて圧巻(写真左・右)である。

 因みに出雲大社の注連縄は左右が逆に張られている。本来神社神道では、神様に向かって右方を上位、左方を下位とするため、一般的に神社では上位の右方が綯い始めで、左方を綯い終りとする張り方となっている。
 出雲大社の本殿内には、客座五神として「天之御中主神・高御産巣立日神・神産巣立日神・宇麻志阿斯訶備比古遅神・天之常立神」の五柱の神が祀られているが、尊貴第一の神たる「天之御中主神」が上位となる一番左に祀られている。また、江戸時代の祭事の記録では、神様へお供え物を進める際、上位のお供え物を向かって左へ、下位のお供え物を向かって右へ進める作法となっている。 このように、古く出雲大社では一般的な神社とは反対に、向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあり、よって注連縄を張る際には上位である左方が綯い始めで、右方を綯い終りとする張り方となっているという。(出雲大社HP参照)
        
           拝殿前にある「縁結び子宝の大注連繩」の案内板
「縁結び子宝の大注連繩」
ここに御奉納されました大注連繩は、
毎年十二月十五日の例大祭前に奉製ご奉納されます。
日光藁文化保存会会員が奉製ご奉納いたしました。
この大注連繩作りをご指導下さいましたのは、
出雲大社の大注連繩作りをされている菅恒義先生です。
先生には平成十四年、十五年とご指導を賜りました。
現在は、日光藁文化保存会独自で奉製しております。
当社は、この出雲の大注連繩作りの為に、
毎年五月末 土曜日に「おお杉青刈り祭」を行い、
青刈りし乾燥、高品質の青藁を厳選し、
確保 大注連繩を奉製します。
重さ   約三〇〇キログラム
最大周囲 一メートル七〇センチ
長さ   四メートル
二本の繩は男性・女性を意味し、ふさは
しめの子といい、三人の子供をあらわしています。
縁結び子宝の大注連繩です。
                                      案内板より引用

        
                     本 殿
 神護景雲称徳天皇の御代(1251年以上前)森友瀧尾神社の主祭神である田心姫命が旅の途中、森友森脇の腰掛の地に休憩され、建長四年(1252)後深草天皇の御代に腰掛の地に祠が建立され、田心姫命が祀られたことが森友瀧尾神社の創始という。その後大正五年(1916)現在地に遷宮した。

 森友瀧尾神社のご祭神である田心姫命(たごりひめのみこと)は、日本神話に登場する女神で、福岡県宗像市に鎮座する宗像大社を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称である『宗像三女神』の一柱で、宗像大社では「田心姫神」として、沖ノ島にある沖津宮に祀られている。
 この女神は天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した三女神の一柱で、『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと記されている。
「宗像三女神」の一柱でありながら、三女神の一柱として祀らず、田心姫命にみを独立して祀っているのが森友瀧尾神社である。
        
                         社殿の右側奥にある「腰掛石」
 
 案内板によれば、この腰掛石は、神様がお座りになる尊い石で、紙垂も巻かれているが、この石に触れたり座ったりすることは可能で、それどころか、良い御縁があり、病が癒え子宝に恵まれ、安産で家庭が円満になると、遥々栃木県内外から参拝者が訪れるという。
 腰掛石は屋根付きの建物で綺麗に整備されている(写真左)。また近くには案内板も設置されている(同右)。また建物の欄間には見事に装飾された彫刻もある。

「腰掛石」
 ここに鎮まります腰掛石は、神様がお座りになる尊い石です。
 神護景雲称徳天皇の御代(一二五一年以上前)森友瀧尾神社 主祭神 田心姫命が旅の途中、森友森脇の腰掛の地に休憩されました。
 建長四年(1252)後深草天皇の御代に腰掛の地に祠が建立され、田心姫命が祀られたことが森友瀧尾神社の創始です。
 この石に触れたり座ったりすると、良い御縁があり、病が癒え子宝に恵まれ、安産で家庭が円満になると、遥々栃木県内外から参拝者が訪れます。
 この建物の欄間に装飾されている彫刻は、「双龍栗鼠葡萄極彩色彫刻」です。
 木彫師 中井伸明氏 塗師 佐藤則武氏 彩色師 手塚茂幸氏が制作され奉納されました。
 彫刻には、子宝、安産、病気平癒は勿論、家内安全、子孫繁栄、豊穣金運等の御利益の深い意味合いがあります。
                                      案内板より引用



参考資料「出雲大社HP」「栃木県神社庁HP」「日本歴史地名大系」「Wikipedia」
    「境内案内板」等
 

拍手[1回]