古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

三峯神社

 秩父山地一帯には「お犬様」と称してオオカミを祀っている神社が多数あり、三峯(みつみね)神社など計21社とも言われ、全国的にも個性的な地域である。江戸時代に始まったとされるお犬様信仰は、関東甲信地方へ広がりをみせ、その信仰は現在もなお続いている。
 その為この地域では、現在も毛皮や頭骨を保存している家が何軒もあり、オオカミにまつわる伝承や伝説も各地で聞くことができる。
 神様のお使いは動物に姿を借りて現れるが、これら神様のお使いのことを「神使(しんし)」や「眷属(けんぞく)」と言い、代表的なものは、稲荷神社のキツネ、八幡神社のハト、春日大社のシカ、日吉神社のサル、熊野大社のカラスがある。神様と眷属の関係は、神話や祭神との特別な関わり、語呂合わせ、その地域に多く生息した生き物や名物等様々で、一定の決まりはないようだ。
 お犬様は、山犬・オオカミが持つ類いまれな能力に、人々が畏怖(いふ)と畏敬(いけい)の念を抱き、その強い力にご神徳を求め、神様のお使いとして信心されている。秩父郡内では、三峯神社や寳登山(ほどさん)神社、両神(りょうがみ)神社(2)、龍頭(りゅうず)神社、城峯(じょうみね)神社などがお犬様を祀っている。
 この中には、神の意を知らせる兆しとして現れたお犬様に、その霊力を遺憾なく発揮していただくため、毎月の又は特定期間の特定日に「お犬様の扶持(ふち)」、「お犬様のエサ」、「お炊き上げ」と呼び習わして、赤飯・小豆飯或いは白米を生饌(せいせん)のままや熟饌(じゅくせん)に調理し供える神事を行う神社もあるようだ。
 旧大滝村、埼玉県秩父市三峰にある三峯神社は秩父多摩甲斐国立公園内の標高約1100mに鎮座している。秩父三大社のひとつとして数えられ、ヤマトタケル伝説やお犬様信仰など伝説が数多く残っており、関東屈指のパワースポットとしても有名な社である。
        
                          ・所在地 埼玉県秩父市三峰298-1
             ・ご祭神 伊弉諾尊 伊弉册尊
             ・社 格 旧県社
             ・例 祭 例大祭48日 53日奥宮山開祭 109日奥宮山閉祭
                  122日冬季大祭等

 三峯神社は、今から1900年ほど前に第十二代景行(けいこう)天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の帰り道に山梨県から奥秩父の山々を越えて三峰山に登り、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりとされている。
 また景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をした際、三山を雲取山・白岩山・妙法岳と呼び、聖地と定め平安時代には僧空海が登山、三峯宮の傍らに十一面観音像を奉祀して天下泰平を祈ったと『縁起』には伝えられる。
 秩父の多くの社に関わるお犬様は、神の眷属というよりも、神そのものとされ、故に「大口真神」(おおくちのまかみ)と神号で呼ばれ、山犬=オオカミ、即ち大神として猪、鹿に代表される害獣除け、火防盗難除け、魔障盗賊避け、火防盗賊除け、憑物除けや憑物落しの神と崇められている。
        
            三ツ鳥居、別名三輪鳥居(みわとりい)ともいう。
        1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせた珍しい形式の鳥居。

 一概に「狼」といっても現実絶滅してしまった種族であり、はく製や図鑑、インターネットでの閲覧等で、間接的にもつイメージしか浮かばない。日本人の精神構造の根本に根付いている「自然との共生」概念が今も色濃く残っていて、自然は「台風・地震・火災」等の自然災害に対する恐怖とは逆に、自然から受ける豊かな恵み、景観の美しさ等恩恵に対して畏敬の念を持ち続けていて、それらの正邪併せのむ現実を踏まえながら、何万年かけて日本人はその両面を全て包み込むように合理的な解決策にたどり着く。これが日本人独特の「神道」の根底概念でもあろう。

 秩父地域に今尚残る「狼」信仰はある意味「神道」の考え方に通じる所があるが、この考え方は西洋とは違った文化として残されている。西洋で「狼」というと、童話『赤ずきん』や『三匹の子豚』では、ずる賢く知恵を働かせ、主人公らを大きな口で食べようとする“悪役”として描かれている。中世ヨーロッパにおいては『ジェヴォーダンの獣』や『狼男』など、オオカミのような未確認生物が人間の敵として登場している。農耕・牧畜が主流だった中世の西洋社会においては、家畜を食べてしまう狼という存在は、人々にとって忌むべき対象と考えられていたのかもしれない。
 一方、古来より農業を営んできた日本において、狼は田畑を荒らす害獣を食べてくれる“益獣”として畏敬の念を抱く存在だったという。オオカミを漢字で書くと「狼」。「良い獣」。遥か昔の弥生時代、オオカミの骨などが神事や装飾の道具として用いられていたというから、あるいはその頃からオオカミは神様の使いとしての片鱗を見せていたのかもしれない。そのような歴史の経緯を踏まえ、後世日本人により神格化され、ついには山の神、又は大神(おおかみ)としての側面を持つようになったのではなかろうか。
            
