古社への誘い 神社散策記

たまには静かなる社の空間に身をまかせ、心身共にリフレッシュしてみませんか・・・・

前谷天神社


        
               ・所在地 埼玉県行田市前谷1425
               ・ご祭神 菅原道真公
               ・社 格 旧村社
               ・例祭等 例大祭 825
    地図 https://www.google.co.jp/maps/@36.1183098,139.4536299,18z?entry=ttu
 前谷天神社は「ものつくり大学」から直線距離にして350m程北西方向に鎮座している。吹上駅前から埼玉県道66号行田東松山線・通称「産業道路」を行田市街地方向に進み、上越新幹線高架橋の下を潜り抜けた先の「大学入口」交差点を左折する。ものつくり大学を左手に見つつ、その大学を過ぎてから300m程進んだT字路を左折し暫く進むと「前谷集落センター」や「光明寺」の間に前谷天神社が見えてくる。
        
                   前谷天神社正面
 前谷地域は、江戸時代・寛永年間に新田開発によりできた村である。地域の南境には「前谷落(まえやおとし)という農業排水路が流れている。この前谷落の流域は茫漠とした低地であり、近年都市化は進行してはいるが、まだ氾濫原跡を思わせる地形が残っていて、それらは現在広大な水田となっている
『増補忍城名所図会』には前谷村にあった「三千坊沼」にまつわる伝説も残り、新田開発後も水腐の続く湿田地帯で、往古から水損の地であったようだ。
        
           前谷天神社は真言宗光明寺に隣接して鎮座している。
           この寺社には境内に垣根等仕切りがないのも珍しい。
 

 行田市指定有形文化財「忍城名所図会」は、忍藩に関する書物として最も古いものの一つで、天保年間(18301843)の忍城周辺の名勝や名刹、風俗や名品などが豊富な絵と的確な文章で描かれている。
 文政八年(1825)忍藩主松平忠堯は、洞李香斎筆の編述した「忍名所図会」を見て、足りない所や漏れている所が多いのを惜しみ、家臣の岩崎長容に増補を命じ、天保六年(1835)に増補版六巻を作製したものが「増補忍名所図会」である。
        
                                       拝 殿 
 『増補忍城名所図会』には 「三千坊沼。前谷村にあり。古は大沼なりしが今は田圃となる。往古此沼に鐘沈み有りそを成田竜淵寺の和尚加蔵主此鐘を法力を以て取上、寺に持行、其休養し勉を鐘置橋といふ。鐘置橋は皿尾より上の村へ行中程小川に係る橋を云也。しかして竜淵寺に有りしが今は常陸筑波山にありといふ。」と沼にかかわる伝説が残り、新田開発後も水腐の続く湿田地帯で、往古から水損の地であったようだ。
 当社の創立は不詳であるが、口碑によると、先祖が名主を務めた細谷家の宅地内に祀っていたが、何らかの理由で当地に移されたという。明治六年村社となった。
 
 神社境内は北側を真言宗光明寺の境内が、南側を農民センターの建つ共有地がそれぞれ隣接して、両者に挟まれるようにして神社参道が延びている’写真左)。祭神は菅原道真公を祀り、本殿は一問社流造りである。境内社として塞神(石両)とほかに社名不詳の石祠三社が祀られているが、この四社は「明細帳」に記載の伊奈利神社・宇賀神社・事任神社・塞神社であると思われる(同右)。


参考資料「新編武蔵風土記稿」「埼玉の神社」「増補忍城名所図会」「行田市公式HP 指定文化財」等

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