古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

冠稲荷神社 (2)


        
        
拝殿に向かう参道右手の小高い丘上に鎮座する摂社・聖天宮日高社
          御祭神は伊邪那岐神・伊邪那美神・神倭磐余毘古神・大雷神・水分神 
 聖天宮は四方入母屋造唐破風付の瓦葺で、安政4年(1857年)の建築。県指定重要文化財指定
          因みに聖天宮は古墳の上に鎮座しているという。
     
      
聖天宮は比較的小規模な建物であるのだが、本建物の彫刻や装飾は
    内部天井の龍を始めとして大変質の高いもので見ごたえある。(写真左・右)

 聖天宮は正面(2.89m)、側面(3.88m)と比較的小規模な建物でありながら屋根が複雑で、四方入母屋造正面唐破風付という特徴的な造をしている。当初から日本瓦で葺かれており、棟札によると安政4年(185710月上棟で大工棟梁として「弥勒寺河内 守藤原照房」となっている。これは境下渕名の弥勒寺音次郎の事で、大工でありながら彫工としても名 を馳せている。本建物の彫刻は内部天井の龍を始めとして大変質の高いものである。
 また彫工は音次郎の息子「弥勒寺音八とその弟子の諸貫万五郎」である。弥勒寺音八は一時期飯田仙之助の養子弟子となった岸亦八の弟子となり、常陸の天引観音や笠間稲荷を手掛けるようになる。音八の名声は広く響き、明治に移るころ音八は宮中に召し抱えられ賢所の玄関正面の菊の紋を彫刻した人物である。

 参道右側には実咲稲荷社や聖天宮が鎮座しているのに対して、左側には七福神殿・諏訪社と八坂社(神楽殿兼ねる)・厳島社・菅原社・いなり白狐社・琴平社と、並列するように祀られていて、どの社も絢爛豪華である。
        
         人形代社の並びに祀られている七福神殿 御祭神は七福神
『七福神殿』に祀られている七福神彫刻は、名工・新井清尚、明和2年(1765)の作。一幅の絵馬に収められている極彩色の七福神絵馬で、海辺の雄大な松のもとに福々しい神々が集い喜遊するという珍しい構図との事だ。
       
          七福神殿の右並びには神楽殿も兼ねた諏訪社と八坂社
         諏訪社のご祭神は建御名方神で、八坂社のご祭神は素盞嗚神と奇稲田比賣神 
       
                   摂社 厳島社
        厳島社のご祭神である宇賀弁才天は、宇賀神と市杵島毘賣神が融合した女神で、
     左右に毘沙門天と大黒天を配し、さらに十六童子を従えた、大変珍しい神坐像である。
          厳島社の前にはご神木が聳え立っている(写真左・右)      
       
               菅原社 ご祭神は菅原道真公
       
              いなり白狐社 ご祭神は命婦専女神
   横に伸びた社殿には小さなお狐様がこれでもかと並んでいて、ある種異様な眺めだ。 
 いなり白狐社
 御祭神 命婦専女神
 氏神からの返戻白狐を祀る。
 我が国の神社では、伊勢神宮の鶏、春日大社の鹿、日吉大社の猿、八幡宮の鳩のように、それぞれ固有の動物が神の使いとして尊ばれている。しかし、お稲荷さんの狐は単なる神使ではなく、眷属そして神様の一部のような資格を与えられている為、狐こそが稲荷神という考えを持つ人々も多いようである。
 お稲荷さんと狐がこのような親密な関係を持つに至った由来としては、諸説があるが、稲荷の神が「食物の神」つまり「みけつかみ」であり、御狐(おけつね)三狐(みけつね)に転じたという説、あるいは稲荷神がのちに密教の荼枳尼天と本迹関係を結んだことを重視し、荼枳尼天のまたがる狐がそのまま稲荷神の眷属とされたのだという説がある。
                                    境内案内板より引用

 古くから狐は霊的動物として「稲荷(いなり)神の使いないしは稲荷神そのもの」と信仰されるなど深く広い各種の信仰があり、狐憑きは「御先稲荷」(オサキドウカ)や「オサキ」という名前で、関東から東北にかけて伝承されている。実際、日本全国に存在する三万社以上の稲荷社が狐像を備えており、「狐」自体を「稲荷神」として信仰する場所も少なくない。しかし、総本社である伏見稲荷大社は狐を稲荷神の神使とし、稲荷神そのものではないと述べており、また岡山市北区にある日蓮宗の寺院である最上稲荷山妙教寺は白狐を稲荷神(最上位経王大菩薩)の御眷属(お使い)と述べている。
 日本では弥生時代以来、蛇への信仰が根強く、伏見稲荷大社が鎮座している神体山である「稲荷山」は古くは蛇神信仰の中心地であったようだが、平安時代になってから狐を神使とする信仰が広まったという。稲荷神と習合した宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)あるいは白狐神と呼ばれて祀られるようにもなったという経緯もある。

 因みに境内の「白狐社」では白狐霊である「命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)」をお祀りしてある、ということである。この命婦神は、律令制下の日本において従五位下以上の位階を有する女性、ないし官人の妻の地位を示す称号である。
        
                琴平社 ご祭神は大物主神
        
         境内北西部にも参道があり、その先には戌亥鳥居が建つ。
 
  戌亥鳥居への参道の両側には数多くの石祠が並んで祀られている。(写真左・右)

 当神社は創建も古く、新田源氏の守り神として厚く信仰されてきたことから、建物のみならずその他の文化財も多く残されてきた。そればかりでなく地域とのつながりも古くからあり、聖天宮は古墳の上に鎮座しているという。建物には棟札も残されていて建造年代もはっきり分かり、携わった大工もはっきりしている。大工の多くは地元大工が多いが 妻沼聖天堂を手掛けた林兵庫正清の影響も強く、利根川を挟んでの交流が深かったことも理解できる。本殿の胴羽目の彫刻の裏から飯田仙之助の墨書が発見され、それには石原吟八郎の初代と二代目の名が記されていたことから、18世紀から19世紀の花輪彫刻師の流れを知る上での手掛りとなった。さらに聖天宮の弥勒寺音八につながる彫刻師の流れが分かる様な神社であるという。 
       
 


参考資料群馬県近世寺社総合調査報告書HP」「ぐんま地域文化マップHP」「冠稲荷神社HP」
    ウィキペディア(Wikipedia「境内案内板」等

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