 三ツ鳥居を過ぎてから200m位進んでT字路を左に曲がると、1691年に建立された隋身門がある。専用駐車場から三ツ鳥居までのルートは、看板や食事処等もあり、観光地らしさが漂うが、鳥居を過ぎると、巨木・老木等の樹木や石灯篭が参道の両側に立ち並び雰囲気は一変する。当日は平日で、小雨交じりの曇りの天候乍ら、多くの参拝客がいたが、まず神秘的で厳かな雰囲気に圧倒されたように、私語は全くといってなく、身が引き締まる思いを多くの参拝客も強く感じたのではないだろうか。とにかく空気感が全く違う。時折、周囲が霧で覆われるような場面もあったが、それが逆に神秘性を増幅させてしまったようだ
      
 隋神門を通過し、暫く下り坂の道を暫く進む。そこから90度右側に石段の階段(写真左)となり、その先には青銅製の鳥居が見えてくる(同右)。よく石段を見ると参拝が終わり、下ってくる方向には参拝客が全く見えない。参拝終了後に知ったことだが、三峯神社で参拝後、日本武尊像のほうに行くため、この石段を下る客はほとんどいないようだ。また参拝をすませ、右側に鎮座する境内社方向にも道があり、そこから帰路に向かう道が近道となってもいる。
      
 石段を登り切ると、左側には手水舎がある(写真左)。柱は白を基調としていて、一見コンクリート製に見えるが、実は木造で、その上には素晴らしく美しい龍の彫り物に彩色豊かな装飾が施されている。豪華絢爛というのに相応しく、これだけでも一見の価値あり。
 
また参道を挟んで手水舎の向かい側には、「八棟木灯台」と云われる安政4年(1857)建立の飾り灯台(同右)があり、手水舎同様、灯台全体に細かな彫刻が施されていて、眩しいくらいの朱色が目にとまる。高さ6m。
        
                     拝 殿
         拝殿の手前には樹齢700年と伝えられる重忠杉が聳え立つ。

「Wikipedia」「埼玉の神社」等によれば、『中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えたが、正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続いた。
 その後文亀年間(1501-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った。以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱(あやめびし)を寺の定紋とした」という。
              
                      本 殿
              今から約340年前(1670年頃)の建立。

 秩父でお犬さま(御眷属様)信仰が始まったのは、享保5(1720)、三峯神社に入山した大僧都「日光法印」が、境内に狼が満ちたことに神託を感じ、「御眷属拝借」と称して、山犬の神札の配布を始めたのが最初だと言われている。以来信者も全国に広まり、三峯講が組織され、三峯山の名は全国に知られた。現在も奥州市の衣川三峯神社をはじめとして、東北各地に三峯山の影響力が残っている。
 山里では猪鹿よけとしての霊験が語られていたが、江戸時代、江戸の町を中心に関東地方でオオカミ信仰が流行した理由は、主に火防・盗賊除けの守り神としてだったという。浅草寺境内にも三峯神社があり、他のお堂はみな南を向いているが、三峯神社は本堂を向いている。本堂を火災から守るためだという。狼や犬は火事がボヤのうちに気が付き、また盗賊が店や蔵に侵入したときも騒いで知らせ、賊を襲うという習性があることから、火防・盗賊除けの守り神となった。江戸は「火災都市」と呼ばれるほど、大火が頻繁に発生した。ちなみに1601年から1867年の267年間に、江戸では49回もの大火が発生したという。
 火を消す水の水源地が三峯など秩父の山であったということも関係したようだ。いくつもの三峯講が組織され、多くの人が参拝に訪れた。現在、関東各地の神社の境内に三峯神社が祀られているのは、三峯講があった証(あかし)ともいえる。
 
      木のぬくもりを感じる神楽殿                 社殿の右側には祖霊社が鎮座
 社殿や境内社等との極彩色との違いが分かる。  元聖天堂。社に縁の深かった方の御霊を祀る。
      
       祖霊社の右隣に鎮座 国常立神社    国常立神社の右側に鎮座 日本武尊神社
        
                  日本武尊神社の並びには多くの境内社・摂社・末社が鎮座。
                                まずは伊勢神宮。  
 
 伊勢神宮の右並びには、末社群が立ち並び、左より月読神社・猿田彦神社・塞神社・鎮火神社・厳島神社・杵築神社・琴平神社・屋船神社・稲荷神社・浅間神社・菅原神社・諏訪神社・金鑚神社・安房神社・御井神社・祓戸神社(写真左)。
 祓戸神社の右隣には東照宮・春日神社・八幡宮・秩父神社・大山祗神社(同右)。

        
                          「日本武尊(やまとたけるのみこと)銅像
 筆者は三峯神社を訪れるのは3度目だが、当日境内に霧がかかっている時が多く感じる。標高を考えれば、霧というより雲の中にいるというのが正しいのかもしれないが、まさに“神秘的”な雰囲気に包まれているという感覚が、直接肌を通して感じることができる。
               
                       奥宮遥拝殿から見た妙法ヶ岳。

 現在、三峯神社は関東屈指のパワースポットとして知られている。これは、現代版の自然崇拝・狼信仰と言えなくもないだろう。三峯神社の狼信仰も時代とともに形を変えて生き続けているようだ。


拍手[2回]